第2-38節 イザベラさんがヤバい!
翌18日の金曜日、朝8時25分。
役場3階の議員控室のドアが、ノックもなくいきなり開いた。
バーン!
驚いて振り返る万汰。
時間がまだ早く、部屋には万汰しかいなかった。
肩で大きく息をしているのは、中階段を3段飛ばしで駆け上がってきた栄衛だ。
「先輩!?」
「万汰、イザベラさんがヤバい!」
駆け寄ると、万汰の左肩を掴む。
「昨日、おれたちは、奴らを圧倒しようとして、自分たちの手の内を全部しゃべってしまった。
ウカツだった。
おれたちが県警に通報すると踏んだ奴らが、イザベラさんに何をするかわからないじゃないか!」
顔面から血が引く万汰。
「あー、失敗だ!」
「急いで、ビューティフル・スタッフに乗り込もう。
県警に話しに行ってるヒマなんかない。一刻を争う」
うなずく万汰。
「わかりました、すぐ行きましょう。
足は?」
拳を握る栄衛。
「おれのシエラで行こう!」
「了解です。
議会事務局に、一言断ってきます」
そう言うと、スマホでイブに状況報告しつつ、事務局職員には急用で退庁する旨を伝えた。
2人が玄関を出ると、守衛さんが、役場前に路上駐車している車の右側後ろのタイヤにチョークで違反時刻を書いている。
あわてて栄衛が叫んだ。
「おいおい、ちょっと待ってくれよー!
昨日、タイヤ洗ったばっかりなんだからさー!」
平然と応える守衛さん。
「違反は違反」
頭を掻きむしる栄衛。
「わかったよ!
でも、重大事件なんだからさ!」
動じない守衛さん。
「みんな、そう言うよ。
このチョークはシャンプーで洗えば落ちるから。
次回は駐車場、よろしくね?」
手を振って去っていく守衛さんに、両腕を組んだままタイヤを見つめてため息をつく栄衛。
「栄衛さん、急ぎましょう」
力なく頭をこっくりすると運転席に乗り込み、思いっきりドアを閉めた。
助手席の万汰が鼓膜を押える。
栄衛がマニャアルのシフトレバーをセカンドに入れた。
右足でアクセルをぐっと踏み込むと左足のクラッチを一気につなげ、そのままの加速から4速に入れる。
暴れる車の中で、万汰のシートベルトのプレートがバックルに刺さらない。
国道134号線に出ると、横須賀三浦縦貫道から横浜横須賀道路へ。
制限時速80キロを右車線の115キロで走り続けると、カーナビのスピーカーからオービス〔自動速度違反取締装置〕の警告音が鳴りっぱなしだ。
「うるせー、40キロ未満なら大丈夫だ!」とハンドルを握りしめる栄衛。
終点の狩場料金所から首都高速道路に入り、横浜の阪東橋ランプで下りると、中区日本大通のビルを目指した。
「先輩、ここです」
栄衛が車をコインパーキングに入れると、目の前のビルを指差した。
万汰が先に立ってエントランスに入り、訪問者用コンソールの部屋番号を押したけれど、応答がない。
集合ポストに目を向けると、あれだけ溢れ返っていた郵便物が跡形もなく消えてる。
舌打ちする万汰。
「遅かったですね、、、」
「逃げられたか?」
右足の踵で床を蹴る栄衛。
「でも、手ぶらで帰るわけにはいきません」
万汰が胸を張ると、前回と同じ守衛のお爺さんに声を掛けた。
「おじさん、こんにちは?
この間は、ありがとうございました」
老人が、右手で目をこすりながら、受付窓口の奥から返事をする。
「ああ、こないだの?
また、何か、ご用ですか?」
空咳をひとつする万汰。
「実は、ぼくも議員なんです。
美しい会の方に手渡したい手紙を持ってきたんですが、今、いないみたいですね。
集合ポストじゃなくて、お部屋のポストに直接入れたいんですが、このドア、開けてもらえませんでしょうか?」
近眼と老眼と乱視が入り混じった寝ぼけまなこには、県の議員バッジと町の議員バッジの区別がつかなかった。
そもそも議員バッジは菊をデザインしたものが多く、似ているといえば似ている。
その理由は、菊が皇室の家紋であり、パスポートにも大きく印刷されている事実上の国章だからだ。
国花を定めた法律はないけれど、菊と桜は、日本人が自他ともに認める日本の花であることは間違いない。
国民の代表である議員が襟に掲げるバッジとして、これ以上相応しい花はない。
老人が両目をシパシパさせてから言った。
「なんだ、お安いことですよ。
いつも、お世話様です」
丁寧に頭を下げると、守衛室の中のスイッチを押した。
ガガーー、、、。
大きな音を立ててガラスの扉が開く。
「おじさん、ありがとう!」
万汰が満面の笑顔で言うと微笑み返す老人。
万汰がエレベーターの10階のボタンを押した。
「作戦は?」
栄衛が聞くと、首を振る万汰。
「出たとこ勝負ですね」
「おれも、現場合わせは得意だ!」
ゲンコツを握る栄衛。
10階に着くと、目の前が会社の入口ドアだ。
「ビューティフル・スタッフ」と書かれている。
万汰が恐る恐るノックをするけれど、返事はない。
耳を澄ませても、何の音も聞こえてこない。
ドアノブに手をかけ、心臓の高鳴りとともに、右に回してみる。
回った!
ノブを握ったまま栄衛の顔を見ると、静かにうなずく。
ゆっくりドアを引き、中に入る2人。
「やっぱり、もぬけのカラだ」
栄衛の肩が下がる。
什器備品はそのままあるものの、書類のようなものは一切ない。
机の引き出しはみんな開けたままだし、金庫の扉も開いたままだ。
これじゃ、ドアの鍵を締める必要がない。
「栄衛さん!」
奥の部屋から万汰の叫び声がした。




