4-2
テレビの画面は、もう次の話題に変わっている。
でも詩はまだ、さっきの昂汰の言葉のままだった。
(安心できるなら、それでええわ)
その言い方が、胸に残る。
戻って欲しいのも
集中してほしいのも
うそじゃない
だけど、
忘れないで
そう願ってしまう
隣にいない
それは想像以上で。
漏れそうになる想いを
大きく息を吐いて
堰き止める。
スマホを握る。
打ちかけて、止める。
また、打つ。
“ちゃんと勝って”
違う…
もう一回。
“日本シリーズ、連れてって”
送信。
すぐに既読はつかない。
でも、それでいい気がする。
画面を見つめたまま、詩は少しだけ息を吐く。
(そこまで行きたい)
“会いたい”じゃなくて、“行きたい”
そこに変わった瞬間、少しだけ空気が変わる。
詩はスマホを胸の上に置いて、天井を見る。
まだ体は重い。
声も出ない。
でも、気持ちだけは少しだけ前にある。
(わたしも、ちゃんとそこに行く)
スマホが震える。
“日本シリーズはさすがに遠いわ笑”
少しだけ口元が緩む。
“でもまぁ”
“ええと思う”
その一行で、空気が少し変わる。
“詩も、来いよ”
短い。
だけど。
詩は一度だけ息を吐く。
指が動く。
“行く”
それだけ送って、画面を伏せる。
少し遅れて既読がつく。
でも返事はすぐ来ない。
テレビの中では、また別の話題が流れている。
でも詩の中では、さっきの言葉が残っている。
(詩も、来いよ)
一緒に。
進む。
天井を見たまま、ゆっくり目を閉じる。
(ちゃんと、行く)
スマホが鳴る。
“日本シリーズ、連れてって”
一瞬だけ、指が止まる。
(……あいつ)
画面を見たまま、昂汰は少しだけ笑う。
軽いはずなのに、
妙に逃げ場がない。
既読をつける。
それだけで、少しだけ現実が動く。
強い眼差し
はっきりとした口調
でも
胸に抱えた資料を
ギュッとにぎりしめる指先
…そういえば、そんな彼女に
いつも勝てなかった
(連れてくって)
(そもそも俺がそこ行けるかの話やろ)
軽い笑いが落ちる。
また、負けやな…
スマホを握ったまま、
画面を見つめる。
(…ほんまに。)
応援でもなく、慰めでもなく、
ただ“目標として置いてくる”。
親指を動かす。
「いや、それはさすがに無理やろ」
送る直前で止める。
代わりに、
少しだけ短くする。
「詩も、来いよ」
行くなら一緒に。
スマホから手を離す。
頑張らな…な。
でも同時に、
(見られてるな)
とも思う。
「……うん」
小さく呟く。
ちょっとだけ背中が伸びた。
“日本シリーズ、連れてって”
ベンチに座ったまま、手を組む。
視線はグラウンドの方にあるのに、
意識はそこにいない。
(連れてく、か)
その言葉を、もう一回だけ反芻する。
今の自分の場所。
(そこまで行くってことは)
(俺が上がる前提やん)
小さく笑って、立ち上がる。
バットを手に取る。
いつも通りの動作。
いつも通りの準備。
でも、スイングの前に一瞬だけ止まる。
(そこまで、行く)
声に出さないまま、呼吸を整える。
振る。
乾いた音。
もう一回。
今度は少しだけ強く。
(見てるんやったら)
(ちゃんと見とけよ)
誰に向けてるのか分からない言葉が、
頭の中でだけ落ちる。
その瞬間から、スイングが変わる。
さっきまでの“調整”じゃなくて、
少しだけ“前に出る動き”になる。
コーチが遠くでそれに気づく。
でも何も言わない。
昂汰は止めない。
止める理由が、少しだけ変わっている。
(そこまで、行く)
汗を拭く手が、少しだけ強くなる。
朝。
まだ薄暗い時間に、すでにグラウンドは動き始めている。
「今日も同じメニューでいくぞ」
短くコーチの声が飛ぶ。
昂汰は無言で頷く。
体は重い。
昨日の疲れが抜けきらないまま、
また同じ場所に立たされる。
(戻すって、こういうことか)
軽く走るだけで、呼吸が乱れる。
それでも止めない。
バットを握る。
素振り。
一回目より、二回目の方が重い。
でもやめない。
「もう一本」
コーチの声は淡々としている。
励ましでも、追い込みでもない。
ただ“工程”として積まれていく。
昂汰は息を吐いて、もう一度振る。
(ここで止まったら終わりやな)
汗が落ちる。
手の感覚が少しずつ鈍くなる。
それでも、
身体は少しずつ“思い出していく”。
昼前。
ベンチに座って水を飲む。
手が少しだけ震えている。
午後。
また同じメニュー。
また同じ距離。
走る。
振る。
止まらない。
ただ、積まれていく。
夜。
ストレッチの床に倒れ込む。
天井が白い。
呼吸が重い。
でも、どこかで分かってる。
(戻ってきてる)
完全じゃない。
でも、前よりは確かに“そこにいる”。
スマホを開く。
画面は暗いまま。
(まぁええか)
そう呟いて、
目を閉じる。




