風の行方③
説明会当日。会場となった九州中央大学の講堂は、定員を超える来場者で満員だった。壇上から見渡すと、反対派の姿が目立つ。赤字で「風力発電反対」と染め抜かれたハチマキを巻いた人々が、最前列を陣取っていた。
開会の挨拶を行う川端守の声がマイクを通して響く。しかし、その冒頭から野次が飛んだ。
「反対!」
「海を破壊するな!」
会場の空気は初めから張り詰めていた。
続いて田嶋教授が登壇し、スライドを用いて日本の再生可能エネルギー政策の概要を解説する。
「日本の総電力のうち、風力発電が占める割合はまだ1%未満です。諸外国と比較しても、その導入率は極めて低い。特に洋上風力は、今後のエネルギー多様化の鍵を握っています」
だが、壇上に立つジャーナリストの藤崎が、するどく言葉を切り込んだ。
「今のお話では、結局『国策』という名の下で、一部の事業者が補助金を得る構造しか見えてきません。都会が火力で浪費したつけを地方に払わせる気ですか?現状のエネルギー浪費体質を改善することが先では?」
会場がざわつく。
続いて環境保護団体の女性が発言した。
「工事による堆積物の拡散で、近海の藻場やサンゴ礁の破壊が懸念されます。アカモクの繫茂域が掘削により失われれば、稚魚の成育にも影響が出る可能性は否定できません。さらに、風車によるバードストライクや低周波音の健康被害…。あなた方、あの風車のすぐ隣に住めますか?」
「そうだ、そうだ!」
反対派の声が広がる中、美咲が静かに立ち上がる。
「当計画について、私からご説明いたします」
場内がどよめいた。テレビ番組『ウイークエンド・アース』で知られる沢村美咲の姿に、思わずスマートフォンを構える人もいた。
「皆さまが風力発電について不安を抱かれるのは当然のことです。いかに科学的根拠を示しても、百パーセントの安心とは言えません。だからこそ、私たちは誠意をもって、丁寧にご説明する責任があると思っています」
その凛とした語り口に、野次が止んだ。
「まず、海洋生物への影響についてです」
美咲は、事前に準備していたGIS地形データをスクリーンに映し出す。
「こちらの海底地形図と底質サンプルの解析結果をご覧ください。候補海域は主に砂質および砂泥質で構成されており、サンゴ群体や海藻の繁茂域からは半径三キロ以上離れています。また、アンカー設置には環境負荷の小さい吸引型を検討中です」
次にバードストライクについて。
「当海域は、東アジア・オーストラリア渡り鳥ルートには含まれていません。ただし、季節風の影響を受けて一部の水鳥が飛来する時期もあります」
美咲は、鳥類の飛行高度のモデリングシミュレーションを示し、タワー高さとの重なりが最小限であることを説明した。
「使用予定の風車は、回転数を抑えたダウンウィンド型で、ナセル部には赤外線感知センサーを備え、鳥類が接近すると自動停止する機構も搭載可能です」
そして最後に、低周波音。
「ISO1996‐1準拠の音響評価を行ったところ、風車から五百メートルの地点でも四十デシベル未満、夜間の基準を大きく下回っています。これは、波の音や生活音と比較しても低いレベルです」
淡々と、しかし熱意を込めて語る美咲に、反論の声は途切れがちだった。
「現在の日本は、依然として火力発電が約70%を占めています。これを段階的に再エネへ移行するには、多様な手段の併用が不可欠です。洋上風力はその柱の一つとして、実現可能性と持続可能性を兼ね備えています」
そして静まり返った会場に、ひとりの手が上がった。
「ちょっと、よろしいですか」
声の主は、白髪交じりの落ち着いた男性だった。
「はい、どうぞ」
「私、九州海洋環境研究所の立花恵一と申します」
(立花教授……)
美咲は緊張で生唾を飲み込んだ。
白髪交じりの髪を撫でつけ、落ち着いた口調で立花が語り始めた。
「確かに、欧州、特に北海沿岸諸国では洋上風力は非常に大きな産業に成長しています。ですが、あれは水深五十メートル以下の遠浅な海域が広がっているからこそ可能になったものです。コスト面でも工期面でも有利な着床式が主流だから、成立している」
会場が静まり、誰もがその一言一句に耳を傾けていた。
「一方で、日本周辺の海域はご存じの通り急深です。水深が急激に深くなるため、着床式の適地は限られる。加えて、着床式は施工時に大規模な海底掘削を伴い、海洋環境への影響も無視できません。たとえば堆積物の攪拌による濁りや、生息環境の破壊など、沿岸生態系に長期的な影響を及ぼすリスクもある」
立花は一呼吸置いて、美咲の方を見やった。
「では、浮体式にすれば解決するのかというと、それも簡単ではない。確かに地質の影響は受けにくく、深海にも設置可能ですが、日本近海では台風や高波といった過酷な気象条件が年々激化しています。係留システムの信頼性やブレードの耐久性、さらにメンテナンスコストの高さも無視できません」
彼は手元の資料を掲げた。
「2025年現在、浮体式は複数の実証プロジェクトが動いていますが、いずれも商用化には至っていない。発電コストは依然高く、長期的な電力の安定供給には不確実性がつきまとう。全国展開どころか、限定的な導入すら慎重に検討すべき段階だと、私は考えます」
立花の目が鋭く光る。
「にもかかわらず、国策として派手に旗を振ることで、『脱炭素に取り組んでいます』というアピールだけが先行しているように見えてしまう。あなた方は、この『やっている感』を優先した政策のどこに、持続可能性を見出しているのですか?」
立花教授の言葉に、反対派が再び活気づく。
「そうだ、説明しろ!」
「もっと本当のことを言え!」
ざわめきが講堂を包み、美咲の胸に緊張が走った。
(まずい……どうしよう……)
強烈な論理の前に、先ほどまでの空気が一転してしまった。
自分たちの用意した資料では、立花の懸念全てに明確に答えるのは難しい――美咲の一抹の不安が的中していた。
美咲が言葉に詰まっていると。
「あっはっは!」
講堂に響いたのは、大きな、しかもやけに朗らかな笑い声だった。
誰もがそちらを振り返った。
壇上の美咲も、立花教授も、そして会場の誰もが、声のした方を振り返った。
立ち上がったのは、ひときわ背の高い男だった。ポロシャツにチノパン、肩には使い込まれたノートPCの入ったショルダーバッグ。髪はやや無造作で、どこか人懐っこい目元が印象的だ。
場違いなラフな格好ながら、その立ち居振る舞いは不思議と堂々としていた。
「すみません、ちょっとだけ。いやぁ、さっきからバードストライクだの騒音だの、細かい話ばかりで……正直、分かりにくかったんですよね」
と、男は片手を軽く上げて苦笑する。
「でも、立花先生のご指摘、ようやっと面白くなってきたなって思って聞いてたんです。そしたらあまりに完璧すぎて――逆に『もう日本で風力なんて無理だろう』って気分にさせられた」
クスクスと、小さな笑いが客席に広がる。
「完璧すぎる議論って、案外“やらない理由”になりがちじゃないですか? 理屈は合ってる。でも、それで終わっていいんですか?」
男は壇上の立花教授を一瞥し、わざとらしく眉を上げて見せた。
教授は軽く眼鏡を直したが、言い返す様子はない。
「それって――『論破するための論理』ですよね? 本来、議論って『より良い答えに近づくためのプロセス』なんじゃないですか?」
ざわつく会場を尻目に、男はふっと笑った。
「友情とは、お互いを見つめ合うことではない。同じ方向を見ることだって、サン=テグジュペリも言ってますよね?」
男はちらりと壇上の美咲、そして立花教授を順に見渡す。
「先生方――あなたたちは、どっちを向いて話してますか?」
「どっちって……」
立花が思わず戸惑いの声を漏らす。
「ちょっと失礼します」
男は一言そう言って、座席の列からすり抜けるように前に出ると、まるでそこに立つのが当然のように、壇上に上がった。
係員が制止しかけたが、男のあまりの自然さに、一歩遅れた。
「お互いが自分の理論で相手を封じて、溜飲を下げる。――それって、幼稚ですよ。今の日本がそんな議論してる余裕、ありますか?」
男は言いながら、壇上の脇にあったホワイトボードへと歩み寄った。そこには「再生可能エネルギー導入スケジュール」と書かれた文字と、細かな項目が並んでいた。
キュッ、キュッ――。
ためらいもなく、男はマーカーでそれらをすべて消してしまった。
「あっ!」
美咲が思わず声を上げる。
「こんなの、手元のプログラムに書いてありますよね?ここに掲げておく意味、ありますか?」
男は背後にいる会場の全員を見渡すように手を広げる。
「議論が必要なのは紙に書かれた予定じゃなくて、これからの選択肢です。やるか、やらないか。やるならどうやってやるか。やらないならどうしてか。その覚悟を話し合いませんか?」
しん、と静まり返る会場。その中で、男は少し笑みを浮かべ、こう続けた。
「僕は技術屋です。風で電気が作れるなら、どうやってでもやれる側の人間ですよ。――さて、先生。もう一度聞きます。あなたは、どっちを向いて話してますか?」
会場の空気が凍りついたように静まりかえる。誰もが、男の突然の登場に、そしてその鋭い言葉に息をのんでいた。
「……あなた、失礼ですが、どなたですか?」
司会を務めていた藤崎が、やや苛立ちを隠せない調子で問いかけた。
新堂は肩をすくめ、うっすらと笑みを浮かべながら言った。
「これは失礼。私は、神奈川科学大学の准教授、新堂翔と言います」
「神奈川科学大学…」
美咲は小さく呟き、思わず顔をあげた。
(まさか)
その名前と顔を、はっと思い出した。
「ひょっとして、地質学の……」
「いかにも」
新堂は、壇上の美咲に向き直り、まっすぐに目を見た。
その目に、確かに覚えがあった。
先月、母親に見せられた――あの、見合い写真の男だった。
一瞬、時間が止まったかのように、美咲は言葉を失った。




