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第2-03節 いけない、遅刻だ!

 2025年4月1日火曜日、快晴の三浦半島。

 7時45分、南急電鉄「三崎マグロ駅」で下車した北条(きたじょう)貴子(たかこ)は、1番線バス乗り場から「荒崎(あらさき)」行きのバスに乗った。

 七曲(ななまが)りの坂を下ると右手に三浦市立潮風(しおかぜ)アリーナ、左手にはホームセンター・ケインズとスーパーマーケット・ヤエコー。

 10分ほど走れば信号「荒崎入口」で、そのヘアピンカーブを左に曲がると、懐かしい相模湾が見えてきた。

 突き当たりのT字路を左に曲がると、右に郵便局、深井漁港と続き、貴子はバス停「深井小学校」で降りる。

 消防団第31分団詰所左脇の狭い坂を上がると、左側に小学校、右側に町役場があった。

 小学校のグランド脇に並んだ桜は満開で、青い空を背景にピンクの花が眩しい。

 登校する子供たちや登庁する職員に追い越されながら後ろを振り返ると、相模湾を手前にして雪を戴いた富士山が大きく見えた。

 佐島(さじま)マリーナから出てきたヨットが、白い帆を傾けて西に向かって滑っていく。

「ああ、懐かしい。

 やっぱ、ここよね!」

 桜の枝を見上げ、左腕を挙げて大きく伸びをする。

 頭の奥から小さな記憶が膨らんできた。


 6年前の3月、深井小学校6年生だった貴子は、地元サッカーチーム「深井フリューゲル」のキャプテンとして最後の大会をホームグランドで戦っていた。

 4チーム1グループの予選リーグを1勝1敗で迎えた第3戦。

 ここで負けると得失点差で予選敗退の恐れがある場面で、相手は全勝の強豪「追浜アスール」だった。

 その得点源が、小柄だけどスピードと技術のあるチャパリト。

「チャパリトに、仕事をさせるな」

 OBで高校生コーチの加山鯛双が貴子の左肩を叩いた。

 試合が始まると、幾度もディフェンスの裏を取られるようになる。

 前半はなんとか0対0で(しの)いだものの後半で失点。残り2分で取り返したけれど、結局1勝1敗1分のフリューゲルは予選敗退になり、小学校最後の試合は残念な結果だったのだ。

 いつものように貴子がグランドの桜の木に登り、富士山を見ながら1人で泣いていると、後からチャパリトが登ってきて、慰めてくれたのだった。

「君と、また試合がしたいんだ!」

 2人でまた一緒に桜の木の上から富士山を眺める約束をしたのだったけれど、中学校に上がってからは男子選手と女子選手が試合で一緒に戦うことはできず、ついにその約束を果たせないまま、時は過ぎていったのだった。


 目元を指先でぬぐい、気がつくと、ヨットが視界から消えていた。

「いけない、遅刻だ!」

 時計を見ると8時28分。

 ゆっくり歩いている職員を押しのけ、驚かれるのも気にせず、脱兎のごとく役場玄関に駆け込む。

 受付コーナーに置かれた活花(いけばな)の鉢に水を差している委託清掃員風の女性に、集合場所を聞いた。

 皺がたくさん刻まれた()みのあるスカートを履き、ブラウスの袖をまくりあげている。

「おばさん、ごめん。

『2の2会議室』って、どう行けばいいの?」

 ショートボブの頭をしたおばさんが振り向くと、意外に若かった。

「えっ?

 ああ、中階段を上がってぐるっと右に回った先にあるわよ」

 首を左に曲げながら答えると、「デジャブーかしら?」とつぶやいた。

「ありがと! じゃあ」

 おばさんの右肩を思い切り叩くと、お辞儀もそこそこに中階段を駆け上がる。

 前を行く職員を、マーカーコーンを避けるようにジグザグに2段跳びで駆け上がっていくと、途中で始業チャイムが鳴り出した。

 やっとの思いで2の2会議室に辿りついたところで、ちょうどチャイムが鳴り終わる。

「セーフ」

 入口でつぶやくと、中にいた眼鏡の男性職員に(にら)まれた。

「北条貴子さんですね? 集合時刻は5分前ですよ。

 どうして遅れたんですか?」

 左手のげんこつで自分の頭を叩くポーズ。

「申し訳ありません。

 海を眺めていて、ちょっと思い出に浸っていたら遅れてしまいました」

「ロマンチストなんですね」

 首を左に曲げながら言ったが、慰めの言葉にしてはトーンが低すぎる。

 貴子がもう1度頭を下げると、中にいた大勢の採用者が笑っている。

 でも、ただ1人、一番奥にいる背の高い天然パーマの青年が、笑わずに首を左に曲げた。(つづく)

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