第十六話 旗を憎む騎士
黒い鎖が、床を砕きながら迫った。
一本ではない。
左右の壁、天井、深い穴の底から伸びた鎖が、獲物を逃がさないように円を描いている。
「右へ!」
ユウが叫ぶ。
新しく覚えた《指揮補助》が働いたのか、リゼットは声を聞くより早く動いた。
二人が右へ跳ぶ。
直後、鎖の束がさっきまで立っていた場所へ突き刺さった。石床が大きく割れ、紫の霧が噴き上がる。
《ユウ》
Lv.3 職業:サモナー
HP:153/153
筋力:10
敏捷:12
知力:20
所持スキル:魔力感知Ⅰ、契約者支援Ⅰ、魔力糸Ⅰ、指揮補助Ⅰ
契約枠:1/5(第二~第五枠:封印中)
契約者:リゼット・アークレイン(第一枠)
《リゼット・アークレイン》
Lv.25
HP:812/1,860
状態:軽傷、疲労、出血・小
《冥鎧騎士ガイアス》
Lv.38
HP:12,600/12,600
危険度:A
状態:魔力汚染・深度極大
「逃げるだけでは、いずれ追い詰められるぞ!」
ガイアスの声とともに、黒剣が振り下ろされる。
離れた場所にいるはずなのに、剣先から黒い斬撃が走った。
リゼットがユウの前へ出る。
剣と斬撃がぶつかり、甲高い音が牢獄に響く。
受け止めきれない。
リゼットの身体が後ろへ押し流され、靴底が石床を削った。
「リゼット!」
「問題ない!」
言いながらも、彼女の腕は震えている。
ガイアスは一歩も動かず、黒剣を肩へ担いだ。
『問題ない、か』
兜の奥の赤い光が、リゼットへ向く。
『お前はいつもそう言ったな。城門が破られたときも。西塔が落ちたときも。部下が死んだと報告されたときも』
「……」
『問題ない。まだ守れる。まだ戦える』
ガイアスの足元から、さらに鎖が伸びる。
『その言葉で、何人が死んだ?』
鎖が一斉に跳ねた。
ユウは《魔力感知》を使い、流れを見た。
鎖はガイアス自身から出ているわけではない。
背後に突き刺さった赤い旗印。
そこから溢れた黒紫の魔力が、鎖を動かしている。
「リゼット! 鎖の本体は旗だ!」
「見えている!」
「でも、正面から近づけない!」
「なら、近づける道を作れ!」
リゼットが前へ出る。
傷ついた身体で、それでもガイアスへ向かって駆けた。
ガイアスは黒剣を振る。
リゼットは真正面から受けず、石柱を蹴って横へ跳ぶ。斬撃が石柱を両断し、崩れた破片が鎖の上へ降り注いだ。
鎖の動きが一瞬だけ鈍る。
ユウはその隙を逃さず、魔力糸を伸ばした。
一本を崩れた石柱の根元へ。
もう一本を、赤い旗を支える鎖へ。
繋がった。
だが、引いても動かない。
旗を支える鎖は、地下牢獄の床へ深く食い込んでいる。ユウ一人の力では、びくともしなかった。
『小細工か』
ガイアスがユウへ手を向ける。
鎖の先端が槍のように尖った。
リゼットが駆け戻ろうとする。
間に合わない。
ユウは鎖の軌道を見た。
真っ直ぐではない。
鎖は旗から魔力を受け、ガイアスの意思に従って動く。なら、ガイアスが旗へ意識を向けている間だけ、鎖の流れはそこに集中する。
ユウは魔力糸を手繰り寄せた。
旗を引くのではない。
旗を支える鎖の根元へ、崩れた石柱を引きずり込む。
石柱は重い。
腕が引きちぎれそうになる。
それでも、少しずつ動いた。
鎖の槍がユウへ迫る。
「ユウ!」
リゼットの声が響く。
次の瞬間、石柱が鎖へぶつかった。
完全に断ち切ることはできない。
だが、鎖の根元が大きく揺れた。
黒い槍の軌道がぶれる。
ユウの肩を掠めるはずだった一撃は、床を深く穿った。
ユウは転がりながら距離を取る。
肩の装備が裂け、浅い痛みが走った。
それでも、旗の周囲に張り巡らされた鎖の一本が、わずかに浮いているのが見えた。
「リゼット! 一本、外れた!」
「ならば切る!」
リゼットが石柱の上を駆ける。
ガイアスが彼女を迎え撃つ。
黒剣と白銀の剣がぶつかる。
今度はリゼットが押し負けない。
ユウの《契約者支援》によって、彼女の踏み込みに鋭さが戻っている。ガイアスの剣を受け流し、鎧の脇を浅く斬りつける。
《冥鎧騎士ガイアス》
HP:12,600 → 12,370
初めて、数値が減った。
しかし、ガイアスは傷口から紫の霧を噴き出しただけだった。
『その剣筋……変わらんな、リゼット』
「変わった」
『何?』
「私は、もう一人で全部を背負わない」
リゼットはガイアスの黒剣を弾く。
「私は命令するだけの団長ではない。仲間に頼り、仲間と戦う」
ガイアスの動きが、ほんの一瞬止まった。
ユウはその言葉を聞きながら、再び旗へ魔力糸を伸ばした。
今度は、鎖ではない。
旗そのものへ繋ぐ。
触れた瞬間、冷たい映像が頭の中へ流れ込んだ。
燃える城門。
倒れる騎士たち。
血に濡れた石畳。
旗を掲げる若いリゼット。
その隣で、黒い鎧をまとったガイアスが叫んでいる。
『退け! このままでは全員死ぬ!』
『退けない! ここを開ければ、王都まで敵が雪崩れ込む!』
『なら、せめて生き残れる者だけでも逃がせ!』
『騎士団が崩れれば、民を守る者がいなくなる!』
映像の中で、二人は向き合っていた。
どちらも間違っているようには見えない。
どちらも、守ろうとしていた。
ただ、守りたかったものが違った。
次の瞬間、城壁が崩れた。
炎の中で誰かが叫ぶ。
ガイアスは、倒れた騎士を抱き起こしている。けれど、その騎士はもう動かない。
リゼットは旗を握り、城門の前へ走っていく。
映像が乱れる。
ガイアスの顔が歪む。
怒り。
悲しみ。
そして、どうしようもない絶望。
『お前は旗を選んだ』
目の前で、ガイアスの声が重なった。
『俺は部下を選んだ』
ユウは魔力糸を切った。
頭の奥に残った映像が消えない。
ガイアスはただの裏切り者ではない。
あの夜、リゼットに見捨てられたと思ったのだ。
だから旗を奪った。
旗がなければ、リゼットは戦いを続けられない。旗さえ消せば、もう誰も死なないと考えたのかもしれない。
けれど、ガイアスは地下へ逃げ込んだ。
呪いに蝕まれ、何百年も憎しみだけを抱え続けた。
今の彼は、守りたかった部下のためではなく、あの夜の絶望のために戦っている。
「ガイアス!」
ユウは叫んだ。
冥鎧騎士の赤い目が、こちらを向く。
「リゼットは、旗のために部下を死なせたんじゃない!」
『何を知っている』
「何も知らない。でも、お前が部下を守りたかったことは分かる!」
ガイアスの鎖が止まった。
リゼットもまた、剣を下ろさないまま動きを止める。
「でも、旗を奪って地下に閉じこもったら、残った奴らまで守れないだろ!」
『黙れ』
「お前が守ろうとした騎士団は、今もここに残ってる!」
ユウは入口のほうを指した。
地下騎士廟で動いていた亡国騎士たち。彼らは本物ではない。けれど、第七騎士団の記録と意思を残した存在だ。
「リゼットは、今も騎士団を捨ててない。だから俺と盟約して、城を守ってる!」
『盟約……』
ガイアスの兜の奥で、赤い光が揺れた。
その瞬間、旗印から黒紫の魔力が噴き上がった。
ガイアスが苦しむように片膝をつく。
『違う……俺は……』
鎖が、ガイアスの身体へ巻きついた。
腕へ。
脚へ。
首へ。
まるで旗印そのものが、ガイアスの言葉を許さないように。
『黙れ』
今度の声は、ガイアスのものではなかった。
低く、濁った声が、牢獄の底から響いた。
深い穴の底で、何かが蠢く。
紫の霧が渦を巻き、旗印へ吸い込まれていく。
《警告》
《失われた旗印の汚染度が上昇しています》
ガイアスが顔を上げた。
兜の隙間から漏れていた赤い光が、片方だけ青く変わっている。
『……逃げろ』
「ガイアス?」
『旗を……壊せ』
次の瞬間、旗印が大きく脈動した。
黒い鎖がガイアスを引きずり、深い穴の上へ持ち上げる。
彼の身体から紫の霧が噴き出し、黒鎧をさらに厚く覆っていく。
《冥鎧騎士ガイアス》
状態変化:魔力汚染・深度極大 → 呪旗侵食
HP表示が、急激に変わった。
《冥鎧騎士ガイアス》
HP:12,370/12,600 → 18,000/18,000
危険度:A → 測定不能
リゼットが剣を握り直す。
「ユウ、下がれ!」
だが、ユウは旗を見ていた。
壊せ、とガイアスは言った。
旗を壊せば、予備炉を起動するための旗印まで失うかもしれない。
けれど、壊さなければガイアスは完全に呪いへ呑まれる。
黒い鎖が天井まで伸び、巨大な影が牢獄を覆った。
その影の中で、ガイアスの声が一度だけ響く。
『旗手……次は、お前が選べ』




