第2-02節 また、一緒に試合しよう!
「ボール、出すからね」
主審が試合再開の笛を吹く前に、貴子ちゃんがイーサンに耳打ちした。
残り2分。センターサークルのフリューゲル寄りで競り合いになったボールを相手ミッドフィルダーが奪うと、自軍左サイドに展開したチャパリトに送球した。
彼に出ることを予測していた貴子ちゃんが左肩で強烈なショルダーチャージをかますと、左足を上げて浮き球トラップしていたチャパリトが一瞬ふらつき、ボールを離してしまった。
ボールと相手の間に体をねじ込ませる貴子ちゃん。
「イーサン!」
鋭い叫びとともに貴子ちゃんの右脚で力いっぱい蹴られたボールが大きくセンターラインを越え、相手ペナルティエリアの右側手前に飛んだ。今度は副審の旗が上がらない。
センターライン上から猛ダッシュしたイーサンは、詰め寄ってきたディフェンスをアメリカンフットボールなみのタックルではじき飛ばすと、1対1のキーパーの左手先にインサイドキックで正確なグラウンダーのボールを蹴った。
「ピー!」
主審が左手でセンターサークルを指すと、フリューゲルの応援席で大歓声が上がった。
飛び上がる保護者たち。
拳で地面を叩いてくやしがるチャパリト。
試合が終わった。
大騒ぎのアスール陣営は2勝1分けでリーグ1位通過だけれど、引き分けたフリューゲルは1勝1敗1分けでリーグ3位になり、決勝トーナメントには進めなかった。
「監督さん、また木登りですよ」
鯛双コーチが言う。
「いいさ、好きなだけ登らせておきなよ」
貴子ちゃんのいないメンバーと保護者たちに向けて、監督さんが慰労と次の試合に向けた課題を説明していた。
いっぽう、歓喜に沸くアスールの輪の中からチャパリトがひとり抜け出ると、あたりをぐるりと見渡してから、桜の木に向かって走って行った。
木の下から貴子ちゃんの背番号を確かめると、両手両足を使って慎重に登る。
誰かが登ってくる音に途中で気付いた貴子ちゃんが振り返えると、両目が濡れていた。
「ごめん。
一緒に登ってもいい?」
小さな声で質問する。
「もう、登ってるじゃん!」
怒っているようにも聞こえたけれど、拒んでいるようには聞こえなかった。
なんとか貴子ちゃんが座っている枝まで登る。
グランドから3メートルはあるだろうか。
貴子ちゃんの左隣りに腰を下ろすと、背番号10が二つ並んだ。
桜の枝の遥か先、相模湾の海の向こうに、頂上から3分の1ほど雪を残した富士山の姿が見える。
「素敵な富士山だね」
彼がつぶやいた。
返事をしない貴子ちゃんに、顔を向け直して続ける。
「さっきの試合、とても良かった。
また、きみと試合をしたいんだ」
貴子ちゃんがゆっくり顔を向けた。
「チャパリトって、名前なの?」
両目は、もう濡れていなかった。
「ううん、違うんだ。本当の名前は、アーロン。
でも、みんなは、ぼくのことをふざけてチャパリトって呼ぶんだ」
「どういう意味?」
貴子ちゃんの目がまっすぐ見つめてくる。
「スペイン語で『チビ』っていう意味なんだ。ぼくがチビだからね」
貴子ちゃんがかすかに笑った。
「そうなの」
前を向いて続ける。
「時々、こうやって富士山を眺めに登るの。
富士山って、夏も冬もひとりなんだけど、とても素敵でしょ?
いつも胸を張ってる。
試合に負けたとき、お母さんに会いたいとき、誰にも何も言えないとき、ここに来て富士山を見るの。
そうするとね、富士山がわたしを見てくれるの」
白い雪が目の中で揺れる。
チャパリトの右手が貴子ちゃんの左手を握った。
「わかった!
ぼくも、また見に来る。
だから、また、一緒に試合しよう!」
しばらくすると、グランドの両側からそろって大きな声がした。
「おーい。2人とも、いいかげんに降りて来ーい!」(つづく)




