第2-12節 誰が最初にコーチの恋人になるか
「生まれ落ちる国と地域も、何語を話すかも、育ての親も自分で選べない。
自分の名前だって、自分で選べないじゃないですか」
食事から帰って来た隣りの係員たちも、貴子ちゃんの話に耳を傾ける。
「人生や世の中は、自分で選べないことや出来ないことだらけじゃない。
サッカーで世界1になった人がいても、卓球や新体操で世界1になれるわけじゃない。
スポーツの種類は300。マラソンで1位になっても、短距離では負ける。
ほとんど全部、自分が勝てない競技なのよ。
だから、自分で選べなかったことやもともと出来ないことで、その人が何か不利益を受けることは、世界中の人たちにとって正しいことじゃない。
人の評価は出来ることでするべきで、出来ないことで評価するならオリンピック金メダリストだって全員0点なのよ」
肩で息をする貴子ちゃん。
彼女の目を見つめたまま、歩夢は何も言わない。
両目を閉じて腕を組んだままの係長。
「だから、全ての人は、できないことだらけなのよ。
ただ、できないことの種類や程度が違うだけ。
多分、『健常者』っていう言葉が、世の中に誤解と分断を作ってる。
できる人とできない人、普通の人と普通じゃない人がいるんじゃなくて、みんながそれぞれ、とてもたくさんのできない事とほんの少しのできる事を持っているだけなのよ」
貴子ちゃんの目を見ながら、歩夢が大きく頭を上下した。
「やっと、きみが言っていることがわかった。
きみが言っていることは真実だ。
ぼくも、今日から『障害者』、『健常者』という言葉を使うのをやめよう。
ぼくも北条さんのように、自分の気持ちに正直に生きるようにするよ」
にっこりする貴子ちゃん。
「『健常者』という概念は、ただの空想に過ぎない。そんな人はこの世にいないんだ。
昨日まで元気でも、今日はお腹の痛い人もいる。
今日は字が書けても、明日は書けなくなる人がいるだろう。
『障害者』と『健常者』という2つの箱の中に、人を分別して押し込めようとしないこと。
できない事を探すんじゃなくて、できることは何かという、1つの同じ視点から自分と皆を見よう。
それが、きっと平等ということなんだと思う」
コンビニ袋を抱えたままの歩夢の手に、自分の手を重ねる貴子ちゃん。
歩夢の左手の薬指にある銀の指輪に目がとまった。
その視線に気付いて頬を赤くする歩夢。
「ああ、パートナーがいるんだ」
張り詰めていた係の空気が、パッと緩くなる。
「もう、結婚してるの?」
貴子ちゃんが目を見張る。
歩夢が、去年、大卒で新採だったことは聞いて知っていた。
「結婚とかじゃなくて、ルームシェアかな?」
歩夢は、町のパートナーシップ協定制度の最初の登録者だ。
「まあ、素敵!
差し支えなければ、お名前を、、、?」
歩夢が斜め上を向いて答える。
「鯛双くん、、、加山鯛双くん。
教育委員会の」
はじかれたように後ろに身を引く貴子ちゃん。
机の末の水筒が倒れ、お弁当ケースが膝から落ちた。
両目が最大限に丸くなる。
「鯛双コーチ?」
一瞬、歩夢の目が宙を見たけれど、すぐに笑顔が戻った。
「ああ、サッカーで一緒だったんだね?」
左手で口を押えたまま、顔が白くなる貴子ちゃん。
頭ががくっと下を向く。
「何かあった?」
床に落ちたお弁当ケースを拾ってあげる歩夢。
「鯛双先輩は、高校生のとき、深井フリューゲルであたしたちのコーチをしてくれてた。
女の子はみんな大ファンで、大きくなったら誰が最初にコーチの恋人になるかって、みんなで競争してた、、、」
つばを飲み込んだ歩夢が、乾いた声で聞く。
「きみも?」
壁にかかった時計の秒針が時を刻む音だけが聞こえた。
その日の午後6時、そろそろ日没という時刻、向かいの小学校の用務員さんが機械警備のセットをしながらグランドの点検をしていると、グランド脇の花が散った桜の木の上に、ひとりで座っている女の子の姿に気づいた。
彼は小学校勤務8年目だったから、6年前に似たことをする女子児童がいたことを覚えていた。
「伝説のキコちゃんか、、、」
彼は、声をかけないまま事務室に戻って行った。(つづく)




