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外伝 イェルギルスの遺言状 / 第二章 大魔導士のスキを突く

 深夜のゲート魔呪大習院は静寂に包まれていました。霧は濃さを増すばかりで、今では足元も朦朧と見え隠れする状態にありました。所在地の戒厳令に配慮して、深夜外出を控える内容の勧告文は午前中に出されたばかりでしたから、講義を終えた院生たちはおおむね寮にもどったところでしょう。ただ一人、セフィリアを除いては。


 大講堂の利用には各学部長の許可が必要となるため、どんなに研究熱心な院生でもそうしょっちゅう入ることを許されるとはかぎりません。講義が終われば直ちに講堂の検査、修復が行われるのが利用条件になっているため、担当した学部長じきじきに天蓋部の水晶に魔力を注ぎ込む様子を眺めるのも、大講堂で講義を受ける院生たちの楽しみとなっています。


 それだけに、今回のような講義が終わるや否や講師がさっさといなくなるケースでは、院生たちの不満を招きかねません。「敵同士」といっても、ソフィアおばさんの部屋で居候しているセフィリアには少なからずの責任を感じていました。普段ならドンと胸をたたいて、代わりに私が何とかする、と買って出たことでしょうが、この場合ばかりはそういうわけにもいきません。


 大講堂の修復には高度の魔術技術を必要とします。五百人を優に収める講堂の隅々を検査し、その上適量の精神力を水晶に送り込むできるだけの精度に魔力を高めるには、やはり魔道士クラスの修練を重ねていない限りは難しいでしょう。並みの院生が五、六人集まればあるいは真似事もできましょうが、セフィリアの魔力はそれよりもはるかに及ばないなのでありました。


 一般に魔術学博士レベル以下では大習院の試験に合格できないと言われていますが、実際今のセフィリアはその魔術学博士の教え子、魔術研修士の段階にいるのです。これは魔術見習いから数えて四番目の資格で、十代から魔術を志したものなら大体は三十代で合格するといわれています。セフィリアは魔術を教わって五年足らずで習得したわけですから、魔術の才能には恵まれていたといえましょう。しかし、それは大習院を合格するに足るものではありませんでした。


 唯一の肉親、叔父のミシェル・ハルフォートはライン帝腹心の将軍であったため、セフィリアは二度にわたって試験を挑む機会に恵まれました。無論合格するはずもなく、しかもあまりにレベルの低い魔術師を推薦したため、推薦者のライン帝が大習院の不信感を買う事態に至り、ネーヤの魔術士のレベルを測り直す大試験まで勧告されたといいます。


 結局、当時宮廷魔術師団長だったソフィアがネーヤ魔術界を代表して試験で評価を受け、翌年に学部長に招かれましたが、この一件以来、伝統あるネーヤ魔術協会の名が一気に地に落ちたのはいうまでもありません。


 これほどに大それた行いをすれば、平民ならずともただではすみません。いくら叔父が軍部の実力者でも、王国の名誉を汚した罪は重大だったのです。元老院、軍部参議院の一致した決議でセフィリアは晒し首の刑に処される判決が、ソフィアが大習院の試験を受けた当日に下されています。


 判決に従っていれば、セフィリアはとおの昔に処刑されたことでしょう。しかし、ライン帝さえ考慮せずには居れない両院の決議を、また十三歳の誕生日を迎えて幾日もしなかった「小娘」がいとも簡単に跳ね除けたのでありました。


 決議宣告をしたいかつい執行官を前にして、セフィリアは逆に食ってかかったのです。


 彼女は、その場にいた誰もが耳をふさぎたくなるような、しかし認めざるを得ない事実を淡々とつぶやいたのです。


「私を処刑したら、皇帝が推薦を許可した時の“留音呪”を、世界中の魔術学校へ流すわよ」


 低位魔術に声や映像を一時的に保存できるものはありましたが、ただの一度さえもライン帝にお目通りのないセフィリアの言葉を、稚拙な脅しに過ぎないと、信じたものは誰もいませんでした。


 実際に『留音呪』が、次の瞬間にその場で小さな音量で再生されるまでは。


 すぐに宮廷内務総監が責任をとらされて流罪に処されたり、近衛隊長が僻地に飛ばされたりと執政部は大騒ぎになりましたが、セフィリアに入れ知恵した犯人を探し出せという政令だけはくだらないまま、今日に到りました。


 探さずとも、あらゆる種類の高位結界に守られた皇帝の書斎に、まったく狂いのない『留音呪』を紛れ込める魔術師は王国広しといえど一人しかいなかったのです。


 命の恩人、無理して大習院に入れてくれた恩師、その上日ごろは何かと世話を焼いてくれるありがたいソフィア先生ですが、セフィリアはどうしても心から信頼を寄せられなかったのです。


 幾度となく助けてもらったことに対する負い目もあるのでしょう。とにかくソフィアに親切にされればされるほど、セフィリアは不快を募るばかりでした。本当は決して嫌いではないのに、いざ当人を目の前にすると、ついつい食って掛かってしまうのでありました。


 先生に禁呪について自分は真剣に考えていると、示ししたかった。魔力は足りないけれど、自分を大習院に入れてくれたのは間違いではない、その証明をしたかった……


 かっこよく決めたつもりだった髪を無造作に掻きむしると、天井で淡い水色の蛍光を放っている水晶樹がセフィリアの視界に飛び込んできました。


 一人でいるときに、時折無性に落ち込んだり、悲しい気持ちに苛まれたりする。理由はいつもはっ霧しているけれど、それを受け止めきれない自分がいる。私は悪くない。うまく物事を運ぼうと努力すればするほど、大きく失敗してしまう。でも私のせいじゃない……


「……あっ」


 はっと我に返った。こんなところで感傷にふけている場合ではない。あわててむき出しになってしまった感情を奥へ押し戻してから、改めて大講堂を見渡す。


 まずは何より、大講堂を修復しなくては。院生がソフィアを評議会に訴えても、大講堂の状態さえ完璧であれば事なかれ主義の最高評議員たちは動かないはずだ。上位魔道士ほど、世間体に無関心な人種はいない。ソフィアと同居していて、これだけははっ霧した。


とはいえ……


セフィリアからもう一度、大きなため息が漏らしました。


やはり自分の力では……・


「あいつらにも、相談できる話じゃないし……」


 精一杯頭を巡らせても、解決法はこれしか浮かばなかった。


 明日になると、バルティアの先生が大講堂を使ってしまう。そうなれば師匠の立場は確実にまずくなるだろう。


 もう迷う余裕はない。


 真新しいローブを風呂敷代わりに資料を包んで講壇の下に隠した。それからできるだけ静かに、しかし可能な限りの魔力を搾り出し全身を巡らせる。同時に、導きの言葉を口にした。


 「陣風に紡がれし、超越の大地を闊歩する聖賢よ……」


 空間の法則を無視した「次元呪」の一種でありました。本来ならば物品の運搬に使う低位呪文ですが、今のセフィリアの精神力ではこれが精一杯といわざるを得ないでしょう。


 後の呪文はなんだったのか、もう思い出せないけれど、すでに大半が滞りなく完成した以上、予定したポイントからはさほどずれないはずだ。


 心の中で舌打ちしつつも、セフィリアは終結の印を結んだ。


 「……魂魄が赴く場所へ、肉体の依代もまたあらん。かの地へ、我を運びたまえ――」


 高めた魔力が呪文にあわせて放出され、たちまちセフィリアの体が、淡い光に包み込まれてまいります。


 天井の水晶樹も、呪文に共鳴して光を増していきます。ほんの一瞬、セフィリアを包む光が水晶樹と同じ色になり、その場から消失していきます。


 行き先は、並みの魔道士でさえ立ち入ることを許されない、大習院の禁書庫でありました。太古に作られた魔力増大アイテムがあると、一度だけ、悪酔いしたソフィアから聞かされたことがあったのです。


「今度こそ、証明してやる……」


 静かに異空間を渡りながら、セフィリアはひとり笑みを浮かべていました。

 

 今度こそ、先生もわたしを見直すだろう。

 

 想像するだけで、嬉しくてたまりませんでした。


 おかげで、精神力も少し増したきがする。


 あと数秒もすれば、目的地に着く、と彼女は確信したのでありました。


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