第十七話 旗を壊さない選択
黒い鎖に吊り上げられたガイアスの身体が、地下牢獄の中央で大きく脈動した。
赤く染まった旗印から、黒紫の魔力が流れ込んでいる。
鎖はガイアスの腕や脚だけでなく、首元にまで食い込んでいた。彼が自分の意志で操っているように見えた鎖は、実際には旗印と地下牢獄の呪いに動かされている。
《冥鎧騎士ガイアス》
Lv.38
HP:18,000/18,000
危険度:測定不能
状態:呪旗侵食
《ユウ》
Lv.3 職業:サモナー
HP:153/153
筋力:10
敏捷:12
知力:20
所持スキル:魔力感知Ⅰ、契約者支援Ⅰ、魔力糸Ⅰ、指揮補助Ⅰ
契約枠:1/5(第二~第五枠:封印中)
契約者:リゼット・アークレイン(第一枠)
《リゼット・アークレイン》
Lv.25
HP:478/1,860
状態:重傷、疲労、出血・大
旗を壊せば、ガイアスを縛る呪いは止まるかもしれない。
だが、旗印は予備炉を起動するための鍵でもある。
ここで壊せば、城を守る手段まで失う。
「ユウ!」
リゼットの声と同時に、黒鎖が床を割った。
槍のように尖った先端が、ユウの胸へ迫る。
ユウは横へ飛ぶ。
鎖は石壁を穿ち、砕けた破片が背中へ降り注いだ。
「旗を壊したら、予備炉は?」
「完全起動はできなくなる!」
「じゃあ壊さない!」
「だが、放置すればガイアスが呪いに呑まれる!」
鎖が二本、三本と追ってくる。
ユウは走りながら《魔力感知》を使った。
旗印から鎖へ。
鎖からガイアスへ。
ガイアスから、牢獄の床に刻まれた術式へ。
黒紫の魔力は地下牢獄全体に広がっているが、そのさらに下には別の流れがあった。
青い光。
この牢獄に元から備わっていた封印術式だ。
呪いを閉じ込めるための術式が、旗印に流れ込んだ魔力によって押し潰されている。
「壊さなくても、呪いだけを牢獄に戻せる」
「できる保証はあるのか?」
「ない」
ユウは即答した。
「でも、旗もガイアスも捨てるよりはいい」
ユウは旗印へ魔力糸を伸ばした。
触れた瞬間、頭の中へ映像が流れ込む。
燃える城門。
崩れる西塔。
血に濡れた騎士たち。
旗を掲げる若いリゼット。
そして、彼女の前で叫ぶガイアス。
『退け、リゼット! このままでは全員が死ぬ!』
『退けない! ここを抜かれれば、王都の民が巻き込まれる!』
『だからといって、こいつらを死なせるのか!』
『騎士団が退けば、誰が民を守る!』
映像が乱れる。
次に見えたのは、倒れた騎士を抱き起こすガイアスだった。
腕の中にいる騎士は、もう動かない。
炎の向こうで、リゼットは旗を掲げたまま城門へ向かっていた。
ガイアスの怒りと絶望が、濁流のようにユウの中へ流れ込んでくる。
ユウは歯を食いしばり、魔力糸を切らなかった。
ガイアスは部下を守りたかった。
リゼットは城と民を守ろうとした。
守りたかったものが違った。
そのすれ違いが、騎士団を壊した。
「ガイアス!」
ユウは叫ぶ。
黒鎖の動きが、一瞬だけ止まった。
「お前が守りたかった騎士団を、今度はお前自身が壊そうとしてる!」
『黙れ』
「リゼットは間違えた! でも、お前も旗を奪って地下に逃げた!」
『黙れ!』
ガイアスが黒剣を振り上げる。
それに合わせ、鎖の束がユウへ殺到した。
「右へ二歩!」
ユウが叫ぶ。
リゼットが即座に動いた。
《指揮補助》によって繋がった感覚が、以前よりも鮮明だった。ユウが見た鎖の軌道を、リゼットもほぼ同時に理解している。
彼女は右へ踏み込み、襲いかかる鎖を二本避ける。
三本目へ剣を振り下ろした。
鎖が切れる。
「一本!」
ユウは床に手をつく。
青い封印術式へ魔力糸を繋ぐ。
次に、旗印を支える太い鎖へ繋ぐ。
呪いを直接引き剥がすのではない。
呪いが流れる先を変える。
「リゼット! 旗に繋がってる太い鎖を切って! 三本ある!」
「承知!」
リゼットはガイアスへ向かう。
黒剣が振り下ろされる。
彼女は受け流し、鎧の横をすり抜け、旗印へ繋がる鎖を二本目から斬りつけた。
火花が散る。
鎖は切れない。
ガイアスが反撃する。
黒剣がリゼットの肩を裂き、鮮血が飛んだ。
《リゼット・アークレイン》
HP:478 → 315/1,860
状態:重傷、疲労、出血・大
「リゼット!」
「まだ動ける!」
彼女は傷を押さえず、そのまま黒剣の懐へ入る。
ガイアスの腕を剣で受け、身体を回しながら鎖を斬る。
二本目が切れた。
旗印が大きく傾く。
黒紫の魔力が乱れ、鎖の動きが鈍った。
ユウは青い封印術式へ、さらに魔力糸を繋いだ。
一本。
二本。
三本。
頭の奥が焼けるように痛む。
手の指先が震える。
それでも、糸を離さない。
「あと一本!」
リゼットが最後の鎖へ駆ける。
ガイアスが彼女の前へ立ち塞がった。
黒剣が振り上がる。
今度は避けられない。
ユウは《契約者支援》を使った。
銀の魔力がリゼットへ流れ込む。
疲れていた彼女の踏み込みが、一瞬だけ鋭くなる。
黒剣を紙一重で避け、リゼットは旗印の根元へ滑り込んだ。
「ガイアス!」
彼女が叫ぶ。
「お前は私を許さなくていい! だが、あの夜に死んだ者たちまで、お前の憎しみで縛るな!」
リゼットの剣が、最後の鎖を断ち切った。
旗印が宙に浮く。
支えを失った黒紫の魔力が、行き場をなくして暴れ始めた。
牢獄の壁を叩き、床を砕き、ガイアスの身体へ戻ろうとする。
「今だ!」
ユウは魔力糸を一気に引いた。
旗印から溢れた呪いが、青い封印術式へ流れ込む。
紫の霧が、深い穴の底へ吸い込まれていく。
《地下牢獄・封印術式が再起動しました》
しかし、呪いは抵抗した。
黒い鎖がガイアスの首へ巻きつき、彼を深い穴へ引きずり込もうとする。
ガイアスの兜が割れた。
黒い金属片が砕け、床へ落ちる。
露わになった顔は、青白く痩せていた。頬には黒い亀裂が走り、片目は赤く濁っている。
それでも、もう片方の瞳は青かった。
「……旗手」
声は、確かにガイアス本人のものだった。
「ガイアス!」
「俺を……戻すな」
「戻す」
ユウは即答した。
「お前を呪いの中に置いていく気はない」
「違う……俺は、もう……」
黒鎖がさらに強く締まる。
ガイアスは苦痛に顔を歪めた。
「俺は、あの夜に……部下を置いて逃げた」
「だから、今度は逃げるな」
ユウは魔力糸を握り直す。
「自分で鎖を掴め。呪いに引っ張られるんじゃない。自分の意志で、呪いを戻せ!」
ガイアスがユウを見る。
短い沈黙。
それから、彼は自分の首に絡んだ鎖を両手で掴んだ。
手のひらから黒い血が流れる。
鎖は彼の腕を裂き、骨を軋ませる。
それでも、ガイアスは離さない。
「俺は……もう、旗にも……呪いにも従わない!」
ガイアスが鎖を引いた。
ユウが魔力糸を引く。
リゼットが宙に浮いた旗印を両手で掴む。
三人の力が、黒紫の呪いを深い穴へ押し込んでいく。
最後に、牢獄全体を震わせる絶叫が響いた。
紫の霧が消える。
黒鎖が砕ける。
赤く染まっていた旗印は、朝焼けのような淡い青銀へ戻っていった。
《失われた旗印の汚染が浄化されました》
《冥鎧騎士ガイアスを撃破しました》
《ユニークボス撃破経験値を獲得しました》
強い光が、ユウとリゼットを包んだ。
《ユウ》
Lv.3 → Lv.9
HP:153/153 → 247/247
筋力:10 → 16
敏捷:12 → 19
知力:20 → 34
《リゼット・アークレイン》
Lv.25 → Lv.27
HP:315/1,860 → 315/2,030
状態:重傷、疲労、出血・大
《スキルを獲得しました》
《戦術指揮Ⅰ》
盟約者への戦術的な指示により、連携を補助する。
黒い鎧を失ったガイアスが、深い穴の縁へ倒れ込む。
その手には、古びた鍵が握られていた。
予備炉の鍵。
そして、浄化された旗印が彼のすぐそばへ落ちる。
リゼットが近づく。
ガイアスは彼女を見上げた。
「俺は……まだ、お前を許せない」
「分かっている」
「だが、あの夜のために……残った騎士団まで縛るのは、もうやめる」
ガイアスは鍵をユウへ投げた。
ユウは受け取る。
「旗手」
「何?」
「お前が言ったことを証明しろ」
ガイアスの青い瞳が、ユウを真っ直ぐに見た。
「旗の下で、誰も切り捨てない軍勢を作れ。できたなら……そのとき、もう一度俺の前に来い」
《予備炉の鍵を獲得しました》
《失われた旗印を獲得しました》
《第七騎士団旗・再建度上昇》
再建度:12% → 20%
《第二契約枠が解放されました》
《ユニーククエスト:部下ゼロの騎士団長》
目標更新:予備炉を起動せよ
ユウは新しく解放された第二枠の表示を見る。
だが、今ここで仲間を増やす余裕はない。
リゼットの傷は深い。
主炉も待ってはくれない。
まずは予備炉を起動し、夜明けまで城を守る。
それから街へ戻る。
ユウは鍵と旗印を握り、リゼットを見る。
「戻ろう」
リゼットは、倒れたガイアスへ一度だけ視線を向けた。
それから静かに頷く。
「ああ。第七騎士団を、生かすためにな」




