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そのまま。  作者: こまこま
1章
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1-2

「余裕やんな、自分」



熱のせいで真っ赤になった顔が、

俺を見つけた瞬間にさっと青ざめる。



次の瞬間には、布団の中へと潜り込んでいた。



――ほんま、逃げるのだけは早いな。



小さく丸まったその姿を見て、

失くしたと思っていたものをやっと見つけたような気がした。

張りつめていた気持ちがふっと緩む。




心配していたあの時間も、

すれ違っていたはずの気持ちも、

まだちゃんと繋がっている。




そう確信した俺は、思わず息を吐いた。



気を抜けばすぐにすり抜けていってしまう。

厄介で、どうしようもなく愛しいやつ。



――捕まえとかな、あかんな。



そんなことを、わりと本気で思う。




とりあえず現状を把握することにした俺は、

抵抗する力も残っていない今の彼女の状態をいいことに、

そのまま病室に居座ることを決めた。












…彼女と出会ったのは、自主トレ先でのことだった。



それまでいつも帯同していた栄養士が連れてきた後輩が、彼女だった。


小柄で、いかにも可愛らしい見た目。


正直、最初は期待していなかった。

トレーニングの邪魔になるんじゃないかとすら思った。


「大丈夫なん?」


思わず口にしたその言葉に、先輩の栄養士はニヤリと笑った。


「まぁ、見ててよ」



その意味は、数日もしないうちにわかることになる。

自主トレが終わる頃には、来年も彼女に来てもらおうと密かに決めていた。




とにかく、仕事に真面目だった。



仕事以外の会話はほとんどない。

ノート片手に質問攻めにしてきたかと思えば、難しい顔でパソコンに向かっている。

かと思えば、ひとり台所で黙々と作業をしている。



その真剣さは、最初に抱いた印象を恥ずかしく思うほどだった。



同じ屋根の下で寝泊まりしていても、彼女は一切プライベートを見せなかった。

徹底した“仕事の人間”だった。




球団と契約する会社から派遣されていた彼女は、その後もシーズン中チームに帯同するようになり、気づけば俺は栄養面での助言を自然と受けるようになっていた。



30を過ぎて、身体のメンテナンスはより重要になる。

的確なアドバイスをくれる彼女の存在は、欠かせないものになっていた。



ただし――あくまで仕事上の関係だ。

お互いに。そう、お互いに。






ある日、珍しく遅くまで残っていた彼女が、

キッチンでひとり味見をしていた。



俺に気づかず、口に入れた瞬間、

満足そうに満面の笑みを浮かべて



「おいしい…!」



小さく呟いたその声に、思わず足が止まる。



慌てていつもの顔に戻るのを見て、

なぜか少しだけ、得した気分になった。







「昂汰さんのお気に入りだからなぁ」



その声にふと我に帰る。

誰のことかと耳をそば立てれば、若手が彼女を誘いたいと話しているところだった。



「絶対手ぇ出したらあかん聖域やろ」



そんな言葉に頷く面々を見て、思わず苦笑する。




確かに、そう見えるのかもしれない。



あれ以来、まるで専属のように自主トレに毎年ついてきてもらい、

効率的だからと球場でもホテルでも食事の前には必ず彼女を呼んだ。



外食すれば写真を送り、確認を取る。

彼女もまた、球団の意向なのか、必ず俺を優先して動いていた。



――けど。




いつか、自分以外の男の横で甲斐甲斐しく世話をする彼女を想像すると、

胸の奥に黒いものが滲む。



振り払っても、それの正体だけはわからなかった。






若い頃は散々遊んだ。

そっちの評判が散々だったことは知っている。

週刊誌にも何度も撮られたし、上層部から叱られたこともある。

それでも年齢を重ねるにつれ、野球に打ち込むことの方が何より楽しくなった。




同年代が結婚していくのを見ても、羨ましいとは思わなかった。

むしろ、この生活が変わる方が面倒だとすら感じていた。


「昂汰さん、まだ結婚しないんすか?」



食事中、後輩の何気ない一言。



「誰と?」



そう返せば、今更隠さなくてもいいと爆笑される。



「相手いないし」



そう続けると、



「え、遊びなんすか!」



と勝手に盛り上がりだす。




どうやら、いつの間にか“そういう関係”になっていたらしい。



「昂汰さんのもんじゃないなら、みんな行きますよ」



脅しとも冗談ともつかないその言葉に、少しだけ間が空く。




本来なら、そうだ。

俺のものじゃない。



そう言うはずだった。



けれど口から出たのは――




「…手、出すなよ」








食事会場で目をやれば、テーブルの間を忙しそうに回る彼女の姿が目に入る。



相変わらずノートを片手に、選手の顔色や選んだ献立を確認しながら、ひとりひとりと丁寧に言葉を交わしている。



初めて会った頃と比べると、随分と余裕ができたのだろう。

時折見せる笑顔も、自然で。




その様子に、思わず食べる手が止まる。

視線が、外せなくなる。



ほんのりと染まる頬。

何かを噛みしめるように伏せられる視線。



会場のあちこちで見られるその姿に、隠しきれない苛立ちが滲む。



――なぜ。



いつの間に。

当たり前のように。

自分だけのものだと、勝手に思い込んでいたのか。




ふと、視線が交わる。



柔らかく下がる目尻に、ささくれだった心がゆっくりとほどけていく。



こちらへ向かってくるその姿に覚えるのは、妙な優越感だった。




――しょうもな。



小さく息を吐き出して、グラスに手を伸ばす。



冷たい水が喉を通っても、頭の熱は引かない。



むしろ、はっきりしていく。



諦めるとか、距離を置くとか、そんな綺麗な話じゃない。

自分で自分を嘲笑う。





諦めよう。

俺はもう――




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