令嬢の包囲網
ダンスもどうにかこなした。
リュシー嬢が意味深なことを言っていたが、自分にわからないことがあるのは今更だから、気にしないことにする。
それよりも、やらなければならないミッションは三つだ。
一、挨拶回りをそつなくこなす。
二、アルノルドの位置を確認する。
三、表彰が終わったあとに動けるよう、出口に近い位置を確保しておく。
アルノーは扇を開き、会場を一度見渡した。
まず、ジュリアンの位置。きらきらしてるからすぐわかった。壁際、右奥。いつものように、背筋を伸ばして立っている。
次に目に入ったのは父の姿。グランヴァル辺境伯と一緒に歓談している。
ユーグの位置。……中央よりやや左。表彰される側だからか、それなりに目立つ場所に案内されていた。ドレスコードを完璧に守ってはいるが、他の貴族とはどこか空気が違う。気づいている人間は少なくないだろう。ユーグ本人はそれを意に介していないようだった。
アルノルドの位置。
ここでアルノーは、思わず目を瞠った。
アルノルドは、部屋の隅で、エレーヌ夫人と向かい合っていたのだ。
二人の距離はさほど近くなく、ごく礼儀的な距離だ。だが二人の輪郭やグラスの持ち方に、何か共通点を見た気がした。
だが、今はそれどころではない。今日のメインイベントは別のことだ。
扇を閉じ、次に目指すべき背中を探した。
まず挨拶すべきはシャンブル侯爵である。アルノーの男爵位の元々の持ち主でもあり、この状況に至るまでの大元を作った恐怖の根源であるが、モレル伯爵家の本家であり、その影響は到底無視できるものではなかった。
会場を見渡したその時、人混みが割れた。
「ド・クレマン男爵。ご壮健そうで何よりだ」
現れたのは、髪を完璧に整え、瞳に冷徹な理知を湛えたシャンブル侯爵その人だった。アルノーの背筋に、冷たいものが走る。
「侯爵閣下。お変わりなく……」
侯爵が、少し愉しげな目でアルノーを見た。
「せいぜい役に立ってもらおう、と思っていたが……期待以上だ」
「光栄です」
当たり障りのない返事をして礼をするアルノーの姿に目を細め、人の波に消えて行った侯爵の背を見送り、アルノーは安堵で深く息を吐いた。
その後も、挨拶回りはアルノーにとって苦行以外の何物でもなかった。
「ド・クレマン男爵、お会いできて光栄ですわ!」
「まあ、その伏せられた睫毛の美しいこと。……やはり日々、祈りを捧げていらっしゃるからかしら?」
令嬢たちの包囲網が、アルノーの行く手を阻む。彼女たちの瞳は、まるで珍しい宝石を見るかのようにキラキラと輝き、同時に肉食獣のような鋭さを秘めていた。
……近い。扇から漏れる香水の匂いがすごい……!
アルノーは微笑みを貼り付けたまま、無意識に一歩、後退した。
「……皆様、過分なお言葉、恐縮です。私はただ、なすべきことをしているに過ぎません」
なすべきことってなんだよ、とは自分でも思うが、どう躱したらいいのかわからない。
必死で表情筋を総動員しながら会釈する。
どうやらその態度は、令嬢たちと適切な距離を保ち、浮ついた心を見せない高潔な態度に見えたようで、周囲の夫人たちからは感嘆の溜息が聞こえた。
「ご覧なさいな。あの方、誘惑を撥ねのけるのではなく、そもそも意識のなかに欲が存在していないようですわ」
「まさに現世に降り立った、生ける聖画ですわね……」
その誉め言葉、俺が聖人の立場を返上した後でも保てるか、見ものだな!
アルノーは疲れて働かない頭で、謎の啖呵を切る。
ほうほうの体で令嬢たちの輪を抜け出すと、壁際で死んだ魚のような目をしているジュリアンと視線が合った。
視線で助けを求めたが、そっと逸らされる。
喉元まで出かかった「助けて」という言葉を飲み込むために、アルノーは本日何度目かわからない扇の開閉を行った。




