第十四話 地下騎士廟
予備炉へ続く階段は、主炉の真下へ向かって伸びていた。
炉室を出た途端、空気が変わる。
主炉から漏れていた熱気は背後へ遠ざかり、代わりに冷えた石の匂いが満ちていく。足元の階段には薄く水が溜まり、ユウとリゼットが踏みしめるたび、ぴしゃりと小さな音が響いた。
壁に埋め込まれた魔石灯は、ほとんどが消えている。
ただ、二人が通る場所だけが順番に青く灯った。
まるで、城そのものがこちらを地下へ導いているようだった。
「予備炉まで、どれくらいある?」
「本来なら、この階段の先だ」
リゼットは前を見たまま答えた。
「だが、予備炉を起動するには騎士団の鍵が要る。主炉の防衛権限だけでは、あの炉を動かせない」
「鍵って、物?」
「半分は物だ。もう半分は、騎士団の承認だな」
リゼットの声は平静を装っている。
けれど、彼女の歩調は少しずつ遅くなっていた。黒牙王との戦いで受けた傷は、回復薬で血を止めただけだ。鎧の脇腹には黒い血が滲み、剣を持つ右手も、ほんのわずかに震えている。
《リゼット・アークレイン》
Lv.25
HP:812/1,860
状態:軽傷、疲労、出血・小
ユウは表示を見たあと、何も言わずに隣へ並んだ。
「無理なら、少し休もう」
「却下だ」
即答だった。
「主炉の損傷は進んでいる。黒牙王が退いたからといって、城が安全になったわけではない。あの獣は必ず戻る。予備炉を動かせなければ、次は城門も隔壁も止められん」
「でも、リゼットが倒れたら意味ない」
「私は倒れん」
強い言葉だった。
けれど、その直後にリゼットは小さく息を吐いた。
「……少なくとも、今はな」
その言い方に、ユウは少しだけ笑った。
リゼットも、自分が無敵ではないことを分かっている。だからこそ、無茶をしているのだろう。
「分かった。でも、次に回復薬を使うならリゼットだ」
「盟約主の命令か?」
「心配してるだけ」
「なら、命令にしておけ。私は命令のほうが従いやすい」
リゼットの横顔が、ほんの少しだけ柔らかくなった。
階段を下り切った先には、巨大な石扉があった。
扉の表面には、数え切れないほどの名前が刻まれている。
第七騎士団の団員たちの名だった。
槍兵、弓兵、斥候、伝令、旗手、騎士。
役職と名前が、上から下までびっしりと並んでいる。
その中央に、他より大きな文字が二つ。
第七騎士団長 リゼット・アークレイン。
第七騎士団副団長 ガイアス・ベルノート。
リゼットの足が止まった。
指先が、石扉に刻まれた副団長の名へ触れる。
「ガイアス……」
「副団長?」
「ああ」
返事は短かった。
「私が団長なら、あいつは騎士団の剣だった。腕は確かだった。戦場で背中を預けたことも、一度や二度ではない」
ユウは石扉に刻まれた名と、リゼットの横顔を見比べた。
「強かったの?」
「強かった。だが、私より強かったわけではない」
リゼットははっきりと言った。
「生前のあいつはLv.23。私はLv.25だった。騎士団長と副団長として、私たちはそういう差だった」
生前。
その言葉に、嫌な予感が混じる。
石扉の前には、五つの窪みがあった。
中央には騎士団旗の紋章。周囲には剣、盾、槍、弓の意匠が刻まれている。
ユウが中央の窪みに手をかざすと、背中に収めた第七騎士団旗が淡く光った。
《第七騎士団旗が反応しています》
《旗手権限を確認》
《地下騎士廟への入室を許可します》
重い石扉が、内側へ開いていく。
扉の先にあったのは、予備炉ではなかった。
広い墓所だった。
壁際には石棺が何十も並び、天井には青白い魔石が埋め込まれている。中央には、剣を胸の前で抱えた巨大な騎士像が立っていた。
石像は、全身を黒に近い灰色の甲冑で覆っている。
その足元には、砕けた盾と、色褪せた青銀の外套が置かれていた。
台座に刻まれた文字を見て、ユウは息を止めた。
第七騎士団副団長 ガイアス・ベルノート。
「これが、副団長?」
「違う」
リゼットの答えは鋭かった。
「あれはガイアス本人ではない。城の防衛術式が、あいつの戦闘記録と残留魔力を使って作った守衛だ」
「でも、名前まで……」
「この城は、騎士団の指揮官を基準に防衛機構を組んでいた。副団長の記録が、そのまま守護兵の核に使われたのだろう」
石像の瞳に、赤い光が灯った。
墓所の空気が震える。
石棺の蓋が一つ、また一つと軋んだ。
《第七騎士団副団長像》
Lv.30
HP:6,400/6,400
危険度:B
状態:地下騎士廟・防衛領域
ユウは表示を見て、思わずリゼットを見る。
「Lv.30?」
「だから言っただろう。あれは生前のガイアスではない」
リゼットは剣を抜いた。
「魔力炉の防衛領域に接続され、長い年月をかけて漏出魔力を吸い続けた守護兵器だ。あのレベルは、ガイアス個人の強さではなく、城が積み上げた防衛能力そのものだ」
つまり、目の前の石像は副団長を模しているだけで、何百年分もの魔力を溜め込んだ城の一部。
リゼットより強く表示されているのにも理由はある。
けれど、目の前に立つ敵が強いこと自体は変わらなかった。
副団長像が抱えていた大剣を抜く。
石と金属が擦れ合うような音が、墓所に響いた。
『旗手権限を確認』
低く、乾いた声。
『騎士団長リゼット・アークレインを確認』
赤い瞳が、リゼットへ向く。
『最終記録と照合。騎士団長は死亡処理済み』
リゼットの表情が凍った。
『旗手は未登録。侵入者と判断する』
石像が剣を掲げる。
同時に、石棺の蓋が一斉に跳ね上がった。
中から現れたのは、朽ちた鎧をまとった騎士たちだった。
《亡国騎士》
Lv.14
HP:620/620
危険度:D
状態:墓所防衛
《亡国騎士》
Lv.15
HP:680/680
危険度:D
状態:墓所防衛
表示が次々と重なる。
数は二十を超えていた。
「下がれ、ユウ!」
リゼットが前に出る。
最初の亡国騎士が剣を振り下ろした。リゼットは受け流し、胴を一閃する。鎧が砕け、敵は青い光の粒になって消えた。
しかし、一体倒しても次が来る。
槍を持つ騎士が横から突き出し、剣を持つ騎士が正面から踏み込む。
リゼットは槍を弾き、剣を避け、反撃の斬撃で二体目を倒した。
だが、数が多い。
「リゼット、墓所の守衛を止める方法は!?」
「指揮権限を取り戻せば止まる!」
「それはどうやる!?」
「副団長像に承認させるしかない!」
その副団長像が、大剣を振り上げた。
石の巨体が踏み込むだけで、床が揺れる。
リゼットは亡国騎士の剣を弾きながら後ろへ下がった。副団長像の大剣が床を叩き割り、砕けた石片が飛ぶ。
「正面から勝てる?」
「今の私では厳しい!」
リゼットがはっきり答えた。
「だが、倒す必要はない! あれは命令を守っているだけだ!」
ユウは墓所を見回した。
石棺。
壁に刻まれた名簿。
中央の副団長像。
そして、入口の石扉にあった五つの窪み。
この場所は、侵入者を倒すためだけに作られているわけではない。騎士団の指揮系統が残っているなら、命令を上書きできるはずだ。
ユウは床に刻まれた第七騎士団の紋章へ手を伸ばした。
「《魔力感知》」
青白い光の線が、床の下に広がった。
墓所全体を巡る魔力の流れ。
その中心は副団長像ではない。
副団長像の背後、最奥の壁に埋め込まれた大きな魔石だ。そこから魔力が石棺へ流れ、亡国騎士たちを動かしている。
さらに、その魔石から一本だけ、床下へ向かう太い流れがある。
予備炉へ続く道だ。
「リゼット! あの像を壊さなくても、魔石に命令を通せるかもしれない!」
「できるならやれ! 私は時間を作る!」
リゼットは一歩踏み出した。
黒牙王との戦いで傷ついた身体を、それでも無理やり動かす。
亡国騎士の槍をかわし、盾を蹴り、通路を作る。副団長像の大剣が迫れば、ぎりぎりで身を翻して逃れる。
強い。
けれど、無限には戦えない。
ユウは最奥の魔石へ向かって走った。
途中で亡国騎士が一体、行く手を塞ぐ。
ユウは剣を持っていない。
正面から倒す力もない。
だから、亡国騎士の鎧へ魔力糸を繋いだ。
次に、すぐ横の石棺の蓋へ繋ぐ。
敵が剣を振り上げる。
ユウは糸を引いた。
石棺の蓋がわずかに傾き、亡国騎士の足元へ倒れ込む。完全に押し潰すほどではない。だが、鎧の足が石の下敷きになり、敵の動きが止まった。
その隙に、ユウは横をすり抜ける。
「悪い。でも、今は通らせてくれ」
最奥の魔石へ辿り着く。
人の背丈ほどある青い結晶には、複雑な文字が浮かんでいた。
《地下騎士廟・指揮核》
管理者:第七騎士団副団長
最終命令:旗印を持たぬ者の排除
権限継承:未実行
最後の一行を見て、ユウは手を止めた。
旗印を持たぬ者の排除。
自分は旗を持っている。
リゼットは騎士団長だ。
それなのに、排除対象にされている。
「最終命令が更新されてないんだ」
誰かが、騎士団が滅びたあの夜に命令を残した。
そしてその命令は、今も城の地下で生き続けている。
「旗印を奪ったのは、ガイアスなのか」
ユウの言葉に、リゼットの剣が一瞬だけ止まった。
副団長像の大剣が振り下ろされる。
リゼットは防いだが、衝撃で片膝をついた。
「……ああ」
低い声だった。
「城が落ちた夜、ガイアスは旗印と予備炉の鍵を奪った。敵軍に城門を開け、騎士団の退路を断った」
「どうして?」
「分からん」
リゼットは歯を食いしばり、大剣を押し返す。
「理由を聞く前に、あいつは地下へ逃げた。私は追った。だが、地下牢獄へ続く扉が閉じ、あいつも、旗印も、消えた」
副団長像が再び剣を振りかぶる。
ユウは指揮核の表示を見た。
権限継承、未実行。
ここを更新できれば、墓所の守衛は止まる。
しかし、表示の下には赤い文字が浮かんだ。
《権限継承には副団長の承認が必要です》
副団長像が、リゼットを押し込んでいる。
承認を得るには、あの守護兵器に認めさせるしかない。
ユウは声を張った。
「副団長像! 俺は第七騎士団の旗手、ユウだ!」
石像の動きが、一瞬だけ止まる。
『旗手記録、該当なし』
「当然だ。俺は昔の騎士団員じゃない」
ユウは続けた。
「でも、リゼットと盟約を結んだ。この城を守るために戦ってる。黒牙王から城門を守って、魔力炉も守った!」
『記録にない』
「記録にないなら、今、見ろ!」
墓所に静寂が落ちた。
亡国騎士たちの剣が止まる。
副団長像の赤い瞳が、ユウへ向いた。
その視線は機械的だった。
けれど、完全に何も感じない石ではないように見えた。
『騎士団長リゼット・アークレイン』
石像が問う。
『貴官は、当該旗手を認めるか』
リゼットは、少しも迷わなかった。
「ああ」
彼女は剣を構え直す。
「ユウは私の盟約主であり、第七騎士団旗の正当な旗手だ。私は騎士団長として認める」
『旗手ユウ』
今度は、ユウへ問いが向く。
『貴官は、騎士団長リゼット・アークレインを認めるか』
答えは決まっていた。
「認める」
ユウは、リゼットを見る。
「俺の最初の仲間だ。これから先も、一緒に軍勢を作る相棒だ」
副団長像の赤い瞳が、ゆっくりと青へ変わった。
大剣が下ろされる。
《第七騎士団副団長像》
状態:墓所防衛 → 権限照合中
『相互承認を確認』
『第七騎士団、臨時指揮系統を再構築します』
墓所を満たしていた敵意が消えていく。
亡国騎士たちは、一斉に剣を胸の前へ立てた。
副団長像もまた、ユウとリゼットへ深く頭を下げる。
『旗手ユウ。騎士団長リゼット・アークレイン』
『予備炉の起動権限を申請するには、失われた旗印と鍵を回収する必要があります』
最奥の壁が割れ、その向こうに暗い通路が現れた。
冷たく淀んだ風が、地下の奥から吹き上がる。
『旗印を奪った元副団長ガイアス・ベルノートは、地下牢獄・最深部に存在します』
副団長像の声が、少しだけ低くなった。
『ただし、警告します』
『対象はもはや、人間としての生命反応を保持していません』
ユウの視界に、新しい表示が浮かぶ。
《地下牢獄・監視記録》
元副団長ガイアス・ベルノート
生前推定Lv.23
現在種別:不明
魔力汚染反応:極大
危険度:測定不能
リゼットの表情が固まった。
「人間では、ない……」
『対象は地下牢獄の呪縛魔力と、奪取した旗印の力を長期間にわたり取り込んでいます』
『かつての副団長は、すでに存在しません』
長い沈黙のあと、リゼットは剣を握り直した。
「それでも、行く」
声は震えていなかった。
「旗印を取り戻す。あいつが何に変わっていようと、第七騎士団を終わらせたままにはしない」
ユウは頷いた。
城を守るため。
予備炉を動かすため。
そして、リゼットが取り残してきた過去に決着をつけるため。
地下牢獄へ続く通路の奥で、何かが鎖を引きずる音がした。
《ユニーククエスト:部下ゼロの騎士団長》
新目標:失われた旗印と予備炉の鍵を奪還せよ
目的地:地下牢獄・最深部
達成報酬:予備炉起動権限
追加報酬:第七騎士団旗・再建度上昇
《第二契約枠解放条件》
第七騎士団旗・再建度20%到達
現在の再建度:12%
ユウは表示を閉じ、暗い通路へ一歩を踏み出した。
この戦いを終えたら、城の外へ戻る。
街へ行って情報を集める必要がある。
黒牙王のことも、亡国騎士団のことも、そして自分たちの軍旗がどれだけ目立つものなのかも。
けれど今はまだ、地下の奥で待つ裏切り者を倒さなければならない。




