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そのまま。  作者: こまこま
5章
29/43

5-2


球場の外。


人の波がゆっくり引いていく。


昂汰は、ロッカールームにいた。

ユニフォームを脱ぐ途中で、

少しだけ手を止める。


(……終わったんか)


チームメイトの声が遠くに聞こえる。


「お疲れ!」

「やったな!」

「かっこよかったっす!」


(なんやろな)


空気。

あの歓声。

鳥肌が止まらなかった



まだ、熱に浮かされているのか、

少し身体が震えているのを感じる


誤魔化すように開いたスマホには

数えきれないような通知の数


スクロールして探すのは、

たった一つだけ。


目当てのものを見つけた

指。視線。

一緒に動きが止まる。


小さく息を吐くと、

そのままポケットにしまった。




(寝てるやろうな…)


部屋に戻って開いたスマホの上、

躊躇いを見せる指先


“ありがとう”


届いていたのは、

たった一言で。

その重みを噛み締める。



…明日にしよう


明日も試合がある。

想像以上に疲弊しているに違いない。


身体をケアするようにと

顔をしかめる詩が浮かんだ。





翌日。

球場に向かう前に病院に寄る。


どうしても、顔が見たかった。





「うた…?」


夢の中、

聞き慣れた声が聞こえたような気がした


ひんやりとした感触が

額や頬を撫でる


ぼんやりとした視界の先

ショックを受けたような顔が見えた




「いつからですか…!」

問い詰める声


「どうして、なにも連絡を!」

言いかけて、ハッと詩の顔を見る


少し苦しそうな呼吸

赤く染まる頬



「詩ちゃん、すごく楽しみにしていて」

「それで、夜中からちょっと発熱しまして」


でも、


「ずっと嬉しそうに観ていましたよ」


「ちょっと無理したので、今日は安静です」


立ち尽くす俺の指先に

そっと触れる熱。


「…うた…」


ギュッと込められた力

ふにゃと崩れる表情


「そっか…」


力が抜ける。




「言うわけないよな…」



赤い頬に手を添える。


ありがとう、か…

届いた一言を思い出す。



看護師に向かって頭を下げる

「すみませんでした」



無理を承知で

許してくれたんだろう

心配で

何度も様子を見に来てくれたに違いない



そうして、

詩の心を守ってくれた



「ありがとうございました」

みなさんにもお伝えください


部屋を後にする彼女に

そう言ってもう一度頭を下げた。






「うた、わかるか?」

そう言う彼に頷いて見せる


「…無理しやがって、ほんとに…」

心配そうに眉を寄せる

その顔に手を伸ばす


頬の上で重なる手



「ちゃんと見てたか?」

“うん“

「カッコよかっただろ」


“…うん“

「なんだよ、その間」



口を開く度、表情が変わる度に

揺れる手。

それでも彼は離さなかった。



「すごかったよ…」


「地響きみたいだったんだ」



少しの笑顔


だけど、あの、声援が。

待っててくれたんだなぁって


「ほんとはちょっと泣きそうだった」


照れくさそうに

でも、ポツリポツリと

伝えてくれる




「けど…一緒に、いたかったな」


溢れた本音に

胸が詰まる。


涙と共に、大きく頷いた。







午前の回診が終わったあと。


昂汰は廊下に出て、看護師に声をかける。


「詩のことなんですけど」


少しだけ言葉を選ぶ。


「発作とか、熱とか」


「なんかあったら、すぐ教えてもらえますか?」


「本人、言わへんもんで」


少しだけ笑って、

でも笑い切らない声で。



「隠すんです、あいつ」

俺のために。


その言い方に、

看護師が小さく頷く。


昂汰は一拍置いてから言う。


遠征多くなるんで、

「すぐ来れん時の方が多いと思うんですけど」

「知らんままよりは、そっちの方がいいんで」


「心配ぐらいさせてくれって感じです」


最後は少し軽い調子で。


「分かりました。そのように申し伝えしておきますね。」





その頃、病室。

詩はベッドの上でぼんやりしていた。


昂汰が戻ってきた音

「うた、俺、もう行くな」


覗き込む彼に頷いて見せる。

「熱、早く下がるといいな」


顔を滑る冷たい手が気持ち良くて、

離れていくのが寂しくて

思わず手を伸ばした。


「夜、また来るから」

受け止めながら

「頼むから、大人しくしとってや」


親指が手の甲をさする。


ふざけた調子に笑って応える


「ほなな」


慌ただしく出ていく背中を見送った。






「しばらく、こっちで寝るわ」


約束通り帰って来た彼が、

わたしの様子を見ながら切り出した。


「もう1軍戻ったし、」

「誰かさんが、心配かけるしな」

受け入れていいのか、

反対すべきなのか

わからなくてまごつく私に



「前だってそうしてたやろ」

そう言って事件前の事を思い出させる


「うた、大丈夫やって」



俺、やっぱり

「顔見て、手、握って、こうやって」


そしてもう片方の手が

頭を撫でてくれる。



「今日あった事、感じた事」

何にもない日でも


できるだけ、一緒に。


詩が小さく頷く。


空気が少しだけ落ち着く。



でもそれは“元に戻る”と言うより

“新しい線引きができた”感じだった。










病室の窓から、夕方の光が入っている。


いつもと同じはずの景色なのに、

少しだけ遠く見える。


車椅子。


まだそれが詩の「動く距離の全部」だった。


廊下までは行ける。


でも、その先はまだ無理だと体が言う。


昂汰はベッドの横に座っている。


スマホをいじりながら、

何気ないふりをしている。


でも視線は時々、詩に向く。




(家、か)

ふと頭に浮かぶ。


この場所じゃないところ。


普通の生活。


台所。

テレビの音。


——何も気にしなくていい場所。


でもすぐに現実が戻ってくる。


詩はまだ、車椅子での移動がやっと。

外は無理。

それはもう、分かっている。


昂汰は少しだけ息を吐く。

(今はまだやな)




詩の方も、同じことを考えていた。

窓の外を見ながら、

(いつか、戻れるのかな)


でも“戻る”が何を指すのか、

少し曖昧になっている。


家なのか。

日常なのか。

それとも、この安心のことなのか。


詩は昂汰を見る。


言葉はない。

でも、目が少しだけ揺れる。


昂汰はそれに気づく。

一瞬だけ黙る。


「なぁ」

小さく声を出す。

「…家、帰りたいとか、思ったりする?」

昂汰は続ける。


「まぁ、焦る必要なんてないんやけど」


少し間。


「ここももう、変わらんやろ」


詩はゆっくり瞬きをする。


(ここ…)


(それで、いいのかな)


じっと詩の顔を見つめる。

まるでその考えを読み取ろうとするかのように。




詩は車椅子で窓際に移動する。

夕方の光が少し薄くなる。


まだ長くは動けない。

でも、その短い距離が、

少しだけ増えたことが小さな進歩だった。



(ここ、か…)

いつかは、ここを抜け出したい。

でも今は、

その“いつか”を急がなくていい気がする。


「まぁ、ゆっくり行こうや…」


いつの間にか隣に立っていた彼が言う。



目にしていたのは、

同じ景色だった



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