2-9
「おやすみ」
今日も頑張ったな、
額に触れる手が、やけに軽いまま、少しだけ間を置く。
「……バット振ってくる」
言ったあと、自分で一瞬止まる。
何でもないみたいに笑って、部屋を出ていく。
相変わらず
出ない声
力の入らない手
思うように戻らない身体に
巣食うのは
彼を手放したくない…
真っ黒な感情
ブンッ
「行ってきて」
送り出せない自分に
「はあ…」
時間だけが過ぎていく
「だいぶ座ってられるようになったなぁ」
嬉しそうに言うその言葉も
タイムリミットを突きつけられているようで
そんな自分に嫌気がさす
「元気ないなぁ?」
どうしたん?
何度も心配そうに聞かれるのに
声が出ないことをいいことに
なにも説明せずに終わる
そんな事を繰り返していた
「リハビリ頑張れよ?」
コクンと頷くわたしに
満足そうな顔
「待ってるからな」
いつもと同じ声。
変わらないはずなのに、
胸の奥が、ざわつく。
「俺はバットでも振ってようかな」
頑張って、って
言わなきゃいけないのに。
応援しなきゃいけないのに。
唇が、わずかに動く。
——いってもいいよ
声にならないまま、喉の奥で消える
違う。
そうじゃない。
でも、
それ以外の言葉が、
浮かばなかった。
もう一度、
形だけをなぞるみたいに、
唇が動く。
…いきたい、よね
音にはならないまま、
それでも、
確かに“そう言った”。
一瞬、
動きが止まる。
「……うた」
低く呼ぶ声。
ゆっくり、
顔を覗き込まれる。
「……今、なんて言ったん」
試すみたいな声。
でも、もう一度は言えない。
目を逸らしたまま、
小さく首が動く。
それだけで、
伝わってしまう。
「まだや」
やさしい声。
ほんの少しだけ、
言葉を探す間。
「今は、まだ行かへん」
視線を逸らしたまま、
ぽつりと落とす。
「詩のそばにおる」
心配せんと、頑張っといで
クシャクシャと頭を撫ぜられた。
——やさしい
そう思った瞬間、
胸の奥が、きしんだ。
そのまま、
撫でられた感触が残る。
あたたかいはずなのに、
なぜか、落ち着かない。
視線が、
無意識にその背中を追う。
「……っ」
違う。
こんなふうに、
縛りたいわけじゃない。
分かってる、あの人には戻る場所がある
そこが、
どれだけ大事なものかも、
知ってる。
——それでも
胸の奥が、
じわじわと熱を持つ。
「……やだ」
声にならないまま、
唇だけがそう動く。
行ってほしいって、
思わなきゃいけないのに。
応援しなきゃいけないのに。
できない。
できない自分が、
なにより嫌で。
ぎゅっと、
シーツを掴む。
あの日みたいに、
突き飛ばしたくなんてないのに。
守りたいのに。
「……っ」
視界が、にじむ。
やさしいから、
離れられない。
やさしいから、
余計に苦しい。
覚悟が、できない




