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そのまま。  作者: こまこま
1章
1/44

1-1

ドアの前、ネームプレートを確認して大きく息を吐く。



(緊張してんのか)



自分を嘲笑うように口角を上げ、扉に手をかけた。




ノックに反応はない。




やけに大きく響く鼓動に、ここまで来て何を躊躇っているのかと自嘲する。





静かに扉を開けると、どうしても頭から離れなかった横顔が目に入った。





――いた。

その一瞬で、胸の奥が大きく揺れる。




やっと見つけた。



そう思ったのに、


同時に――またいなくなるんじゃないかと、喉の奥がひりついた。




先程までの躊躇いなど忘れたかのように、足は勝手に進む。



気づけば、吸い寄せられるようにその側に立っていた。



距離を測る余裕なんて、もうなかった。






管の繋がれた腕。


赤く染まる頬。


眉間に寄せられた皺。


小さく開いた口。


上下に波打つ胸。




思わず頬に手を差し出すと、

熱を持ったその頬が、

心地よさを求めるように、わずかに擦り寄った。



縋るような、無意識の反応に、胸が強く締めつけられる。



どうしてこんなことに?


何があった?


何を聞きたいのかすら、分からない。




混乱する胸の内を吐き出すように、大きく息を吐いた。





ここにいる。

やっと、見つけた。




何よりもまず、その事実に安堵する。

存在を確かめるように、無防備に伸ばされたその手を握りしめた。









「熱、測れる?」


巡回に来た看護師の声に、かすかに頷く。


「まだ苦しそうだね。あんまり我慢しないで」





手際よく作業を進めながらかけられる言葉を、重い頭で受け止める。



その奥で、夢に見た懐かしい温もりを思い出していた。



重荷になりたくなくて手放した。

――ううん、本当は逃げ出した。




だけど、彼が大切にしているもの。

夢中になっている姿も、必死に戦っている姿も。

すぐそばで見てきたからこそ、わかってしまう。




自分の存在が、きっと障壁になることを。

彼の隣に立つ勇気を、持てなかったことを。




忘れると誓ったのに。

忘れてほしいと願ったのに。




瞳を閉じれば浮かんでくるのは、

少年のようなまっすぐな瞳と、くしゃくしゃに寄る目尻の皺。

人懐っこいその笑顔は、誰もを魅了する。




――会いたい。



こぼれそうになった言葉を飲み込むように、大きく息を吐いた。



「食事、少しでもいいから摂ってね。水分は絶対」



言い聞かせるような声のあと、

「じゃあね」と去ろうとする気配。




――そのとき。



私の向こう側に、軽く会釈をする仕草に、わずかな違和感を覚える。




重い身体をどうにか動かして、そちらへ顔を向けると――




そこにいたのは、

怒っているような、心配しているような、

複雑な表情を浮かべた彼だった…







彼の顔が、はっきりと視界に入る。


――見つかった。


そう理解した瞬間、胸の奥がきゅっと縮む。




「……詩ちゃん」


絞り出すような声。


「おいおいおい」


間の抜けた、けれどどこか優しい声音が重なる。



「それで隠れたつもりかいな。逃げられるわけないやろ」



布団の上から苦笑する気配に、懐かしさが一気に押し寄せる。



その声だけで、もうだめだった。




涙が、あふれた。









「顔、出してや……」


そっと持ち上げられた布団の隙間から、新鮮な空気が流れ込む。


その向こうに、目尻を下げた情けない顔が覗いた。



「怒ってんねんで、俺」



頬を伝う涙を拭いながら、少しだけ拗ねたような顔。


けれどその瞳は、変わらず心配そうにこちらを覗き込んでいる。


こんな距離で彼を見るのは、いつぶりだろうと、ぼんやり思う。



「……ごめんなさい」



思っていたよりも素直にこぼれた言葉に、

自分でも少しだけ安堵する。



「難しい話は今度にしよ。

 とにかく、大丈夫か?」



間を置かずに続く言葉。



「なんか口に入れる?

 それとも水分か?」



落ち着かない様子で、あれこれと動き出すその姿に、思わず笑みがこぼれる。



それに気づいた彼が、目を細めた。



「余裕やんな、自分」



少しだけ意地の悪い口調なのに、どこかほっとした響き。



「元気になったら、おぼえとけよ」



その言葉に、また小さく笑ってしまう。




ふっと、空気がふと緩んだその瞬間、距離が縮まる。



そのまま触れてしまいそうなくらいの近さ。



ほんの一瞬だけ、その距離のままでいたいと思ってしまう。




でも。

――これ以上、近づいたらだめだ。



そう思ったのは、自分の方だった。




「……ほんまに」


彼が何か言いかけるのを遮るように、視線をそらす。



――言いたいことも聞きたいことも、あるはずなのに。



なにが正解なのか、正解があるのかすら分からずに、下げた顔の先、見えた自分の指先もピクリともしない。



ただわずかに動いた唇も、それきり止まった。



それを見ていたのかどうか、彼は何も言わない。


ただ、少しだけ視線が柔らかくなる。


彼の気配だけがやけに近く感じた。



布団の上にあった手が、そっとこちらに伸びる。


触れる直前で一瞬だけ止まって、それでも今度は引っ込まなかった。




指先が、手の甲に触れる。


たったそれだけなのに、息が止まる。


「……よかった」


掠れた声が落ちる。


安心したような、力が抜けたような、そのどちらにも寄りすぎない声だった。




「まじ頼むわ……」



離さないまま、確かめるみたいにそっと包む手に、ほんのわずかな震えが混じる。



その手の温度が、やけに現実的で、逃げ場を奪う。



――こんなふうに触れられてしまったら。



一瞬だけ、そう思う。


けれど次の瞬間には、別の考えがそれを押し返す。



――それでも、だめだ。


ここにいてはいけない理由だけは、ちゃんと残っているのに。


手の中のぬくもりだけが、それを曖昧にしていく。




ただ、どちらにも行けないまま、指先だけがわずかに動かなかった。


近いのに、不器用で、どうしようもなく優しい距離だった。


それだけが、どうしようもなく残ったまま。




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