第十五話 鎖の副団長
地下牢獄へ続く通路は、地下騎士廟とはまるで空気が違っていた。
墓所にあったのは静かな冷たさだった。
だが、ここにあるのは淀んだ冷気だ。
壁も床も黒く濡れ、石の隙間から紫色の霧が滲み出している。通路の天井には、何本もの鎖が垂れ下がっていた。どこか遠くで金属を引きずる音が鳴り、止まり、また鳴る。
ユウとリゼットは、歩みを止めなかった。
主炉の損傷は進んでいる。
黒牙王がいつ戻るかも分からない。
ここで時間をかける理由はなかった。
《ユウ》
Lv.2 職業:サモナー
HP:136/136
筋力:9
敏捷:11
知力:18
所持スキル:魔力感知Ⅰ、契約者支援Ⅰ、魔力糸Ⅰ
契約枠:1/5(第二~第五枠:封印中)
契約者:リゼット・アークレイン(第一枠)
《リゼット・アークレイン》
Lv.25
HP:812/1,860
状態:軽傷、疲労、出血・小
通路の先に、鉄格子の扉が見えた。
扉の向こうには、左右に並ぶ牢がある。
どの牢も空だった。
ただし、空なのは人影だけだ。
床には砕けた鎧、折れた剣、腐食した骨が散らばっている。壁には深い爪痕が幾重にも刻まれ、鉄格子の一部は内側から引き千切られていた。
「ガイアスは、ここに逃げ込んだのか」
「ああ」
リゼットは足元に落ちた、錆びた徽章を拾い上げた。
青銀の盾に、剣が交差した紋章。
第七騎士団のものだ。
「地下牢獄は元々、王国軍が捕らえた危険な魔物や、呪いを受けた兵を閉じ込めていた場所だ。城が落ちた夜、ガイアスはここに続く鍵を持っていた」
「自分で鍵を開けて、入った」
「そうだ」
「でも、なんで?」
リゼットはすぐに答えなかった。
拾った徽章を、静かに握り込む。
「分からない」
短い返事だった。
「敵に寝返ったのか。何かを守ろうとしたのか。それとも、最初から騎士団を裏切るつもりだったのか。あの夜、あいつは何も言わなかった」
通路の奥で、鎖の音が鳴った。
今までより近い。
じゃらり、と。
大きなものが一歩動いたような音だった。
リゼットが剣を構える。
「来るぞ」
次の瞬間、牢の扉が内側から弾け飛んだ。
紫色の霧をまとった獣が、闇の中から飛び出してくる。
狼に似ている。
だが、頭部には角が二本生え、背中からは黒い骨が突き出ていた。皮膚の下を紫の光が脈打ち、口からは濁った瘴気が漏れている。
《呪牢狼》
Lv.16
HP:920/920
危険度:D
状態:魔力汚染
さらに二体。
狭い通路を埋めるように、呪牢狼が牙を剥いた。
「三体か」
リゼットが前へ出る。
「ユウ、右の一体を止められるか」
「やる」
ユウはすぐに魔力糸を伸ばした。
狙うのは首でも脚でもない。
天井から垂れた鎖だ。
鎖の先には、壊れた牢の鉄扉が繋がっている。ユウは魔力糸を鎖へ結びつけ、右端の呪牢狼へ向けて引いた。
扉が床を擦りながら滑る。
呪牢狼は跳び退こうとしたが、背後には石壁しかない。
鉄扉が横からぶつかり、獣の身体を壁へ押しつけた。
完全には止まらない。
だが、牙を届かせるには十分すぎるほど遅れた。
「リゼット!」
「承知!」
リゼットは正面の二体へ踏み込んだ。
一体目の噛みつきを剣で弾く。
反動を使い、身を翻して二体目の首を斬る。
呪牢狼は紫の霧を散らして消えた。
残った一体がリゼットの背後へ回る。
ユウは魔力糸をもう一本伸ばした。
床に落ちていた鎖へ繋ぎ、獣の足元へ引きずる。
呪牢狼の前脚が鎖に絡んだ。
ほんの一瞬、体勢が崩れる。
その瞬間に、リゼットの剣が振り抜かれた。
最後の一体が消える。
《呪牢狼を撃破しました》
《呪牢狼を撃破しました》
《呪牢狼を撃破しました》
ユウの視界に、経験値の表示が流れた。
続けて、淡い光が身体を包む。
《レベルが上がりました》
《ユウ》
Lv.2 → Lv.3
HP:136 → 153
筋力:9 → 10
敏捷:11 → 12
知力:18 → 20
《スキルを獲得しました》
《指揮補助Ⅰ》
契約者への短い指示が通りやすくなる。
戦闘中、契約者との連携精度が上昇する。
ユウは新しいスキルの説明を見て、すぐに閉じた。
今は試すより先に進む。
「レベルが上がったか」
リゼットがこちらを見る。
「なら、さっきより少しは私の指示が聞こえるようになるかもしれんな」
「俺の指示だよ」
「同じことだ」
「全然違う」
少しだけ言い返すと、リゼットは珍しく声を出して笑った。
けれど、その笑いは長く続かない。
牢の奥から、また鎖の音が響いた。
じゃらり。
じゃらり。
今度は一つではない。
左右の牢の闇の中で、赤い光がいくつも灯る。
「走るぞ」
リゼットが言った。
ユウも頷く。
戦う必要のない相手まで、律儀に倒して進む余裕はない。
二人は通路を駆けた。
牢の中から伸びる腕を避け、噛みつこうとする獣を横へかわし、倒れた格子を飛び越える。背後から何かが追ってくる音がするが、振り返らない。
前方に、大きな扉が見えた。
これまでの牢扉とは違う。
黒い鉄で作られた二枚扉。中央には、第七騎士団の旗印が逆さに刻まれている。
その前に、一本の鎖が横たわっていた。
太さは人の腕ほど。
鎖は扉の隙間から奥へ続いている。
「最深部だ」
リゼットの声が低くなる。
「この扉の向こうに、ガイアスがいる」
ユウが扉へ近づこうとした瞬間、鎖が跳ねた。
鉄の塊が蛇のようにしなり、ユウの足元を薙ぐ。
「危ない!」
リゼットがユウの肩を掴み、後ろへ引いた。
鎖が床を叩き割る。
砕けた石が跳ね、壁に深い傷が刻まれた。
扉の奥から、誰かが笑った。
人間の声だった。
けれど、長く湿った地下に溶けたような、不自然な響きだった。
『……遅かったな』
黒い鉄扉が、内側からゆっくりと開く。
その向こうは、巨大な円形の牢獄だった。
中央には深い穴がある。
穴の底から紫色の霧が吹き上がり、天井へ何本もの鎖が伸びていた。その鎖の中心に、一人の男が立っている。
全身を黒い甲冑で覆った騎士。
左肩には、第七騎士団の紋章が残っていた。
だが、その紋章は半分が焼け焦げ、青銀だった色は黒紫に染まっている。
顔を覆う兜の隙間から、赤い光が漏れていた。
男の背後には、破れた旗が突き刺さっている。
第七騎士団旗と同じ意匠。
しかし、その中央の紋章だけが、血のように赤く染まっていた。
《冥鎧騎士ガイアス》
元・第七騎士団副団長
Lv.38
HP:12,600/12,600
危険度:A
状態:魔力汚染・深度極大
所持:失われた旗印、予備炉の鍵
リゼットの呼吸が止まった。
「ガイアス……」
『その声だ』
冥鎧騎士が、一歩を踏み出す。
鎧の隙間から、紫の霧が流れ出した。
『死んだはずの団長が、なぜここにいる』
「私は死んでいない」
『そうか』
ガイアスは、兜の奥で笑ったようだった。
『ならば、まだ終わっていないということだ』
リゼットが剣を構える。
「旗印と鍵を返せ」
『返す?』
ガイアスの肩が揺れた。
『あの夜、お前は旗を掲げた。王のために。国のために。勝てない戦に、部下を並べた』
「違う」
『違わない』
鎖が一斉に持ち上がる。
何本もの黒い鎖が、ガイアスの背後で蛇のようにうねった。
『俺は見た。城門が破られ、兵が死に、助けを求める声が消えていくのを。なのにお前は命令した。退くなと。旗を下ろすなと』
「私は……」
リゼットの声が途切れた。
ユウは初めて見た。
どんな敵を前にしても剣を下ろさなかったリゼットが、言葉を失う姿を。
ガイアスは手を上げる。
その手には、古びた鍵が握られていた。
『旗印も鍵も返さない』
『あの旗の下で、また誰かを死なせるくらいならな』
その瞬間、地下牢獄全体が震えた。
ガイアスの背後に刺さった赤い旗が揺れる。
紫の霧が床を這い、円形の牢獄の出入口を塞いでいく。
《冥鎧騎士ガイアスが戦闘領域を展開しました》
《退路が封鎖されました》
ガイアスは、剣を抜いた。
生前の副団長が使っていたものより、ひと回り大きな黒剣だった。
『旗手』
赤い光が、ユウへ向く。
『その旗を掲げる覚悟があるなら、証明してみせろ』
黒い鎖が、床を割りながら迫ってきた。
リゼットがユウの前へ立つ。
けれど、ユウは彼女の肩へ手を置いた。
「リゼット」
「……なんだ」
「こいつを倒す。でも、ただ倒すだけじゃない」
ガイアスは、リゼットを憎んでいる。
旗を憎んでいる。
騎士団を憎んでいる。
なら、力でねじ伏せるだけでは、何も終わらない。
「旗を掲げる意味を、俺たちが証明する」
リゼットはしばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと剣を構え直す。
「ああ」
その目に、迷いは残っている。
けれど、逃げる気はなかった。
「盟約主。私の背中を預ける」
ユウは頷き、迫る鎖へ魔力糸を伸ばした。




