2話 美しい魂の作り方
「おい、お前……こんなきったねぇ部屋で暮らしてんのか!?」
鼓膜をつんざくような怒声が、六畳一間のボロアパートに響き渡った。
オリビアは命を奪いに来たはずの死神に何故か命を救われ、成り行きで彼を自宅へ連れ帰ってきてしまっていた。
「そ、掃除する時間がなくて……っ」
「せめて死ぬ前に部屋くらい片付けてから行けよ」
うへぇ〜、と。死神が指先だけで、床に落ちていた丸まった靴下をつまみ上げた。
脱ぎ捨ての衣類たち。持ち帰り仕事の書類の山。足元には空の栄養ドリンクの小瓶がゴロゴロと転がっている。
「あー。だめだっ!! こんなんじゃ!!」
死神は靴下を放り投げると、虚空から引っ張り出した『サーモンピンクのエプロン』をバサッと身にまとった。
頭には水玉模様のバンダナ。右手には大鎌──ではなく、ふわふわの『はたき』。
「いいか!? 環境の乱れは魂の乱れだ! こんなゴミ溜めみたいなとこで、綺麗な魂なんて育つわけないだろ!!」
そこからはもう、神速だった。
床に散乱した衣類を回収し、テレビ台の上に溜まっている埃にハタキをかける男。その見事すぎる身のこなしに、オリビアはポカンと立ち尽くすしかなかった。
「あなた……本当に、死神なんですよね?」
「そうだけど、見てわからない?」
わからない。絶対に、わからない。
死神の端正すぎる顔立ちと、真紅の瞳はそのままに、完全なるお掃除スタイルで彼が振り返る。
「死神って人間の魂をあの世に連れていくっていう……」
「そう。って……ああっ、もう! そこの空きペットボトル踏むな! ラベルを剥がして分別しろ!!」
「ひゃいっ! すっ、すみません……」
ビクッと肩を縮こまらせたオリビアを見て。
死神は、ふぅ、と短く息を吐き、少しだけ声のトーンを落とした。
「……僕はね、美しい魂が大好きなんだ」
床に転がる空き缶を拾い上げ、ゴミ袋へ放り込む。話しながらその手は止めない。
「仲間内にはさ。なんでもいいから寿命が来たら刈り取って、ぽいって天界に送る奴もいるよ。でも──僕は違う」
死神はオリビアの方をゆっくりと向いた。
「魂って、人生そのものなんだ。苦しんで、泣いて、笑って、誰かのために生きて。最後に『あぁ、生まれてきてよかった』って心から思えた魂はね、宝石みたいに輝くのさ」
透き通るような真紅の瞳が、優しく細められる。
「僕は……その瞬間が見たい。人生全部を懸けて磨き上げた、宝石みたいな魂を」
熱を帯びたその声色に、オリビアは目を逸らせなかった。
「そして──それを迎えに行くのが僕の仕事」
死神はニカッと無邪気に歯を見せて笑った。
「最高だろ?」
返事はなかった。
窓から吹き抜ける夜風。真剣な赤い瞳。静かな余韻が、六畳の部屋を包み込む。オリビアが自然と体の力を抜いた、次の瞬間。
「なのに!!」
突然の怒声と共に、死神がズカズカと足音を立てて迫ってくる。
あっという間に鼻先が触れ合うほどの至近距離まで詰め寄られると、両手で頬をむんずと挟み込まれた。
「ふむぅっ!?」
「おまえときたら!! こっちは綺麗な魂が回収できると思って急いで駆けつけてみたら、飛び降りしようとしやがって!! おまけに……っ」
そのまま容赦なくぐりぐりとこね回し、つきたての餅のようにほっぺを横へと引っ張る。
「あふぅっ、いはいっ(痛いっ)」
「賞味期限の切れたコンビニ弁当ばっか食って! ゴミ部屋! 寝る暇もない仕事! クソ彼氏!! 素材を台無しにする天才か!!」
ポンッ、と頬を解放され、オリビアはほっぺを手で押さえた。
「ううっ。なんで色々知ってるんですか……」
そんな彼女を呆れ顔で見下ろし、ピンクエプロンの死神は地団駄を踏みながら絶叫する。
「こんな環境で綺麗な魂なんて育つわけないだろ!!」
死神は「あーあ、信じらんない!」とブツブツ文句を垂れながら、再び部屋の片付けを再開した。
キュッキュッ!と床を磨き上げるその後ろ姿は、どう見ても家事に追われるオカンである。
その背中を見つめながら、オリビアはおそるおそる口を開いた。
「あの……そもそも美しい魂って、どうやって作るんですか?」
その言葉に死神は雑巾を片手に振り返り、心底呆れたような顔をする。
「健康的な食事と、充分な睡眠。あと、適度な運動!」
「魂の話なのにスピリチュアル要素ゼロ!?」
「美しい魂は健康な体に宿るんだよ。体を雑に扱う奴は、魂までくたびれていく」
死神はジト目でオリビアの全身を上から下へと舐め回すように観察した。
「だから……お前の身なりは最悪。ボサボサの髪に艶のない肌」
「うっ……」
「服だって、なんでそんなにボロボロなの? ブラック企業とはいえ、しこたま働かされてんだろ?」
一切の容赦がない、物理的かつ的確なダメージ。痛いところを突かれ、オリビアはギュッと唇を噛んで俯いた。
「っ……働いては、います。でも……」
言い淀んだ彼女の言葉を、遮るように。
──ピンポーン。
片付いて静かになった部屋に、無機質なチャイムの音が響いた。
ドクンッ、と。オリビアの心臓が、嫌な音を立てて大きく跳ねる。
『おい、オリビアー。いるんだろ、開けろよ』
ドアの向こうから聞こえてきた、低く苛立った男の声。立ち尽くすオリビアに死神が声をかける。
「おい、呼んでるぞ。出ねぇのか?」
「……っ」
ガンッ! ガンッ!
ドアが悲鳴を上げるように震えた。
『おい! 開けろって言ってんだよ!!』
乱暴にドアを蹴り飛ばす音に、オリビアは小刻みに震える。
出たくない。でも、出なければドアを壊されかねない。そして、どんな目に遭うか……。
冷や汗が滲み、恐怖で身体が完全に硬直していた、その時。
「うるさいなぁ。せっかく綺麗にしたのに、埃が舞うだろ」
彼は震えるオリビアを一瞥すると、ピンクのエプロンをヒラリと揺らし、迷うことなく玄関へと向かう。
「あっ、だめ……っ!」
止める間もなかった。死神は一度も振り返らない。
ガチャリ、と。死神は躊躇なく鍵を開け、勢いよくドアを引く。
「おっせぇんだよ……って、誰だお前? 家政婦か?」
ドアの向こうに立っていた茶髪の男は、ピンクエプロン姿の死神に一瞬怪訝な顔をしたものの、すぐに室内のオリビアを見つけて卑下た笑みを浮かべた。
「はっ、家政婦なんて雇う金隠し持ってたわけ? 『もう今月は生活費すら残ってない』って泣きついてたのによぉ。……なぁ、オリビア?」
「ちっ、ちがっ……」
ズカズカと。土足で踏み荒らしながら、男はオリビアの元へ歩いていく。
「あーあ、ショックだわー」
男はわざとらしく天を仰ぎ、これ見よがしに大きな溜息を吐いた。そして、オリビアの目の前で止まると。
ガシッ!!
「うっ……!」
男は無造作に手を伸ばし、オリビアの髪を乱暴に掴んで上に引っ張った。頭皮に走る痛みに、オリビアの顔が歪む。
「彼氏を平気で騙すような最低な女……やっぱ、約束通り今日死んだ方がいいんじゃねぇの?」
ヒュッ、とオリビアの喉が鳴る。
男は怯えてへたり込む彼女の前にしゃがみ込み、軽いトーンで言った。
「そういや、今日ビルの屋上から飛ぶって言ってなかったっけ? そろそろお前にかけた保険金、回収してパァッと遊びたいんだわ。……わかるだろ?」
オリビアは恐怖で完全に喉が干からびてしまい、声が出ない。
何か言わなければ。頭ではわかっているのに、掠れた呼気しか出てこなかった。
視界がぼやけ、大粒の涙がボロボロと頬を伝い落ちる。ただ震えることしかできない彼女を見下ろして、男はさらに機嫌を良くしたように目を細めた。
「お前、『オレに一番幸せになって欲しい』って言ってたよな。ほんっと、そういう健気なとこ、かわいくて好きだよ」
男はニィッと口角を歪めると、オリビアの顔を覗き込んで、甘く囁いた。
「だからさぁ……大好きなオレの幸せのために、さっさと死んでくれよ、オリビア」
「っ……」
その、吐き気を催すような悪魔の囁きが落ちた、直後だった。
ピキッ、と。
六畳の部屋の空気が凍りついた。
「おい……」
地を這うような、恐ろしく低く、冷たい声。
男が振り返る暇すらなかった。
ピンクエプロンの死神は、無造作に右手を虚空へと伸ばし──そこから『漆黒の巨大な大鎌』をズルリと引きずり出した。
「──ッ!?」
死神は瞬き一つの間に男の背後へと回り込んでいた。死の匂いを纏う鋭利な刃先を、男の首元にピタリと突きつける。
「誰の許可を得て……僕のモノを傷つけてるの?」
真紅の瞳から、一切の温度が消えていた。
その瞳に映る男は、もう『人間』ですらなかった。 男の寿命は、初めて『死神』に睨まれた。




