第2-01節 センターバックに貴子ちゃん
「また木登りしてますよ。
左腕1本で登っちゃうんだから、大したもんです」
高校2年生の加山|鯛双コーチが、腕組みをしたまま隣りに立っている監督さんに言った。
2019年3月23日の土曜日、三浦半島の西端、相模湾を望む深井小学校のグランドでは、横須賀三浦地区サッカー選手権大会の予選リーグが戦われていた。
5・6年生からなる4チーム1組で争われるCリーグの第2試合で、地元の深井フリューゲルは勝てるはずの星を落としてしまったのだった。
「おーい。貴子ちゃーん、降りて来ーい!」
しばらくして、監督さんがグランドの向こう側の桜の木の上にいる背番号10に向かって叫ぶと、ゆっくり降りてきた。
ゴールネットの後ろと鉄棒の間を走り抜けると、体育館の前の石段に座っている監督さんと鯛双コーチの前でピタッと止まる。
「上から何か見えたかい?」
監督さんが笑顔で聞くと、左手で目元をぬぐってから元気に答えた。
「サッカーコートって、意外に幅が広かったんですね。
もっとサイドライン寄りから攻めれば、ペナルティエリア前が空いて、ボールを入れやすくなりますよね」
「よく気がついたな、貴子ちゃん。
えらいぞ!」
鯛双コーチがキャプテンマークを巻いた左肩を叩くと笑顔になり、コーチにウィンクしてから麦茶を飲んでいる仲間の輪の中に戻っていった。
走り去る白いユニフォームの後ろ姿の右の半袖が、ひらひら揺れている。
午前中の試合に続いて、午後に第3試合が組まれていた。
ここで勝てば、得失点差でリーグ2位になる可能性があり、そうすれば決勝トーナメントに進めることになる。
食事を済ませたメンバーと保護者を前にして監督さんが言った。
「追浜アスールは強いが、ここで勝たないと決勝トーナメントには行けないぞ。
特にセンターフォワードに仕事をさせないこと。
球際で負けないように」
うなずく一同。
追浜アスールは、南米ペルーから来て地元の日進自動車追浜工場の下請会社で働いている日系四世の家の子が中心メンバーだ。
体は決して大きくないけれど、「昔プロでした」などという父親をもつ子もいて、フォワード3人のパスが回りはじめると相手ディフェンス陣がカラーコーン状態になってしまう。そんな、スピードと足の技術をもった選手が何人もいて、ここまで2戦全勝だった。
「そこで、ポジションを変更する。
右のセンターバックに貴子ちゃん。
貴子ちゃんの仕事は、相手のセンターフォワード、チャパリトを止めること。
ボールを取ったら、右ウイングのイーサンに早めにボールを出す。
前半を同点で終われれば、後半に勝ち目が残るからな」
生唾を飲み込む貴子ちゃん。
どちらのチームもフォーメーションは4-3-3だけれど、相手チームの方が流動的にポジションを変えているように見えた。
米軍人の父親似で体格のいいイーサンといえども、足元の技術は彼らほどではない。
「ぎりぎりまでボールを持とうとしない方がいい。
相手が寄せてくる前に、パスを出せ」
鯛双コーチが脇から言った。
自陣で逆襲されたら即ゴールだ。
主審の笛が鳴り、両チームが整列する。
試合に出ない2チームの久里浜ブラックシップスから主審、衣笠ドレッドノーツから副審が出ていた。
長身の貴子ちゃんと青いユニフォームを着た小柄なチャパリトの前で、主審が大きな1ドルコインを親指で撥ね上げると、チャパリトがボールを取り、貴子ちゃんはグランドの右側を自陣とした。
「イーサン、ゴーゴー!」
開始の笛が鳴る前から、深井フリューゲルの応援席にいるイーサン・ママが叫ぶ。
相手の追浜アスールも大盛り上がりで、さすが南米チーム。ブラジル・チームほどではないにしても、カラフルで陽気な応援席だ。
赤ん坊も連れて一家総出で応援に来ている。まるで、ピクニックを兼ねた小さな国際Aマッチ。
「ピー!」
主審の笛とともに、アスールのフォワード3人がスピードに乗りながらボールを回し始めた。
キャプテンマークを巻いたセンターのチャパリトが味方の右ウイングにパスを出したところを、一足早く準備していた左中盤の圭太がカットし、すかさずサイドチェンジして自陣右サイドのイーサンの前のスペースにボールを出した。
「ピー!」
副審の旗が上がりオフサイドになったものの、その後のアスールの動きが慎重になり少しスピードが落ちた。過去の2チームとは違うことがわかったらしい。
その後は中盤でのボールの奪い合いが激しくなり、フォワードに出てもディフェンス陣が体を張ってボールを止めた。
コーナーキックからの攻防になると身長で有利なフリューゲルにやや分があったけれど、中盤でのボール回しは、やはりアスール優勢に推移した。
遠目から打たれるシュートもお互いのキーパーがなんとかふんばって守る、一進一退の攻防だ。
両陣営の応援と指示の声がグランドの両側から雨のように降り注ぐなか、前半の20分は両チームとも決定機をつくれないまま終わった。
「いいぞ。負けてないぞ。このままいこう!」
ハーフタイムでの監督さんの指示に大きくうなずく一同。
お母さんたちが濡れタオルを配り、温かい麦茶を飲ませる。
後半も両チームのボールの奪い合いは激しく、お互いのペナルティエリア内までボールを持ち込むことがなかなかできない。
かといってむやみに長いボールを蹴れば相手のボールになることになり、逆襲のきっかけを与えることになった。
後半20分の残り5分。中盤でボールを持ったアスールの右のミッドフィルダーが詰めてきた圭太をキックフェイントでかわすと、そのままペナルティエリア前までドリブルで持ち込む。
そして、たまらず寄せてきたフリューゲルの左サイドバックの股下を通し、右センターバックの貴子ちゃんの後ろに出るスルーパスを送った。
振り返る貴子ちゃんの後ろに左側からチャパリトが滑り込むと、その右足のアウトサイドに当たったボールは大きく角度を変え、キーパーの左手をすり抜けてゴール右サイドのネットを揺らした。
主審の笛にがっくり膝をつく貴子ちゃん。
空を仰いで両腕でガッツポーズのチャパリト。
歓声に加えて笛と太鼓が鳴りやまないアスール応援席。
「まだ、時間はある!」
鯛双コーチが応援席から叫んだ。(つづく)




