第2-17節 蝶々にも脅迫状が?
「もう2、3年前になるかの、蝶々から直接話があった」
亀吉が続けると、鶴吉がうなずく。
「みなも知っとるように、昔、深井漁港の隣りにJICAの水産研修センターがあった。
たくさんの研修生が世界中から来て、深井町で、最先端の漁業を学んで帰国していった。
研修生との交流も盛んに行われたから、深井町を第2の故郷と思いながら帰国する者も少なくなかった。
中には、研修期間に土地の娘と恋に落ち、研修終了とともにその子を国に連れて帰った者もおった」
「ぼくも聞いたことがあります」
所長が首を上下させた。
「もう四半世紀も前に研修センターは横浜に移転し、センターそのものはなくなったが、当時の研修生やその関係者から、再び深井町で漁業実習ができないか、ここ数年打診がきてたらしいんじゃ。
中南米やアフリカの国々の中には、政治が混乱し社会や経済が窮迫している国があるのも事実じゃ。
そうした国の元研修生から頼まれたら、蝶々もイヤとは言えんかったんじゃな。
それで、その話を、蝶々みずからわしらのとこに持ち込んできた」
深くうなずく一同。
鶴吉じいさんが話を引き継いだ。
「漁業を目的に来日した者のなかには、深井町で行われている無農薬や低農薬の新しい農業に魅力を感じ、こっちで働きたいという者が出て来た。
人手不足は農業も同じじゃから、来てもらうこと自体は大歓迎じゃった。
脅迫状には、外国人の悪い習慣や違法な振る舞いばかりが書かれておるが、昔深井に住んだことのある者とその家族に関していえば、そんな無礼なことはないと思うんじゃが?」
鶴吉が亀吉を見上げると、亀吉もこっくりする。
「来る者は、みな、深井を愛しとるし、住民をリスペクトしちょる」
改めて、腕を組み直す一同。
「じゃあ、この脅迫文の趣旨は、いったい何なんでしょうねぇ?」
首をひねる係長。
「この団体は全国組織みたいですから、こうした手紙を送ってる先は、きっと深井だけじゃないんですよ。
全国あちこちに出すためにまとめて大量に封入したから、入れ間違いを起こした」
イブの指摘に、納得する一同。
「でも、ちょっと待ってください。
蝶々からの提案で始まったことですよね?
ということは、蝶々あてにも、手紙が届いているんじゃありませんか?」
「あっ」と息をのむ所長と係長。
全員の視線が所長に集まる。
自分の人差し指で自分の鼻先を差す所長。
「ぼく?
ちょっと待ってくださいよ。
蝶々に、ぼくが電話するのかい?」
「ほかに誰がいますか?」
冷たいイブの声。
「自治研の範夫ですが、課長いますか?」
所長が、秘書課長を兼任している総務管理課長に電話をした。
「ああ、範夫さん? ぼく」
明るく返事が来たが、範夫の声は低い。
「つかぬことを聞きますが、蝶々あてに変な手紙、来てませんか?」
しばしの沈黙の後、小さな声が聞こえた。
「どうして、それを知ってるんですか?」
受話器を手で隠している様子が目に浮かぶ。
耳をそばだてる研究所の一同。
「やっぱり」
その返事に、集まった一同が同時に首を上下した。
「いや、漁協と農協の理事長さんが今こちらに来ていて、同じ手紙が届いたという話なんだ。
もともとの言いだしっぺが蝶々だから、そちらに届かないわけがないだろうと」
電話口の向こうでため息が漏れた。
「お見込みのとおりです。
今朝届きました。
われわれはとても心配してますが、蝶々は一向に気にしていません」
受話器を持ったまま首を左に曲げる所長。
「さすがだね」
「いえ、黄色い封筒を開けてみたら、隣りの横須賀市長宛の手紙だったんですよ。
で、あっちの秘書課に電話したら、あっちに届いていた封筒の中身がこっち宛ての脅迫状だった。
なんだ、入れ間違いかって。
トンマな奴らだって、笑い飛ばすんですよ」
吹き出す所長。
「そうでしたか。
漁協宛てと農協宛ての脅迫状も、中身が入れ間違ってました。
情けない奴らです」
急にトーンが下がった。
「でも、脅迫状は脅迫状ですよね?
心配、ありませんか?」
最後に言った総務管理課長の声が明るい。
「蝶々は、血液型、O型ですから」
鼻からため息を吐く一同。
しばらく下を向いて前髪をつまんで引っ張っていたイブが声をあげた。
「ちょっと待ってください。
なんか似た名前を、以前、聞いたことがあります」
もう2、3回前髪を引っ張ったあと、右手でげんこつを握った。
「思い出しました。
徴収係の青木主幹がボヤいていたのが、多分そうです」
係長が聞く。
「どんな話?」
椅子に座り直すイブ。
「なんでも、所得税の扶養控除を5年遡ってとった外国人がいたと。
つまり、5年目の在留期限、夏頃だそうですが、その帰国の直前になって、所得の更正請求をまとめてしたんです。
単身者だと思っていた外国人労働者に扶養家族が5人も6人もいたとなると、実質的に所得が0になって、納めた5年分の所得税と住民税が全額あとで還付になる」
目を見張る一同。
「でも、還付金が振り込まれる頃には本人は帰国してしまっていますから、あらかじめ、国内の代理人の口座に還付金を振り込むよう委任の手続きがされていた。
その口座が、確かそんな名前で、何人かから一緒に出て来て還付金が高額になったと。
現年度分はその年の歳入金から還付しますから、金額がいくらでも全く問題ない。
ところが、年度をまたいだ分の還付金は『償還金、利子及び割引料』という支出科目から出すことになるんですが、そんな高額な支出があることなんか想定していませんから予算が足りなくなった。
あわてて財政係と調整して補正予算を組んで議会に上げたり、とても大変だったとボヤいていたんです」
思いっきり膝を叩く所長。
素早く机の電話をとって主幹に内線電話を掛けると、イブが話したことを確認した。
終わると、音を立てて受話器を置いた。
「イブさんが言うとおりだった。
『美しい日本を豊かにする会』ってのが、還付金の受取人になってた。
しかも、所在地は同じ千代田区の住所だ。
1人5年分で概算120万、5人分で600万円が、会の口座に振り込まれたそうだ。
去年だけでね?」
息をのむ一同。(つづく)




