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売るのは待て

 王都というのは、いつ来ても少しだけ息苦しい。

 人の数が多い分だけ、あらゆるものが濃い。外壁で囲まれている分、においも籠る。溝にたまった不浄のにおいや人々のつける香水が凝縮されたにおい、生活のにおいが、アルノーを圧倒してくる。地方の開けた都市のそれとはわけが違う。

 アルノーはそれを馬車の窓越しに感じながら、膝の上に置いた木製の箱を確認した。

 中には芯切り、布裁ち、紙用のハサミがそれぞれ一本ずつ収まっている。これを父に渡す。

 フェリックスに念を押された言葉を、アルノーは忠実に守るつもりでいた。本題は父に持っていくこと。ついでではない。本題。

 それはわかっている。

 ……でも、ヤンさんへの用件も夫人へのご挨拶も忘れずに済ませるのだ。我ながら段取り上手だな、と心の中でひとり頷いた。


 王都におけるアルノーの拠点は、父の滞在しているパンシオンである。

 パンシオンの女主人であるエレーヌ夫人は、もともとはフェリックスの家庭教師だった人だ。その縁で、週の半分ほどの約束で、アルノーも作法などを教えてもらっている。その間は特別に、父の部屋に泊まる許可まで与えてくれているのだった。

 ジルとジュリアンには表でしばらく待機してもらい、アルノーはひとりで中に入る。

 モレル家では護衛分のパンシオンの家賃までは払えないので、滞在時にはいつも平民街の宿に待機してもらうことになっていた。父との話が済み、明日の予定が決まったらそれを護衛に伝え、時間に迎えに来てもらうのがいつもの流れだ。

 もっとも、王国安寧調査官とやらの俸給が出ているので、今のアルノーにならその分くらいは払えるはずなのだが……、身に覚えのないことで褒められ、さらにお金を使い込んだとなると、あとで何かあったときが怖い。

 心底怖い。

 あの時は本当に怖かった。処刑広場に呼び出され、いよいよ処されるのかと思いきや、なぜか聖人認定されて叙爵され、謎の官職まで与えられたのだ。

 貧民救済・処刑改革・執行人名誉回復をぜんぶやってのけた偉人がいたらしいのだが、何故それが自分だということになったのか、アルノーにはいまだにわからない。

 この半年、なるべく考えないようにしていたことを思い出してしまい、アルノーは少し身震いをした。

 パンシオンの中に入り、迎えに出てきた小間使いに挨拶をすると、父がもう帰宅して部屋にいることを告げられる。夕食の時間を確認し、サロンにいた他の住人達に挨拶をしながら、最上階にある父の部屋の扉をノックした。

「失礼します。……お久しぶりです、父上」

 部屋に入ると、窓際の椅子に座って書類を見ていた父・オーギュストが顔を上げて、アルノーと、その後ろを確認するようにしてから、小さく頷く。

「変わりはないか」

「はい、おかげさまで。兄上も健勝に過ごしております」

 アルノーは部屋の中の自分用の簡易ベッドに荷物を下ろすと、持ってきた木の箱を手にした。

「早速なんですが、兄上に、早く父上に見せろと言われたものがあるんです。これなんですが……」

 蓋を開けて布を開くと、精緻な飾り彫りが施された深い青色の持ち手と、鏡のような輝きを持つ刃を備えた、三種類のハサミが並んでいた。

 父に渡すのは二色に分かれているものにしよう、と三種ともそのタイプで揃えてみた。青みの美しさと、これまでにない刃の輝きの対比が美しくて、アルノーはこれを気に入っていたのだ。

「ガスパールさんたちが作ってくれたんです。フォンデュ鋼、という名前をつけました」

 父上なら紙ハサミかな!と思ったアルノーは、無造作にハサミをひょいと手に取り、父上に向けて差し出す。

「綺麗だし、軽いんですよ!使ってみてください」

 オーギュストはハサミを受け取ったものの、しばらく動きを止めた。

 刃を眺め、一度だけゆっくり開いて閉じた。持ち手に彫られた模様を指でなぞり、刃の腹を横から見た。表情は変わらなかったが、目の動きが少しだけ変わった気がした。

「……ガスパールが、これを」

「はい!兄上に見せたら、すぐ父上に持って行けと」

 父上が静かにハサミを円卓に置いた。

「売るのは待て」

「それも兄上に言われましたので、そのつもりです」

 自分は家令見習いとしても若輩である。自分よりも経験が多い父や兄が揃って言うことには、きちんとした理由がある。それを知っているアルノーは、父や兄の積み上げてきたものが誇らしくなって胸を張った。

「……ハサミ以外は、作っていないか?」

 気のせいか、父の声が重くなった気がする。

「はい。やっぱり生活に即したものが一番いいかと考えました。剃刀なんかも候補にありましたが、切れがよすぎて血が出たら怖いですし……ハサミなら長く使えますから」

「……そうか、わかった」

 アルノーが即答すると、少し何かを考えるようなそぶりをしていた父が立ち上がり、机に向かった。

 羽根ペンを取り、しばらく書き物をしていたが、折り畳んで封をすると、アルノーにしたためたばかりのそれを差し出した。

「何日か滞在予定だったな。予定を変更させて悪いが、繰り上げだ。明日王都を発ち、これをフェリックスに。急ぎだ」

「はい」

「それと」

 父がアルノーを見た。

「お前は考えた先からなんとなく動くことが多いだろう。これからは、護衛にもお前の仕事の中身や考えたことを、ある程度伝える癖をつけておきなさい。何から守るべきかわからない護衛に、守ることはできない」

「……あ」

 言われてみれば、そうだ。護衛というのは傍にいればいいというものではない。護衛対象が何を持ち、何に近づき、何を警戒すべきかを知らなければ、判断ができない。

 アルノーは素直に頷いた。

「わかりました。伝えます」

 その返事を聞き、わずかな間を開けて父が口を開く。

「……体はちゃんと休めなさい」

「はい」

 たったそれだけだったが、不器用な父なりに気にかけてくれているのだということが伝わってきて、胸のあたりが少しあたたかくなる。

 アルノーは深く礼をして、護衛に明日の指示を出すために部屋を辞した。


   * * *


(オーギュスト視点)

 息子が部屋を出ると、オーギュストはもう一度ハサミを手に取った。

 刃を開く。

 均一で、細かく、まったく揺らぎがない。

 これほどの鉄製品は、見たことがなかった。本当に鉄なのかも疑わしいくらいだ。

 売り出しを止めたのは正解だった。これが何であるか、オーギュスト自身にはまだわからない。

 わからないが、わかる人間が見れば目の色が変わる代物だということだけは確かだ。それが何に使われ得るか、それが誰の手に渡ればどうなるか——少なくとも、今のモレル家の立場で迂闊に動いていいものではない。

 国に納め、報告する必要がある。そのくらいの価値があるものだと、オーギュストは感じていた。

 数年前も、モレル領からアルノーの発案による新しい形の包丁が流通し、新たなスタンダードとなるくらいの流行となったが、今度も刃物だ。

 念には念を入れるくらいでちょうどいいだろう。

 まず、侯爵閣下へ書状を出す。それが筋だ。

 オーギュストはハサミをゆっくりと布に包み直し、箱に収めた。

 あの子は、アルノーは、領のことを思っているのも悪気がないのも確かだが、家令には向かないのではないか……。そんな気がしてならない。

 家を背負った場に出すには、貴族社会にあまりにも向かない性格であるように感じた。

 あの自由さ、のんきさ。……一代限りの男爵位は、アルノーが一番生きやすい道を拓いてくれたのかもしれない。まあちょっと本人が変わっていると評価されるだろうが、本人の功績で叙爵されたのだから揺るぎはしないだろう。一代限りということで、背負うべき家という重荷がないのも幸いだった。

 それがなかったら、何が向いているのか……そう考えて頭を振る。

 放蕩息子——ぴたりと当てはまる言葉に、オーギュストは苦く笑った。


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