第2-08節 農家からの謎解きの依頼
1日の午後2時、深井町農協の理事長をしている小根岸の亀本鶴吉さんが役場にやってきた。
寄る年波と農作業のせいで小柄な背中は曲がり、後ろに回した両手を腰の上で結んで歩いている。
中階段をやっと上がると、右手側のカウンターの前で一度立ち止まった。
カウンターの上には「自治研究所」の三角プレートが置いてあるけれど、その隣りにもうひとつ、同じ筆跡で「何でも断らない相談室」と書かれた三角プレートが置いてある。
庁舎内を警備している守衛さんの話によれば、2つ目のプレートは、昨日の夕方、職員が誰もいない時に蝶々がやってきて、こっそり置いていったものらしい。
鶴吉はそのプレートに目をやると、頭をひとつ下げてから入室し、所長の隣りの椅子に腰を下ろした。
所長は未来政策課長のことだけれど、併任辞令を受けていて2役兼任なのだ。
「こんにちは」
会釈する所長。
鶴吉は、1月の町長選挙で対立候補の牛目誠を担いで戦った合併派の中心人物だったから、役場の多くの職員には受けが悪いものの、農協理事長という肩書きには、一応配慮せざるをえないところがある。
「所長、突然で申し訳ないが、ちょっと聞いてもらいたいことがある。
自治研究所は何でも相談にのってくれると聞いたもんで、来てしもうた」
「なんでしょう?」
首を左に曲げた所長がパソコンを閉じて、体を90度ねじる。
企画係長が椅子ごと振り返り、イブが自分の椅子を転がしてきて、一緒に話を聞いた。
鶴吉老人がゆっくりと話し始める。
「長浜、荒崎、漆山、かなり広範囲の畑に被害が出てる。
根こそぎ持っていくような悪質なことじゃないんだが、遊びで取っていくにしては多いし、止まずに続いておる。
広い畑を毎晩パトロールなんかできんし、そうするほどの被害でもないが、皆、困っとる」
そう言うと大きな胸の前で両腕を組む。
「駐在さんには言いましたか?」
落ち着いた声で所長が質問した。
この駐在さんというのは、深井町にある2つの駐在所のひとつ、役場に近い方の屋形駐在所に住み込んで常駐勤務している熊本さんのことだ。
熊本さんは年配の女性警察官だけれど、男気があって豪放磊落、お酒も強くて、老若男女問わず、地域の人から頼りにされていた。
ご主人も本署勤務の警察官だから、彼が非番の日は2人の警察官が常駐していることになり、心強いことこのうえない。
理事長が頭をかいた。
「いや」
所長が首を左に曲げる。
「なぜ熊本さんに言わんかというと、逃げていく奴の後ろ姿を見た者の話では、どうも犯人は、子供らしい。
いや、わしも子供の頃、隣りの家の柿やトマトを取って食ったことはある。
わし以外の者も、普通、1つや2つ、やったことあるじゃろ?」
手を叩いて笑顔でうなずくイブ。
「学校には、相談されましたか?」
また、所長が静かに聞いた。
「いや」
再び理事長が首を振る。
「なぜ学校に言わんかというと、どうもここの子供じゃないらしい。
いくら後ろ姿だと言うても、土地の子供なら大概の見当はつく。
運動会や授業参観だけでのうて、毎日の登下校でも見てるからの。
だが、どうも様子が違う」
所長が大きくうなずいた。
「謎、なんですね?」
老人がこっくりした。
「そこで、こちらの解決イブさんに相談に来たということなんじゃ」
そう言って、カラカラと笑った。
「探偵事務所じゃ、ありませんから!」
頬を膨らませてそう言いはしたけれど、まんざら拒んでいる風でもない。
「わかりました。
わたしなりに調べてみましょう。
ご返事は、理事長あてでよろしいですか?」
老人が空咳をひとつしてから答えた。
「いや、歩夢でもいい。あれも話は知っちょるだろ。
あれに言うてくれれば、わしに伝わる」
そう言って目を伏せた。
福祉係の歩夢はこの理事長の孫だった。
昨年秋、町が二分された合併騒動の時にこの老人から勘当され、家から放り出されていたのだったけれど。
笑顔で答えるイブ。
「了解しました。
わかったことは、歩夢くんにご報告します」
腰を伸ばしてから3人に頭を下げると、老人は笑顔で帰って行った。
「アテはあるのかい?」
心配そうに係長が聞く。
「アテなんか、ありません。
でも、畑の作物を盗む子供の気持ちは、よくわかります。
ただお腹が減ってるだけですよ。
でも、なぜ、お腹がいつも減ってるのか?」
左に首を曲げる所長の前で、ボールペンをヘリコプターの回転翼のように右手の親指の上でくるくる回すイブ。
少ししてピタッとボールペンが止まると、にっこりして言った。
「今度、こども食堂の愛子さんに聞いてみましょう」
こども食堂は、2年前に荒崎にできた貧しい家族のためのワンコイン食堂だ。どんな料理も、1メニュー、大人が100円で子供は無料。
イブの一言に、ホッとため息をつく2人の上司。
牛目愛子は、今年の2月に深井から同じ西海岸、横須賀の秋谷に夫の誠と一緒に転出していたけれど、こども食堂の手伝いだけは、続けて来ていたのだった。(つづく)




