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1話 死神は私を回収してくれない


「どうも。死神です」



 不意に背後から響いた、低く威厳のある声。



「……」



 ゆっくりと、彼女はその声に振り返った。



「あなたの、命をいただきに来ました」



 雑居ビルの屋上。冷たい夜風が、彼女のパサついた金髪を寂しげに揺らしている。



「ちょうどよかった」



 威厳に満ちた死の宣告。だが、コンクリートの低い塀の上に立っていた彼女——オリビアは、やつれた頬に小さく哀愁(あいしゅう)の笑みを浮かべた。



「今から飛び降りるつもりだったの」



 力のない声で、彼女は言葉を紡ぐ。



「生きていても、何もいいことがないんです。仕事もうまくいかなくて。家族もいない、友達もいない。……私なんて、もういない方がいいんです。だから……どうぞ、死神さんの好きにしてください」



 すべてを諦め、静かに目を閉じるオリビア。

 死神は感情の読めない真紅の瞳で、そんな彼女を冷たく見下ろした。



「…………」

「…………」



 沈黙。

 夜風の音だけが静かに響く中。

 ギリッ、と。死神が握りしめる巨大な鎌の柄が、微かに軋む音を立てた。



(ああ、これでついに終わるんだ……)



 オリビアが死の訪れを受け入れ、身をこわばらせた、次の瞬間──。



「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっ!?」

「ひゃい!?」



 夜空を割るような大絶叫が響き渡った。

 死神は自らの頭を両手で抱え込み、頭髪をくしゃくしゃに掻きむしった。大鎌が床に転がり、カツンカツンと床を叩く。



「いやいやいやいやいや!! 何それ!? 飛び降りるって何!? なんで!?」

「え?」

「そんな死に方、ぜんっっぜんっ!! 美しくない!!」

「……はい?」



 困惑したオリビアが首を傾げる。死神はお構いなしに続けた。



「僕の美学に反する! 笑って! 恋して! 時に泣いて! 最高の人生を送って家族に囲まれながら『今までありがとう』って言われて穏やかに眠るように死んでくれないとやぁぁあだぁぁぁぁぁあっ!!」

「えぇ〜……」

「僕、そんな雑な死に方した粗悪な魂なんて回収したくないんだよぉぉぉ!!」



 頭を抱えて地だんだを踏んでいた死神は、ハッと息を飲むと、すさまじい勢いでオリビアに顔を近づけてきた。至近距離で見つめ返してくる、吸い込まれそうなほど鮮烈な赤い瞳。



「そもそも、お前!!」

「な、なんですか……」

「魂が、すっごく澄んでて美しいんだよ! こんな綺麗な魂、滅多にないレベル!! それに……」



 死神は片手でオリビアの両頬をむにっと掴むと、ぐいっと右へ、今度は左へと顔を向けさせる。



「んむっ!? ちょ、ちょっと……!」

「……やっぱり」



 死神は満足そうに小さく頷いた。



「魂が綺麗な子って、顔までかわいいんだな」

「えっ!? かっ、かわいい……!?」



 予想だにしない言葉に、オリビアの顔が一気に朱に染まる。



「何その反応!? 鏡見たことないの? 自己評価どうなってるの!?」

「そんな、お世辞なんて言われたこと……」

「お世辞で僕の魂回収効率を下げるわけないだろ! だからさぁ〜〜っ! もうちょっと人生謳歌して、最高の魂になってから死んでもよくない!?」



 死神はハァハァと肩で息を吐くと、オリビアが立っている屋上ギリギリの足元をチラリと見下ろした。



「しかも何、こっから飛び降りるの? いやぁ……この高さだと死にきれないかもよ? なに? ビビったの?」

「うっ、うるさいですね!! ちょっと……高所恐怖症なだけで……っ!」

「高所恐怖症が飛び降り自殺って……ぷっ、アハハハ! どんなギャグ!?」



 腹を抱えて笑う死神にオリビアがカッとなった。



「なっ、何なんですかあなた一体!! もう私のことなんて放っておいてくだっ……あっ!?」



 興奮して身を乗り出したオリビアがバランスを崩し、塀の縁からツルリと滑り落ちる。

 浮遊感。視界がぐにゃりと歪み、身体が夜の闇へと投げ出された。



「っ──!!」



 猛烈な風が耳元で轟音(ごうおん)を立てる。

 急激に遠ざかっていく屋上の輪郭。眼下に迫る、無機質なアスファルトと街のネオン。



(ああ。これで、やっと──)



 死の恐怖と、ほんの少しの安堵。

 すべてを諦め、ぎゅっと両目を瞑った、その瞬間。


 ──ガシッ!!



「……っ!」



 手首に、強い衝撃と温もりが走る。

 オリビアが目を開けると、死神が身を乗り出して彼女の手首をしっかりと掴んでいた。



「は、離してください……っ! 私なんて、もう……!」

「だから!!」



 風に黒髪をなびかせ、死神は真紅の瞳で真っ直ぐにオリビアを見下ろした。



「そんな美しくない死に方、僕が許さないって言ってるだろ!!」



 必死にオリビアを離すまいと掴むその手に力が入る。



「なっ、なんなんですか……。あなたは死神なんでしょ!? だったらちゃんと仕事してくださいよ!!」

「仕事してるよ! してるから助けてるんだろ!! ここから落ちてペッチャンコになった不格好な魂なんて、天界に持っていけるか!!」



 宙吊りのまま響き渡る、場違いすぎる口論。

 死神はギリッと歯を食いしばると、怒鳴り声を上げた。



「こんなに綺麗な魂なんだぞ!! 雑に終わらせるなんて許さない!!」



 腕を掴む手に、さらに強い力がこもる。



「いらないならお前の人生全部、僕にくれ!! 僕が世界一幸せに仕立て上げて──誰よりも美しい魂にしてやる!!」



 吹き荒れる強風の中。

 真紅の瞳が、オリビアを真っ直ぐに射抜いた。



「それで……最期は、この僕がお前の魂を回収してやるよ!!」

「っ……!」



 ぐんっ、と。

 死神が腕に力を込めた瞬間、オリビアの身体がふわりと宙を舞い、一気に屋上へと引き上げられた。

 勢い余って、もつれるように重なり合って倒れ込むふたり。



「痛っ……」



 冷たいコンクリートの上。

 荒い息を吐くオリビアが目を開けると、すぐ目の前——鼻先が触れ合うほどの至近距離に、死神の端正な顔があった。

 彼はオリビアのエメラルドの瞳を真っ直ぐに覗き込んだ。



「だから、その魂、絶対に汚すなよ。もったいないからっ!!」

「……はい?」



 かくして。

 生きることに絶望していた孤独なオリビアと、彼女の魂を『最高の状態』で連れて帰りたい死神による、ハチャメチャな幸福プロデュースが幕を開けたのである。





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― 新着の感想 ―
急転直下で出現したこの死神、責任取る気満々じゃないか…… これはもう幸せになるしかない
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