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そのまま。  作者: こまこま
5章
32/43

5-5

車椅子が病室に滑り込む。


看護師が手際よくベッドを整える。


「俺がやります」


「ゆっくりで大丈夫ですよ」


昂汰は腕を外さないまま、

詩の身体をベッドに降ろす。


(……ほんまに抜けたな)


詩の頭が枕に落ちる。


呼吸はある。

浅いけど、乱れてはいない。


看護師がすぐに動く。


「先生呼びますね」


昂汰は頷くだけ。


詩の手が、

まだ少しだけ服を掴んでいる。


それを見て、

一瞬だけ迷う。


でも、


「……すぐ戻る」


小さく言って、

そっと指を外した、

そのタイミングで、

医師が入ってくる。


空気が少しだけ変わる。


「外、出れたんだね」


落ち着いた声。


詩の反応を軽く確認して、

看護師にいくつか指示を出す。


昂汰に視線が向く。


「少し診るね」


拒否する理由はない。

でも一瞬だけ、動きが止まる。


詩を見る。


動かない。

でも、ちゃんと呼吸している。


「……お願いします」


短く言って、

部屋を出る。


廊下。


ドアが閉まる音。


それだけで、

少しだけ距離ができる。


昂汰はその場に立ったまま。


(……大丈夫やろ)


分かってる。


さっき看護師も言っていた。

“よくある反応”。


でも、

(倒れたのは事実やしな)

視線が床に落ちる。


落ち着かなくて


壁にもたれる。

すぐ離れる。


スマホを出す。

画面を開く。

閉じる。


何もしてないのに、

時間だけがやけに長い。


ドアの向こうで、

小さな物音がする。


それだけで、

意識が全部そっちに向く。


(……長いな)


実際はそんなに経っていない。

でも、感覚だけが引き伸ばされる。


「昂汰くん」


呼ばれて、顔を上げる。

医師がドアの前に立っている。


「少しだけいいかな」


中ではなく、廊下。

その距離感が、少しだけ現実を帯びる。


昂汰は頷く。


医師は一拍置いてから話し始める。


「まず、結論から言うね」

「大きな問題はないよ」

「意識もすぐ戻ると思う」


その一言で、

肩の力が抜ける。

分かりやすく。


でも、それだけじゃ終わらない。


「ただ」


続く言葉に、

視線が戻る。


「今回のは“身体の限界”というより」


少しだけ言葉を選ぶ。


「緊張が抜けた反動に近い」


昂汰は黙って聞く。


「外に出るって、思っている以上に負荷が大きいからね」


「感覚も、音も、全部一気に入ってくる」


あの瞬間が、頭に戻る。


手の震え。

呼吸。

止まりかけた足。


「それを処理しきる前に、“大丈夫”って思えた」


一拍。


「そこで一気に力が抜けた」


昂汰の視線が少しだけ落ちる。


(……あれか)


医師は続ける。


「悪い倒れ方じゃないよ」


はっきり言う。


「むしろ、“そこまで行けた”っていう意味では良い反応」


昂汰が小さく息を吐く。


「……そうですか」


「うん」


軽く頷く。


「ただし」


少しだけトーンが締まる。


「無理を続けると逆効果になるから」

「段階はちゃんと守ろう」


昂汰はすぐに頷く。


「はい」


迷いはない。

医師は少しだけ柔らかくなる。


「今日のは、一歩としては十分」


昂汰の中で、

さっきの出来事の意味が少しだけ変わる。


倒れた、じゃなくて。


(……進んだ、か)


医師が最後に言う。


「本人はね、多分“失敗した”って思うと思う」


その言葉に、

少しだけ苦笑が混ざる。


「そこは、僕らからも説明するけど」

「チームワークで行こう」


昂汰は短く頷く。


「はい」


医師も頷く。


「じゃあ、戻ってあげてね」


ドアの前。


昂汰は一度だけ息を吐く。

扉に手をかける。

(失敗、か)

小さく笑う。


「ちゃうやんな」


それだけ呟いて、

ドアを開ける。






カーテン越しの光が、少しだけ柔らかい。


詩は、ゆっくり目を開ける。

白い天井。


(……あ)


数秒、動かない。

呼吸だけが、少しずつ整っていく。


そのあと、

記憶が、遅れて戻る。


外。

手。

空気。


(……倒れた)


指先が、わずかに動く。

シーツを掴む。

ほんの少しだけ、力が入る。


目は開いているのに、

どこも見ていない。



ノック。

「失礼します」

看護師が入ってくる。

空気が少しだけ動く。


「気分どう?」


いつもの調子。


詩は目を開ける。

少しだけ視線を向けて、

小さく頷く。


看護師はバイタルを確認しながら、

何気なく続ける。


「びっくりしたね?」


少しだけ笑う気配。


詩のまぶたが、

ほんの少しだけ揺れる。

視線が落ちる。


看護師は手を止めないまま言う。


「大丈夫」


間を置かずに。


「ちゃんと、外出られたから」


はっきり。

やわらかいけど、曖昧じゃない。


詩の指が、

ぴくっと動く。


でも、まだ強張ってる。


看護師は続ける。


「最初、扉の前で止まって」

「でも、そのあと」


少しだけ視線を向ける。


「ちゃんと、自分で出られた」


一拍。


詩の呼吸が、

少しだけ深くなる。


看護師は少しだけ笑う。


「褒めてあげてね」

“頑張った自分の事”


詩のまぶたが、

ゆっくり瞬く。


言葉を探すみたいに。

でも、出ない。


代わりに、

シーツを掴んでいた指が、

少しだけ緩む。


看護師はそれを見て、

それ以上は踏み込まない。


カルテに軽く書き込みながら、

「今日はもうゆっくり休んでね」


ドアが閉まる。

音が遠のく。

詩は、しばらく動かない。




「疲れたやろ」


昂汰が布団を軽く直す


「ほんま、よう頑張ったなぁ」


大きな手が頭を撫ぜる。

そのまま頬に滑り落ちて、

覗き込まれる


不安で揺れる瞳

目尻に溜まった涙を親指が拭う


“泣き虫“

彼がそう言って笑った時、

やっと、息ができた気がした。





夜が少しだけ深くなる。


病室の明かりは落とされて、

カーテンの隙間から入る街灯の光だけが揺れている。


昂汰は椅子で眠っている。

手は、まだ繋がれたまま。


詩は目を開ける。

さっきより呼吸は安定している。


(……落ち着いてる)


身体の奥のざわつきが、薄くなっているのがわかる。


視線を少し動かす。


昂汰の手。

繋がれたままの指。


そこを見て、少しだけ指が動く。


昂汰がかすかに動く。

でも起きない。


詩は安心して、もう一度天井を見る。


(今日、外に出た)

(途中で、倒れた)


その場面が、ゆっくり頭の中に戻ってくる。


(……全部できなかった)


その感覚は、まだ残っている。


でも


風。

音。

光。


あの一瞬も、

消えていない。


指が、ゆっくり動く。


シーツの上。


掴むわけでもなく、

ただ、そこに触れる。


言葉にならないまま、

少しだけ、呼吸が深くなる。


詩は少しだけ昂汰の方を見る。


寝ている顔。


さっきまでずっと支えてくれていた手。


(……そばにいてくれた)


その事実が、思っていたより大きい。

一人で越えたわけじゃない。

止まったときも、戻ったときも。


全部ここに彼がいた。


頭を撫でられた感触が、

まだ残っている。


詩のまぶたが、少しだけ重くなる。

昂汰の手を、もう一度だけ軽く握る。


「ここにいる」


言葉にはならない確認。

それだけしてから、詩は目を閉じる。

呼吸はゆっくり一定に戻っていく。


(次は)


まだはっきり形にならない“次”。


でも、怖さだけじゃなくなっている。



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