風の行方④
「まずは、定義から始めましょう」
壇上の空気が変わる。
新堂はマーカーを手に取り、ホワイトボードの前に立った。
「田嶋教授、『風力発電』って、何ですか?」
「え?」
突然振られて、田嶋が眉をひそめる。
「いや、もちろん風でプロペラを回して発電する仕組みのことじゃないですよ。そういう技術的な話ではなく、風力発電というものが、エネルギー政策や地域振興の中でどう位置づけられているのかという問いです。あなたにとって、風力発電とは何ですか?」
田嶋は少し考えてから答えた。
「そうですね……。日本は石油や天然ガスといった化石燃料の埋蔵量が乏しい。ゆえに、国産エネルギーとしての再生可能エネルギーの重要性は年々増しています。その中でも風力発電は、洋上も含めて今後の成長が見込まれる有望な電源です」
「なるほど。ではひとつ伺いますが――」
新堂は手元のタブレットを軽く操作しながら、口調を崩さず続けた。
「日本のシェールガス埋蔵量をご存知ですか?少し古い資料ですが、米国エネルギー情報局のレポートでは、埋蔵量で世界第七位という推定もあります。技術的制約やコストの課題はありますが、未開発のエネルギー資源としては無視できない規模ですよね」
「それは……そうですが、掘削や環境影響の問題も大きくて……」
「そう。では、浮体式の洋上風力発電は?まだ商業化の段階にはほど遠く、気象リスクや漁業調整など、技術以外の壁も多い」
「確かに課題はあります。ただ――」
「さらに言えば、太陽光発電なら各家庭でも導入が可能で、送電ロスの少ない自家発電として機能します。騒音や影の問題はあるにせよ、大規模な森林伐採を伴うメガソーラーでなければ、公害という意味では風力よりクリーンな面もありますよね?」
田嶋の表情が少し険しくなった。
「……ええ。ですが、再生可能エネルギーというのは、一つの電源で完結できるものではありません。風力、太陽光、地熱、小水力――あらゆる手段を組み合わせて初めて、持続可能なエネルギーミックスが成り立つんです」
「なるほど。つまりあなたの定義は――」
新堂はホワイトボードに一言、丁寧な字で書いた。
「風力発電=再生可能エネルギーの一翼を担う不可欠な手段」
「これでよろしいですね?」
田嶋は、渋々といった様子で頷いた。
「はい」
新堂は首をかしげ、軽く肩をすくめてからボードの左側にスペースを空ける。
「では、次は――」
マーカーを構えたまま、新堂は視線を移した。
「立花教授。あなたにとって、風力発電とは何ですか?」
会場の空気が、再び張り詰める。
「私も、再生可能エネルギーの一手段と考えていますが……」
立花が口を開いた。
「が?」
新堂が、あえて反応を誘うように尋ね返す。
「先程も申し上げた通り、日本における本格的な実用化は極めて難しい。着床式洋上風力発電に関しては、適した海底地盤――例えば安定した堆積岩層の存在――が必要ですが、日本周辺の海域は急深で、こうした条件に適した海底は極めて限られています。長崎県の五島沖のように、数少ない適地に限られてしまう」
立花は落ち着いた調子で、淡々と話す。
「一方、浮体式風力については、福島沖で実証試験が行われましたが――ご存知の通り、2011年の『福島復興洋上風力実証研究事業』は、コスト高とメンテナンス困難によって2020年に中止されました。最大出力7キロワット級の風車も、台風や塩害の影響を受けて稼働率が上がらなかった」
「なるほど」
新堂は頷き、ホワイトボードに太字で一語を書き込んだ。
《画餅》
「――これでよろしいですか?」
立花は一瞬躊躇したものの、やがて静かに頷いた。
「極論ではありますが、否定はできません」
「では、他の方はいかがですか?」
会場の一角から藤崎が手を挙げる。
「私もほぼ同意見です。さらに付け加えるなら、あの種のプロジェクトは政財界と結びつき、不透明な補助金が交付されることで、地方自治体に公害や風景破壊という負担だけを押し付けている構造に問題があると思います」
新堂は深く息を吐き、首を横に振った。
「これだから、文系は……」
「今の発言、聞き捨てなりませんね」
藤崎の声が鋭くなった。
「ではお聞きします」
新堂が一歩前に出る。
「あなたがおっしゃる『補助金の無駄遣い』、具体的な根拠は何ですか?例えば、『グリーンイノベーション基金事業』ですか?それとも、経産省が推進する『再エネ海域利用法』に基づく入札制度ですか?癒着や贈賄の証拠でもあると?」
「いや、そういう意味ではなく……成果が見合っていない投資だという意味で」
「成果とは何を指すんです?稼働率?コスト?エネルギー自給率?――どのKPIに基づいて無駄と断定されるのか、お答えいただけますか?」
藤崎は言葉に詰まった。
「立花教授」
新堂が視線を戻す。
「あなたも、そこは曖昧にしているようですが」
「……曖昧にはしていません」
「失礼を承知で申し上げます」
新堂の声は低く、しかし明確だった。
「科学とは、投資対効果で判断すべき対象ではありません。風力発電の分野で言えば、デンマークのヴェスタス社やノルウェーのエクイノールは、浮体式の稼働率を年々上昇させています。日本においても、今後『スパー型』や『セミサブ型』といった浮体構造の最適化により、台風下でも耐えうる設計が可能になる見通しはあります」
「それでも、現時点ではコストが高く――」
「それは技術開発途上にあるからです。『はやぶさ』の帰還を税金の無駄と切り捨てた人々が、後になって手のひらを返したように評価する。そういう発想は、科学の時間軸に対してあまりに短絡的です」
「……」
「今あなた方が言っている再生可能エネルギーは役に立たないという姿勢は、ニュートリノ研究に『それ何の役に立つの?』と聞いた発想と同じです。違うとお考えなら、論理的に説明して下さい」
立花も藤崎も、言葉を失って黙り込んだ。
会場全体も沈黙に包まれ、空気の緊張が肌を刺すようだった。
新堂は静かにホワイトボードの前に戻り、マーカーを置いた。
美咲は圧倒されながらも、内心で複雑な思いを抱えていた。
(この人、凄い。でも…感情が、どこにもない。まるで、AIか何かを見ているみたい……)
新堂は淡々と、壇上の環境保護団体の女性に視線を移した。
「あなたには、特に付け加えることはありません。先程、沢村さんがほとんどお話しされました」
「え……」
戸惑う女性に、新堂は静かに続けた。
「沢村さんのご意見に、何か反論はありますか?」
一瞬、女性は黙り込んだが、やがて声を荒げた。
「嫌なものは嫌なんです! あなた、あんな巨大な洋上風車が海に林立する景観の中に住めますか?」
「住めます」
即答する新堂。
「着床式を採用したとしても、海洋騒音も低周波も何も問題ない。ましてや、日本近海におけるスパー型浮体式の風車は、既に国の技術実証事業で騒音レベルが国際基準を下回っていることが示されています。具体的には、2016年に福島沖で運用されたふくしま未来の例ですね」
女性は言葉を失いかけながらも、声を荒げる。
「でも! 科学者っていつもそう! 私たちはこれまで何度も騙されてきたんです。水俣病、四日市喘息、原発事故……私の息子も喘息になりました!失った自然はもう戻らないんです!」
「あなた、今日ここまで何で来ましたか?」
「え……?」
「公共交通機関? 徒歩? それとも自転車ですか?」
女性は言いにくそうに目を逸らしながら答えた。
「……車です」
「なるほど。それなら、あなたもCO2を排出している側ということになります」
新堂は淡々と語った。
「あなたの主張は、ゼロリスク思考に陥っています。あらゆる技術にはリスクがありますが、重要なのはリスクの比較衡量と社会的合意形成です。風力発電が百点満点の解決策だとは私も言いません。ただ、既存の火力や原発と比較してどうか、というのが本質です」
女性の顔が赤くなり、視線を泳がせた。
「最初に言ったように、私は良い悪いの二元論をしているわけではありません。課題は」
新堂はホワイトボードに
透明性の確保
費用対効果
地元住民との合意形成
LCAを踏まえた環境負荷の最小化
と書いた。
「これがこの問題の本来話し合う基軸ではないでしょうか。この辺の合意形成を図るのが話し合いの目的であると、私は考えます」
新堂の意見に、皆ぐうの音も出ない。
「例えばノルウェーでは、漁業との共存を図りながら浮体式風力の導入が進んでいます。我が国がこのまま技術開発でも意思決定でも遅れるのを、あなたは望むのですか?」
壇上の面々が、推進派も反対派も、言葉を失ったように見えた。
(このままだと、論理は完璧でも、感情が置き去りにされる……)
美咲は堪らず、手をあげた。
「あの……」
「はい?」
新堂が、今度は穏やかな笑みを浮かべて振り返った。
「新堂さんのお話、大変参考になりました。確かに、今まで出なかった視点からの指摘が多くありました。ですが」
「ですが?」
「……理論的には正しくても、人の感情は、そう簡単には割り切れません。私たちは、少数意見や反対意見にも耳を傾け、少しでも多くの人に納得してもらう努力をすべきだと思います」
「『少しでも多く』とは、具体的には何パーセントですか?」
「とにかく」
美咲は、あえてその質問を遮った。
「今回の議論を踏まえ、改めて話し合いの場を持ちたいと思います。地元の方々にも参加いただけるよう、日程を調整させてください。その際には、また誠実に、丁寧にご説明させていただきます」
会場から小さな拍手が起こり、やがてその波が広がった。
この場が一つの終息点を迎えたことを、美咲は直感的に感じ取った。




