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そのまま。  作者: こまこま
5章
31/43

5-4

廊下。


窓から、外の光が見える。

詩は車椅子じゃなく、

手すりに手をかけて立っている。


その横に、昂汰。

何も言わない。


少しだけ、間。


「……行く?」


軽い声。


促すでもなく、

試すでもない。


詩はすぐには動かない。


外。

ガラスの向こう。

視線が上がる。


足が、少しだけ止まる。


息を吸う。

浅い。

もう一回。


昂汰は見てるだけ。

手は出さない。


詩の指が、

手すりを少しだけ強く握る。


一歩。


出る。


すぐに止まる。


呼吸が揺れる。


(……怖い)


視線が落ちる。


戻ろうとする気配。


その瞬間、

「うた」

小さく呼ぶ。


それだけ。


詩の動きが止まる。

昂汰は続けない。


ただ、そこにいる。


沈黙。

詩が、もう一度だけ息を吸う。

今度は少し深い。

足が、動く。

一歩。


もう一歩。


ガラスの扉の前。

手が伸びる。

でも、触れる前で止まる。


(外)


指先が、わずかに震える。

昂汰が横に立つ。

何も言わない。

ただ、

少しだけ近い。

詩の指が、扉に触れる。


冷たい。


一瞬、目を閉じる。


開ける。


空気が、変わる。


外の匂い。


少しだけ違う音。


足が、外に出る。


止まる。

戻らない。


昂汰が、小さく息を吐く。


「……出たな」


詩は何も言わない。

でも、

ほんの少しだけ、

呼吸が浅くなる。


指が、昂汰の服を掴む。


ほんの少しだけ。

離れないように。


昂汰が気づく。


「……うた」


詩は言えない。

でも、指が離れない。

一拍。


「……手?」


詩は小さく頷く。


「ん…」

ゆっくり手を出して、繋いだ。





一歩踏み出しただけで、音の層が増える。


遠くの車の音。

誰かの足音。

風が木を揺らす音。


病室の中にはなかった“雑音”。

呼吸が、一瞬だけ浅くなる。

胸が、きゅっと縮むような感覚。




視線が自然と落ちる。

足元。

地面。

自分が立っている場所を確認する。


指先に、少しだけ力が入る。

繋がれた手の存在を確かめるように。



外の光は強すぎないのに、眩しく感じる。

目を細めるほどじゃないのに、少しだけ情報が多い。


風が一度だけ通る。

髪がわずかに揺れる。

それだけで、身体のバランスが少し変わる。


(立ってる)

(外で)


また、風が吹く。

詩の髪が少し揺れる。


その瞬間、

ほんの一瞬だけ肩が揺れるのが分かる。


彼女から目を離さずに、

昂汰は少しだけ息を吐く。


焦らない。

急がない。


手の温度だけが、

ちゃんとここにある。


繋がれたままの、手


口元をきゅっと結んだ詩が、

ほんの少しだけ足を前に出す。




一歩。

地面の感触が変わる。

さっきより少しだけ、音が遠くなる。


詩の指が、少しだけ揺れる。


繋いだ手の中で、

ほんの小さな迷いが伝わる。


もう一歩、出る。

今度は少しだけ深く。

空気が、少し変わる。

さっきより“外側”に寄る。


詩の身体が、ほんの少しだけ傾く。

バランスを取り直すみたいに。


昂汰はその傾きを見て、

軽く手を握り直す。


詩が、自分で立てる範囲。

そこから外れないように。


沈黙。

呼吸だけが、少しずつ揃っていく。

詩の吸う息が長くなり、

吐く息が少し落ち着く。


詩が、ゆっくりと顔を上げる。

最初は少しだけ。

視線が水平になる程度。

次に、もう少しだけ。


世界が入る。


道路。

建物の角。

遠くの空。


全部が、一度に来る。

詩のまぶたが、わずかに揺れる。


言葉にならない感覚。

昂汰は横で見ている。


詩の指が、ほんの少しだけ動く。

握っている手の中で、

一度だけ力を入れ直す。


確かめるための動き。


昂汰はそれを感じて、

少しだけ息を吐く。


詩の目線が、少しだけ止まる。

遠くの音に引っかかるみたいに。


車の音。

誰かの笑い声。


詩が、小さく瞬きをする。

もう一度、ゆっくり息を吸う。


今度は浅く

呼吸は安定しているように見える。


でも──

その奥で、

少しだけ何かがほどけ始めていた。


(……大丈夫)


その感覚が、ふっと来る。

“今ここにいられる”という実感。

それが落ちた瞬間。

詩の肩から、力が抜ける。

一気に。


「っ…!」


ぐらり。

身体が傾く。


瞬間。

受け止めた

その重さが、

一気に腕に乗る。


完全に、抜けた。

(……あかん)


「行きます!」

少し離れたところにいた看護師がすぐに動く。


車椅子が近づく音。


昂汰は詩を抱えたまま、ゆっくり座らせる。


落とさない。

崩さない。


詩の頭が少しだけ揺れて、

そのまま昂汰の腕にもたれる。


目は閉じている。

「うた、わかるか」

反応は、ない


看護師が確認する。

「大丈夫です、よくある反応です」

「まずは、戻りましょう」

昂汰は小さく頷いて

息を吐く。



「……びっくりしただけやな」

誰に言うでもなく。


詩の手が、まだ少しだけ昂汰の服を掴んでいる。


車椅子が動き出す。

「大丈夫、先生もすぐ来てくれます」


外の空気が、少しずつ遠くなる。


病室に戻る車椅子の中で、

詩の呼吸はゆっくり落ちていく。


昂汰の手だけが、

最後までそこにある。



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