第十八話 夜明けの勝利
予備炉の鍵を握った瞬間、地下牢獄の奥にあった石壁が開いた。
現れたのは、上へ続く細い昇降路だった。
《予備炉への緊急通路が解放されました》
「これを使えば、予備炉へ直接出られる」
リゼットはそう言ったが、足を踏み出した直後にわずかによろめいた。
《リゼット・アークレイン》
Lv.27
HP:315/2,030
状態:重傷、疲労、出血・大
ユウは残していた回復薬を取り出した。
「飲んで」
「ユウも傷を負っている」
「俺はまだ動ける。リゼットが倒れたら、予備炉まで辿り着けない」
リゼットは一瞬だけ薬瓶を見た。それから何も言わずに受け取り、赤い液体を飲み干した。
傷口を淡い光が覆う。流れ続けていた血が止まり、彼女の表情にもわずかに余裕が戻った。
《リゼット・アークレイン》
HP:315 → 760/2,030
状態:重傷、疲労、出血・大 → 中傷、疲労
「戦えるか?」
「戦う以外の選択肢がないならな」
リゼットは剣を鞘へ戻し、昇降路へ足を踏み入れた。
「行くぞ、盟約主」
二人は通路を駆け上がった。
途中で敵は出なかった。地下牢獄の封印術式が戻ったことで、呪牢狼も、牢に残っていた異形も押し込められたのだろう。
聞こえるのは足音と、城のどこかで崩れる石の音だけだった。
やがて前方に青い光が見えた。
予備炉室だ。
中央には、主炉より一回り小さな魔力炉がある。青い結晶を幾重もの金属輪が囲み、床には第七騎士団の紋章と複雑な術式が刻まれていた。
炉は停止しているが、完全に死んではいない。結晶の奥で、かすかな光が脈打っている。
《予備炉・起動待機状態》
起動条件:
・予備炉の鍵 達成
・失われた旗印 達成
・騎士団長および旗手の共同承認 未達成
「これで終わりだな」
ユウは制御台へ近づいた。
古びた鍵を差し込むと、炉の奥で重い歯車が回り始める。次に、浄化された旗印を制御台の窪みへ置いた。
青銀の布が淡く光り、床の術式へ光が広がっていく。
「リゼット」
「ああ」
二人は同時に、第七騎士団の紋章へ手を触れた。
《騎士団長・旗手の共同承認を確認》
《予備炉を起動します》
炉室全体が震えた。
金属輪がゆっくりと回転し、中央の結晶が青白く輝く。一本だった導管に光が走り、二本、三本、四本と増えていく。
やがて城全体へ伸びるすべての導管が、一斉に灯った。
《予備炉が起動しました》
《魔力炉損傷率:34% → 0%》
《城の維持率:53% → 81%》
城のどこかで、止まっていた設備が次々に動き出す音がした。
城門、西塔、地下水路、見張り台。
長い眠りから目覚めるように、廃城全体へ魔力が戻っていく。
《第七騎士団城・防衛機構を復旧しました》
《城門封鎖壁:再起動》
《魔力弩砲:再起動》
《監視塔:再起動》
その直後、城全体を揺らすほどの咆哮が響いた。
「グルァアアアアアアアッ!」
黒牙王ヴァルグ。
戻ってきた。
《緊急警報》
《黒牙王ヴァルグが城門前に出現しました》
ユウの視界に、城門前の映像が表示される。
夜明け前の薄暗い空。崩れた西塔。城門前に集まった黒牙狼の群れ。
そして、その中央で牙を剥く黒牙王。
《黒牙王ヴァルグ》
Lv.32
HP:7,930/9,800
危険度:A
状態:左前脚損傷、右目負傷、激昂
黒牙王は、予備炉の起動した魔力を感じ取ったのだろう。
城門を破り、この城を奪うために戻ってきた。
「今度こそ、城を落とすつもりか」
リゼットが剣を抜く。
「正面から迎え撃つ」
「待って」
ユウは防衛画面を見た。
魔力弩砲。城門封鎖壁。西塔の残骸。地下水路。
城の防衛設備は戻った。ここでリゼットが一人で正面から戦う必要はない。
「リゼットは地下水路から出て、黒牙王の右側へ回って」
「正面はどうする」
「城で止める」
リゼットは一瞬だけユウを見た。
それから、迷わず頷いた。
「了解した」
彼女は地下水路へ向かって駆け出す。
ユウは旗手権限を開いた。
《第七騎士団旗・臨時指揮権限》
使用可能設備:
・城門封鎖壁
・魔力弩砲
・落とし格子
・拘束鎖
・監視塔
「第一命令。城門封鎖壁、開放」
城門前の巨大な石壁が、左右へゆっくりと開いた。
黒牙狼たちが一斉に吠える。城が無防備になったと思ったのだろう。
黒牙王が真っ先に走り出した。
「第二命令。魔力弩砲、黒牙王の左右へ射撃」
見張り塔の側面が開き、そこから放たれた青い光弾が黒牙王の左と後方へ着弾する。
狙いは当てることではない。
逃げ道を削ることだ。
黒牙王は光弾を避け、城門正面の細い道へ追い込まれていく。
その先には、崩れた西塔から続く瓦礫の斜面があった。
「第三命令。西塔残骸、崩落」
予備炉から送られた魔力が、西塔の基部へ流れ込む。
崩れかけた石壁に走っていた亀裂が一斉に光り、次の瞬間、西塔の残骸が黒牙王の進路へ崩れ落ちた。
轟音と土煙。
黒牙王は瓦礫の上へ跳んで逃れたが、傷ついた左前脚が石の隙間へ沈む。
巨体が大きく傾いた。
「今だ!」
地下水路の出口から、リゼットが飛び出した。
彼女は黒牙王の右側へ回り込み、首元に残っていた傷へ剣を振り抜く。
刃が深く食い込んだ。
《黒牙王ヴァルグ》
HP:7,930 → 6,980
黒牙王が振り返り、リゼットへ牙を向ける。
ユウは城門上の鉄鎖へ魔力糸を繋いだ。次に、黒牙王の傷ついた左前脚へ糸を伸ばす。
細い糸で巨体を引けるはずがない。だが、鉄鎖を城門の滑車へ通せば、僅かに重心をずらせる。
ユウは全力で糸を引いた。
黒牙王の左前脚がほんの少し引かれ、傷口が開く。
巨体が傾いた。
「ここで終わりだ、黒牙王!」
リゼットの剣が、黒牙王の首元を深く貫く。
黒牙王が絶叫した。
それでも倒れない。赤い目がリゼットを捉え、残った力を振り絞って牙を振り下ろそうとする。
「第四命令。拘束鎖、展開!」
城門の上から太い鎖が落ちた。
黒牙王の首と胴、前脚へ絡みつき、巨体を瓦礫へ押しつける。
黒牙王は暴れ、鎖が軋む。だが、今度は一人で押さえる必要はない。
「リゼット、下がって!」
ユウは防衛画面の最後の項目を選んだ。
魔力弩砲。
照準は黒牙王の頭ではなく、足元の瓦礫のさらに下。堀へ続く崩落寸前の地面。
「第五命令。魔力弩砲、最大出力」
青い光弾が、夜明け前の空を裂いた。
黒牙王の足元で大地が崩れる。
拘束鎖に絡まれた巨体が、瓦礫ごと深い堀へ落ちた。
土煙が上がり、しばらく何も聞こえなかった。
やがて堀の底から、低い唸り声が響く。
黒牙王はまだ生きている。
だが、立ち上がれない。
《黒牙王ヴァルグを撃破しました》
《ボス撃破経験値を獲得しました》
《ユウ》
Lv.9 → Lv.10
HP:247/247 → 266/266
筋力:16 → 17
敏捷:19 → 21
知力:34 → 36
《リゼット・アークレイン》
Lv.27 → Lv.28
HP:760/2,030 → 760/2,115
状態:中傷、疲労
城門前に残っていた黒牙狼たちが、堀の下を見て動きを止めた。
王の敗北を理解したのだろう。
ユウは城門上から、黒牙王へ呼びかけた。
「黒牙王ヴァルグ」
堀の底で、残った片目がこちらを睨む。
「まだ戦うなら、城はお前を倒す。でも、お前の群れまで殺すつもりはない。森へ帰るなら、道は開ける」
黒牙狼たちは、王の答えを待っている。
しばらくして、黒牙王は唸り声を止めた。
そして、ゆっくりと頭を下げた。
《黒牙王ヴァルグが敗北を認めました》
《征服の盟約:契約可能対象を確認》
対象:黒牙王ヴァルグ
契約枠:第二枠を使用します
盟約を結びますか?
ユウが表示へ手を伸ばしかけたとき、リゼットが前へ出た。
「待て」
低い声だった。
彼女の剣は、まだ黒牙王へ向けられている。
「こいつは城門を破り、この城を奪おうとした。私を傷つけ、お前も殺そうとした敵だ。敗北を認めたからといって、即座に仲間として迎え入れる理由にはならん」
黒牙王が低く唸る。
だが、鎖に拘束されたまま飛びかかろうとはしない。
ユウは表示を閉じた。
「そうだね。俺も、強いから仲間にしたいわけじゃない」
リゼットがユウを見る。
「なら、なぜ契約画面を出した」
「選べるって分かったから。こいつが城を襲った理由を知りたい。それに、契約するなら条件を決める」
黒牙王の周囲に、黒牙狼たちが集まる。
傷ついた王を守るように。
「ヴァルグ。お前は、この城が自分たちの縄張りを奪ったと思ってるのか?」
黒牙王はしばらく動かなかった。
やがて低く唸る。
その声に合わせ、ユウの視界に短い翻訳ログが浮かんだ。
《黒牙王ヴァルグ》
――城の光が森を焼いた。
――群れの巣を追われた。
――光を止めるため、城を壊す。
ユウは崩れた西塔と、予備炉から伸びる青い導管を見る。
廃城の魔力炉が壊れかけていたせいで、制御されていない魔力が森へ漏れ出していた。
黒牙王は城を奪いたかっただけではない。
自分の群れを守るために、原因である城を壊そうとしていた。
「それでも、城を襲ったことは許せない」
ユウは言った。
「リゼットを傷つけたことも、俺を殺そうとしたことも、なかったことにはしない」
黒牙王の耳が伏せられる。
「でも、今からは違う。俺たちの旗の下に入るなら、城と森の両方を守れ。群れを使って人を襲わない。仲間に牙を向けない。約束を破ったら、そのときは盟約を切る」
リゼットは黙って聞いていた。
しばらくして、剣をゆっくりと下ろす。
「私は、こいつを許したわけではない」
黒牙王へ向けて、はっきりと言う。
「だが、お前が城を壊そうとした理由が、群れを守るためだったことは理解した」
リゼットは、ユウの隣へ並ぶ。
「盟約主が条件を提示し、お前がそれを受け入れるなら、私は騎士団長として監視する。次にこの城へ牙を向けたときは、容赦しない」
黒牙王は、しばらくリゼットを見上げていた。
それから、ゆっくりと頭を下げる。
《黒牙王ヴァルグが盟約条件を受諾しました》
《第二の盟約が成立しました》
《ユウ》
契約枠:2/5
第一枠:リゼット・アークレイン Lv.28
第二枠:黒牙王ヴァルグ Lv.32
第三~第五枠:封印中
《黒牙王ヴァルグ》
Lv.32
HP:1,860/9,800
状態:重傷、左前脚損傷、右目負傷
契約状態:盟約中
東の空が白く染まる。
夜明けだ。
《ユニーククエスト:部下ゼロの騎士団長》
最終目標達成
夜明けまで城を維持せよ
《クエストクリア》
《ユウ》
Lv.10 → Lv.11
HP:266/266 → 285/285
筋力:17 → 18
敏捷:21 → 22
知力:36 → 38
《第七騎士団城》
拠点化権限を獲得しました
朝の光が、城壁と青銀の軍旗を照らす。
部下ゼロだった騎士団長。
最弱職だったサモナー。
そして、空っぽだった契約枠。
最初の夜を越えた時点で、ユウの軍勢には二人の仲間がいた。
リゼット。
そして、黒牙王ヴァルグ。
「街へ戻る前に、入口を閉じる」
ユウが言うと、リゼットは頷いた。
「この城の存在を、他の者に知られたくないのだな」
「ああ。少なくとも、今は」
ユウは城の外壁沿いにある、最初にこの場所へ入った細い裂け目へ向かった。
外から見れば、ただの崩れた岩壁だ。
けれど、ユウが第七騎士団旗を近づけると、石壁の奥に隠された通路が淡く光った。
《第七騎士団城・秘匿入口》
拠点所有者を確認しました。
入口の表示設定を変更しますか?
ユウは「非表示」を選ぶ。
通路を抜け、森側へ出る。
振り返ると、さっきまで確かにあった裂け目は、岩肌と蔦に覆われていた。
城門も、西塔も、軍旗も見えない。
そこにあるのは、登れば行き止まりになる崩れた岩壁と、濃い霧だけだった。
《未招待プレイヤーは入口を発見できません》
リゼットが、霧の向こうを見つめる。
「帰る場所は、隠されたままか」
「必要になったときだけ、見つけられるようにすればいい」
「そうだな」
リゼットは小さく頷いた。
黒牙王は傷が深いため、城内で休ませることにした。
ユウとリゼットだけが森を抜け、朝を迎えた王都エルドリアへの道を歩く。
街へ着いたら、装備を整える。
回復薬を買う。
そして掲示板を確認する。
誰も見つけられないはずの廃城で起きた一夜の攻略を、プレイヤーたちがどう噂しているのか。
ユウはまだ知らない。
王都の掲示板にはすでに、こんな書き込みが増え始めていることを。
――森の北側で、夜中に青い光を見た。
――近づいたら霧しかなかった。
――あの辺、ユニーククエストでもあるんじゃないか?




