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第2-39節 心の銅鑼がゴーン

 栄衛が駆けつけると、控え室らしき部屋の壁際のソファの上に、スウェット姿の女性が1人横たわっていた。

 安眠用の黒いアイマスクをされ、口に緑色の養生(ようじょう)テープ。

 両腕を後ろに縛られたまま、裸足の膝をくの字に折っている。

 拳を握りしめたままの万汰の脇を通って栄衛が近づいた。

「イザベラさん?」

 返事がない。

 肩を揺する。

 体が温かい。

「イザベラさん!」

 叫びながら、ぐらぐらと体を揺する。

 万汰もそばに寄り声を掛け続ける。

 上半身が上を向き、口がかぱっと開いた。

「あ〜、、、」

「生きてる! 大丈夫だ!」

 笑顔になる2人。


 生きていることはわかったけれど、睡眠薬が効いているのか、目が開かない。

「仕方がない」

 栄衛がイザベラさんをお姫様抱っこした。

 ラベンダーの香水の香りがする。

 胸の膨らみが、栄衛の左脇腹に当たった。

 鼻筋が通っていて、まつ毛がとても長い。

 ゴーン!

 栄衛の心臓のあたりで、大きな銅羅が鳴った。

 鼻をすする栄衛。

「重い!」

 笑いながら言うと、万汰も笑い出す。

(つか)まってくれると軽いんですけどね?」

 左の鎖骨に乗せている頭蓋骨の重いこと重いこと。


 万汰がもう1度事務所の中を見て、手がかりらしきものが何も残されていないことを確認すると、10階を後にした。

 エントランスに降りると、守衛さんがいない。トイレか?

 誰にも会わずにビルを出て、パーキングの車の後部座席にイザベラさんを座らせるけれど、自立できなくて、すぐ倒れる。

「万汰くん、運転を頼む」

 後部座席に乗り込んだ栄衛が、右手でイザベラさんの肩を抱く。

 キーを渡された万汰が運転席に座ると、質問した。

「セカンド発進ですか?」

 笑い出す栄衛。

「ローで頼む。

 それと、行き先だけど、新宿の原医院が無難かな?」

 深井町の新宿のことで、原医院には高齢の(おお)先生と息子の(わか)先生がいて、内科と外科の両方が診れる。

 万汰は静かに車を発進させると、後部座席の2人に声をかけず、黙々と運転した。


 若先生の診たてによれば、睡眠薬の影響はあるけれど、特段の異常はみられない。

 眼位〔眼球の位置〕、瞳孔の大きさと対光反射、体温、血圧、心拍数、呼吸数に血中酸素濃度、いずれも正常の範囲内。血液検査も、特に問題はない。

 縛られた時の両手首のかすり傷を除けば、外傷らしきものもない。

 精神的なショックはあるだろうけれど、それは回復に時間がかかろう、と。

「このことは、こちらから連絡するまで、秘密にしておいていただきたいんですが?」

 おずおずと万汰が言った。

 うなずく医師。

「刑法第134条第1項。

 医者にも患者さんの秘密を守る義務がありますからね?」

 深々と頭を下げる2人。

「目が覚めたら、とりあえず、彼女の身柄を荒崎の教会に預けることにしよう」

 栄衛の提案にうなずく万汰。

 クリスチャンで行き場のない彼女には、それが最適に違いない。

 原医院の奥のベッドに横たわるイザベラさんを見ながら、隣りの椅子に腰を下ろす栄衛。

「起きたら、おれが連れて行くから、先にリズさんたちに説明しておいてくれる?

 夕食を一緒に食べれると、打ち解けるのが早いだろう」

「了解です!」

 万汰が右手で挙手敬礼した。

 両手をタオルで拭きながら、笑顔の若先生。


 その後、それからしばらくしても、県警が動いている気配はなかった。

 熊本さんに聞いても、首を(かし)げるだけだ。

「不思議なくらい、情報がないのよ」

 かたや、イザベラさんの話によれば、彼女が匿われていた部屋の監視は黒いロボットがやっていて、いつも左手にピストルを持っていた。

 24時間、彼女が寝ている間も立ったまま監視を続けているし、食事を運んでくるのも別の黒いロボット。

 ただ、トイレの監視だけは、ピンクのロボットが同行したという。

 お風呂は毎日入れたし、デザート付の食事も美味しかったと。

 ロボットも、寂しいときは話し相手になってくれたそうだ。

 何を聞いても、必ず答えてくれる。

 寝付けないときは、昔話を聞かせてくれたり、子守歌を歌ってくれたりした。

 ただ、いつ出られるかだけは、「わからない」、そう答えるようにプログラムされていると、自分で言っていたと。

 ビデオ撮影時のスタッフも優しくしてくれて、ひどいことはなかった。

 ただ、皆、黒いボディスーツに黒い烏天狗型のマスクをしてるから、全く顔がわからない。

 たとえ、今、目の前にいてもわからないだろう、と。

 毎晩、寝る前に、その日働いた時間掛ける最低賃金1,162円の現金が、労賃として彼女の財布に入れられた。

 でも、使いようがないから、そのまま貯金になったという。

 部屋からの移動時には、背中にピストルを当てられ、耳栓とアイマスクをされるから、自分がどこにいるのかもどこに行くのかわからなかったそうだ。

 確かに、物的な証拠が何もないし、人が殺されたわけでもない。

 拉致はされたけれど、国内のどこかは、手がかりがなくてわからない。

 イザベラさんと同様の事件が県内で他にも起きているならいざ知らず、これだけのことで捜査本部まで設ける理由がないのだろう。

 行方不明になっていた者が元気に帰って来たんだからいいじゃないか、他にもっとやるべきことはあると、捜査の指揮を執っていた誰かがその指揮棒を譜面台の上に置き、オーケストラが解散したのだろう、イブたちはそう理解した。

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