第2-21節 自分で自分を見捨てちゃ、だめよ
7、8分、3人して笑いながら歩いているうちに大漁亭に着いた。
歩夢が先に暖簾をくぐり、戸を開ける。
「こんにちは~」
まだ時間が早いせいか、店内には誰もいなかった。
「いらっしゃいませ~」
奥の調理場から、女将さんが前掛けで両手を拭きながら出てきた。
「あら、新しい方ね?」
屈託のない笑顔が貴子ちゃんに向く。
「おばさん、今年採用された会計年度さんの北条貴子さん」
「よろしくお願いします」
貴子ちゃんが深々と頭を下げた。
「期待の新人なんです」
イブが補足すると、女将さんが右手でガッツポーズ。
「ここに来る人は、みんな、期待の新人類なのよ!
たくさん食べてね?」
笑い出す3人。
「おばさん、上手いこと言うなぁ。
確かに、新人類かもな?」
「ネアンデルタール人に負けないホモ・サピエンスね?」
うなずく歩夢。
「ホモ・サピエンスはネットワークが強みだったみたいだから、ぼくたちもネットワークを大切にしよう。
と言うことで、お食事会です。
おばさん、よろしくお願いします!」
頭を下げる歩夢に、笑い出す女将さん。
「食事するのに、言い訳なんか要らないわよ!
いつものシラス丼にアカザエビのお味噌汁ね?」
「あざーす!」
イブと歩夢が揃って叫ぶ。
「お酒は?」
イブが胸を張る。
「今日は未成年がいますので、全員ノンアルでお願いします」
「了解! キリンね?」
うなずく2人に右手で挙手敬礼すると、おばさんが元気に調理場に戻っていく。
お座敷に上がると、壁際に貴子ちゃん。並んで右にイブが座り、対面に歩夢がひとりで座る。
料理を待っている間に歩夢が話し始めた。
「イブさんね、ぼくも、毎日、北条さんに教えられることが多いんです」
下を向く貴子ちゃん。
「ぼくたちは、頭で分かっていてもできないことがあるし、それまで気付かなかったこともある。
北条さんは、若いのに自分の考えをしっかり持っているし、何よりすごいのは、気持ちがストレートなんだ。
そして、いつも自分の気持ちに正直に生きてる」
話す声が低く落ち着いているから、場繋ぎのお世辞でないことがイブにもわかる。
顔を上げる貴子ちゃん。
「そんなこと、ないです。
あたしは、ただわがままなだけなんです」
イブが笑った。
「大丈夫。ここの人たちは、みんなわがままだから」
首を左に曲げる貴子ちゃん。
「そのうちわかりますよ」
笑いながら歩夢が柔らかい声で言うと、女将さんが料理を運んできた。
お椀からアカザエビの両手が飛び出している。
「おおっ、アカザエビがVサイン」
歩夢の左肩を、イブが右手で猫パンチ。
まずは、キリンのノンアルビール、ラガーゼロで乾杯だ。
「ぷはぁ、やっぱ、これよね?」
笑いながら箸をとる3人。
もりもり食べ始めるイブを見ながら、貴子ちゃんが話しはじめた。
「でも、このあいだ、たまたま3階のトイレにいたら、入ってきた人の会話が聞こえちゃったんです。
『去年も佐藤なんとかのせいで大嵐になったけど、今年も、波浪警報鳴りっぱなしかしら?
ハロー? なんてね!』。
『人前で平気で抱き合っちゃうし、見てて目に痛いわよね?
人騒がせもいい加減にしてほしいわ!』。
多分、チャパリトくんのことを言っていると思うんですけど、あたしもこんな風に言われてるのかって、そう思うと悲しくなります」
箸を置く歩夢の目が三角。
「失礼な奴がいるなぁ!」
イブの目も三角。
「わたしは、平気ですよ。
誰が何と言ったって、最後は、蝶々がわたしたちの味方ですから」
うなずく歩夢。
「あなたがブレイクスルーのイノベーション起こすかもって、言ったじゃん?
ほんとに、そう思ってるの」
貴子ちゃんが首を左に傾ける。
「本当に革新的な研究って、似た道を通るのよ。
最初は笑われる。
『そんなことはない。それは間違ってる。これまでの理論から説明できない』って。
次は、無視される。この時期が、とてもつらい。
でも、最後には認められる。
中には『ぼくが間違ってた』、そう認める人もいるけど、多くの人は謝ったりしない。
だから、自分が正しいと思うなら、その自分を認め続けてあげないと。
自分で自分を見捨てちゃ、だめよ?」
うなずく粘土さん。
女将さんが、箸休めの漬物を持ってきた。
「秋田の友達が送ってきた『いぶりがっこ』。
大根の漬物だけど、食べる?」
「いただきま~す!」
3人の声が揃った。
シラスのさっぱりした味と食感に、いぶりがっこの少し強めの味と固めの歯ごたえが合う。
調理場に戻るおばさんの背を見ながら、貴子ちゃんがゆっくり話し始めた。(つづく)




