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そのまま。  作者: こまこま
3章
17/43

3-4

昼下がり。


目が覚めた時、

部屋の空気が、少し違った。


「おきたか」


いつも通りの声。

でも、

その手元にあるものに、

視線が止まる。


スマホ。

珍しく、

画面が伏せられていない。


通知が、

いくつも並んでいるのが、

見えた。


知らない名前。

知らない文字列。


でも——

ひとつだけ、

目に引っかかる。


“例の件”


一瞬で、

呼吸が止まる。


(……なに、それ)

勇人の指が、

その画面をすっと伏せる。


「リハビリ頑張ったな」


いつもと同じ声。

でも、

ほんの少しだけ早い。


隠すような動き。

それだけで、

分かってしまう。



自分の知らないところで。


胸の奥が、ざわつく。

理由のないまま、ざわつく。


怖い。


でも——

目が、逸らせない。


「なんでもないで」


軽く笑う声。

でも、

さっきまでとは、


少しだけ違う。

ほんのわずかに、

張り詰めている。


「ちょっと連絡来とっただけや」


そう言いながら、

スマホをポケットにしまう。


それ以上、

何も言わない。

聞けない。


聞いたら、

戻れなくなる気がして。


「……うた?」


呼ばれて、

はっとする。


いつもの距離。

いつもの声。


なのに——


さっき見た“外”が、

頭から離れない。


(……行くの?)


言葉にはならない。

でも、

確かに浮かんだその感情に、


自分で息が詰まる。

ぐちゃぐちゃのまま、


ただ、

動けずにいた。






「ちょっと外、行ってくるな」


何気ない声。

それが、今日は違って聞こえる


どこに…?

胸がざわつく。


指が、

無意識に動く。


止めたい。


「……っ」


途中で、

止まる。


(……だめ)


昂汰の視線が、

そこに落ちる。


「……うた」


低い声。

一歩、近づく。


「手、なんで止めたん」


逃がさない聞き方。

びく、と肩が揺れる。


視線が逸れる。

言えない。


「どうした?行かせたくないん?」


一瞬で、

核心を突かれる。


息が詰まる。

違う。

違うのに。


「……それとも」


間。

「行かせなあかん思ってるん」


どっちも、

当たってる。


だから、

動けない。


詩の指が、

ぎゅっと握られる。


沈黙。

それが、

答えだった。


「……そっか」



「今日な」


ぽつりと続く声。


「呼ばれてんねん」


初めて出てくる、

“外”の具体。


「顔出すだけでええって言われてる」


「だから、ちょっと行ってくるな」


はっきり言う。

優しさじゃなく、

選択として。


その一言で、

空気が、止まる。


びく、と

詩の身体が揺れる。


(……あ)


初めて見る反応。

はっきりした、


“拒否”。


声は、出ない。

止められない。

ただ、

指だけが、

震えている。


そのまま、

一歩、近づく。


「……止めへんの?」


静かな声。


詩の唇が、

わずかに動く。


——いって


それ以上、

続かない。


視線が、

揺れる。


(……無理や)


その全部が、

伝わる。

長い、沈黙。


やがて、

昂汰が、

小さく息を吐く。


「……ほな、行ってくる」


さっきまでと、声の重さが違う。

“行く前の声”になっている。


「すぐ戻る」


繰り返す。

自分に言い聞かせるみたいに。


そして——

一歩、

離れる。


その瞬間。

詩の指が、

空を切る。


届かない距離。


「……っ」


音にならない声。

そのまま、

扉が、閉まる。





どれくらい経ったのか、

分からない。


部屋は、静かで。

さっきまでの温もりが、

もうない。


(……行った)


分かってるのに、

胸が、

追いつかない。


せめて、笑顔で送り出せばよかった





そのとき。


——コンコン


ノックの音。


びく、と

身体が跳ねる。

昂汰じゃない。


違う。


分かる。


「失礼します」


聞いたことのない声。

扉が、ゆっくり開く。


知らない人。

スーツ姿。


視線が、

一瞬で、

全身をなぞる。


「……ああ」


小さく、

納得するような声。


「ご本人、で間違いないですよね」


——終わった、と思った。


息が、止まる。


視界が、狭くなる。


(……見られてる)


傷も。

声が出ないことも。

全部。


「今回の件で、少し——」


言葉が、

頭に入ってこない。


身体が、

動かない。


逃げたいのに、

逃げられない。


そのとき——


「誰や」


低い声。

振り返る間もなく、

強い足音。



次の瞬間、

視界が遮られる。


「出ていけ」


短く、低い声。


完全に、

“外の顔”。


いつもとは

別人みたいな温度。


「いや、少しお話を——」


「面会謝絶や」


被せるように言う。

一歩、前に出る。

詩の前に、立つ。


「二度と勝手に来んな」


空気が、

張り詰める。


数秒の沈黙のあと、


舌打ちまじりの気配。


足音が、

離れていく。


扉が閉まる。


静寂。


そのまま、


しばらく、動かない。


やがて——


「……うた」


さっきとは違う声。

一気に落ちた温度。

振り返る。

顔を覗き込む。


その目が——

わずかに揺れる。


「……大丈夫か」


掠れた声。


でも——


詩は、

動けないまま。


外が、

入ってきた現実だけが、

重く、残っていた。





「……ごめん」


その声が、

遠く聞こえる。


視線が、合わない。


(……見られた)


さっきの視線が、

頭から離れない。


上から下まで、

なぞるみたいに見られた感覚。


——あの日と、同じ


「……うた?」


呼ばれる声に、

反応できない。


息が、浅い。


指先が、冷たくなる。


(……違う)


これは今じゃない。

でも——

身体が、

そう思ってくれない。


視界が、揺れる。


天井が、一瞬だけ、

別の場所に変わる。


——床に叩きつけられる音


——誰かの荒い息


——掴まれる腕


あの日の感覚が、皮膚の下で蘇る。


「……っ」


声にならない。

息が、

うまく吸えない。

胸が、

潰れるみたいに苦しい。


ブーッ

音が遠くで聞こえている

「すみません、詩が…!」



「うた、こっち見て」


近づく気配。

でも——

無理。

怖い。

触られる、って思った瞬間、

びく、と

身体が強張る。


それを見て、


昂汰の動きが止まる。


(……あ)


分かる。

止まったのが。

それが——

余計に怖い。


「……触らへん」


すぐに落ちる声。

低くて、

抑えた声。


「大丈夫や」


距離を、保ったまま。


それでも、


息が、整わない。


(……やだ)


息が、うまく吸えない。

身体だけが、別の場所に落ちていく。


「……っ」


(たす、けて…)


ぎゅっと、

シーツを掴む。


でも——


違う。


違う。


欲しいのは、


それじゃない。


震える指が、


宙を掴む。


届かない。


「……うた」


一瞬、間。


迷い。


でも——


「ごめん」


小さく、落ちる。

次の瞬間、

距離が詰まる。


びく、と

大きく反応する身体。


それでも——

止まらない。


「大丈夫や」


強くはない。

でも、

はっきりした声。

腕が、包む。


「俺や」


耳元で、

低く落ちる。


「今は、ここにおる」


何度も繰り返す。


呼吸に合わせるみたいに。


「大丈夫」


「ここは大丈夫や」


「ちゃんとおる」





背中に回された手が宥めるように

上下に動く


身体は強張ったまま。


でも——

少しずつ、

ほんの少しずつ、

力が抜ける。


「……うた」


名前を呼ばれるたび、


現実が、


戻ってくる。


「……っ」


ようやく、


息が入る。


胸が、


大きく上下する。


視界が、


にじむ。


「……ここ」


かすれた声。

音にはならない。

でも、

確かにそう言った。


その瞬間、

昂汰の腕が、

ほんの少しだけ緩む。


「せや」


低く、

優しい声。


「ここや」


そのまま、

離さない。


でも、

押さえつけない。


戻るのを、

待つみたいに。


詩の指が、

ゆっくりと、


シャツを掴む。


今度は——


はっきりと。


「……っ」


息が、崩れる。


涙が、落ちる。


さっきまでの、


ぐちゃぐちゃな感情とは違う。


もっと深いところから、


壊れたものが、

溢れてくるみたいに。


「……大丈夫や」

低く、もう一度。

「ここは、誰にも触らせへん」


その一言で、

部屋の空気が、少しだけ変わる。


外の音が、遠のいた気がした。



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