6-4
「…はい、ありがとうございました」
意識の向こう、そんな声が聞こえた気がした。
まだ少し重い身体
ぼんやりと天井を見ている
「お、起きたか」
彼の顔が覗き込む
「今日はちょっとしんどいな」
おでこに手を当てながらそう言う
“昨日頑張ったからな”
そう言えば…
離れていく彼の手を捕まえる
「ん、どうした」
“昨日の、話”
「あぁ、さっきもう帰った。色々聞いたけど、元気になってからやな」
ポンポン、と手を叩いて立ちあがろうとする彼をまた引き止める
「うた…」
呆れたように笑いながら
身体を起こすのを手伝ってくれる
「じゃあメシ、ちゃんと食べるなら」
う…食欲は、ない。
けど…
交渉の余地なしの声。
詩は少しだけ固まる。
(今じゃないと困る)
でも、身体がついてこないのも分かる。
沈黙。
その間を見て、昂汰が少しだけ柔らかくなる。
「スープな」
「それ飲んだら、ちょっとだけな」
“全部じゃなくていいからな”って続きは言わない。
詩は小さく息を吐く。
(負けた)
渋々、頷く。
「……ん」
昂汰は少しだけ満足そうに笑う。
「よし」
「それと」
少しだけ口調が変わる。
「今日はベッドな」
「ちゃんと横になっとけ」
詩は一瞬止まる。
反論はできない。
でも納得もしてる。
「動くなって意味ちゃうで」
「休めって意味や」
一拍。
それから、少しだけ優しくなる。
「その状態で聞けるだけ聞いとき」
キッチンへ向かいながら、背中越しにぽつり。
「夜もちゃんと話すしな」
「じゃあ行ってくる」
“ちゃんと食べろよ”
“ベッドにいる約束も”
まるで子供相手かのような言葉に
そんなに信頼ないかと半目になる
「試合も観とってな」
可笑しそうに笑いながら出ていく背中を見送る
ふーっと大きく息をつく
普段より少し高い体温は
身体も頭も重くして
ポスン、と身体を預けるのは
何故かまだ馴染まないシーツ
出来ることをやればいい
そう言いながら
やりたいことを拾ってくれてる
その優しさも
気遣いも
ちゃんとわかるのに
朝。
いつもより少しだけ早い時間。
横で昂汰がコーヒーを飲んでいる。
「今日、来るからな」
軽い声。
詩は小さく頷く。
でも指先が、少しだけ止まっている。
チャイムが鳴ると、
一瞬、空気が変わる。
詩の肩が、わずかに動く。
昂汰が玄関へ行く。
短いやり取り。
足音。
誰かが入ってくる。
キッチン。
淡々と説明するのは昂汰。
「今日はこのメニューで」
「食材は冷蔵庫に入れてあります」
「手順はこれで」
詩はすぐ横にいる。なのに。
(見てるだけ)
その事実が、静かに刺さる。
「うた」
“これでええな”
その声に意識を戻して
慌てて頷く。
包丁が使われる。
音。
トントン、という一定のリズム。
(あ)
あの日の記憶が、一瞬だけ重なる。
呼吸が少し浅くなる。
(できなかった…)
でも、誰も気づかない。
昂汰は普通に話す。
「これ、昼に残しとく分もあります?」
代行の人が答える。
そのやり取りの中に、詩は入っていない。
(入らなくても進む)
その感覚だけが残る。
しばらくして作業は終わる。
「じゃあ、これで失礼します」
静かに区切られる。
部屋を出ていく。
玄関の音が消えたあと。
キッチンに少しだけ静けさが戻る。
詩は動かない。
「うた」
「どうやった?」
戻ってきた昂汰が軽く聞く。
詩はすぐには答えない。
少し間。
そして、小さく頷く。
(できた)
でもそれは肯定じゃなくて確認に近い。
昂汰はそれを見て、少しだけ笑う。
「そっか」
それ以上は言わない。
そんな彼に頷き返しながら
小さな違和感が、静かに残る。
夜。
明かりが小さく落とされた寝室。
大きなベッドの端の方で
小さく丸まって眠る詩。
その横で、
彼女をしばらく見つめていた。
何度も書き直してたメニュー
直接店に出向けなかった時の顔
作業を
ぼんやり見つめてた瞳
“もしかして”
「間違えてる…?」
溢れた言葉を慌てて否定する
穏やかな顔で眠る彼女の
その柔らかな髪に
そっと手を伸ばす
声を失くしたあの日から
飲み込んできた
たくさんの言葉たち
どうか
これ以上は、と
願いを込めた




