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家令、あきらめます

 二台の馬車と数騎の馬が門をくぐり、扉が開いた。

 先頭の扉から降りてきた父は、なんだかちょっと疲れたような顔をしている気がするが、まっすぐな背筋も歩き方も変わらない。

 フェリックスがすぐさま歩み寄り、父と言葉を交わす。

 その傍らには、馬を降りたばかりの一人の女性が、当然のような顔をして控えていた。

 重たい乗馬用のスカートを片手で捌き、誰の助けも借りずに地面へ飛び降りたその足元には、淑女用の繊細な靴ではなく、泥に汚れた頑強な革ブーツが見えた。

「アルノー、こちらはリュシー殿だ。父上の護衛として、隣領からずっと同行してくださった」

 フェリックスの言葉に、アルノーは数日前の朝食の光景を思い出した。そういえば、兄が「父の護衛を兼ねて、婚約者候補が来る」とかなんとか言っていた気がする。

 紹介されたリュシー・ド・グランヴァルは、上質なドレスを纏ってはいるものの、その肩のラインや手首の引き締まり方は、明らかにダンスで鍛えられたものではなさそうだった。

「はじめまして、グランヴァル令嬢。父を無事に送り届けてくださったこと、家族として心より感謝いたします」

 令嬢へ会釈を返し初対面の挨拶をしたのち、アルノーはその視線を家長である父へと移した。

「お帰りなさい、父上。ご陞爵、おめでとうございます」

 父は足を止めてじっとアルノーを見つめると、無造作に伸ばした手をアルノーの頭に乗せた。

 くしゃりと髪が乱される感覚に、アルノーは自然と目を細めた。父の不器用な手の重みが、何よりも雄弁に帰還を物語っているようだった。


 ふと視線を上げると、その様子をじっと見つめるリュシーと目が合った。

 アルノーは首を傾げて、困ったような笑みを浮かべるにとどめた。


   * * *


 晩餐が終わり、客間に人が散ったあと、父と二人きりになる時間があった。

 暖炉の火が爆ぜる音だけが響く。

「フォンデュ鋼のこと、王都での扱いを聞いたか」

「はい。兄上から」

「お前が動かなければ、生まれなかったものだ」

 アルノーは返事をしなかった。

「軍需品に指定されたのは、本意ではないだろう。だが、持つことで使わずに済むという理屈もある」

「……みんな、物騒なものが好きですよね」

 アルノーは、火を見つめたまま言った。

「私は、滑らかに切れるハサミが作りたかっただけなんです」

「そうだろうな」

 父が、かすかに笑った気配がした。

「ガスパールたちに、迷惑をかけましたか」

「陞爵の恩賞は、彼らにも届く。それだけは約束する」

 アルノーは頷き、軽く息を整える。

「父上」

「なんだ」

「……俺、家令になるの、あきらめます」


   * * *


 旅をしてよかったと思う。野営で簡単な料理を覚えられたから。

 朝のやわらかな光の中、アルノーは家の裏に作ってもらった簡易的なかまどの灰から、トフィーを取り出した。

「あちっ」

 コロコロと転がるそれを拾い、皮がついててよかったと思いながら拾って、ふーふーと息をかける。

 言わんこっちゃないと言いたげなジュリアンと、そんなものを食べるのかという顔をしたジルの視線をものともせず、アルノーは皮を剝き始めた。

 塩、脂、ハーブ。形を変え、温度を変える。

 すりおろしてみるのもいいかもしれない。

 割ったトフィーにバターを落とし、はふはふと食べながらアルノーは夢を膨らませた。

 これは絶対にチーズも合うな。マッシュしたトフィーにチーズをかけて焼くのだ。下にはひき肉や塩漬け肉もあるといい。野菜も合うものが多いだろう。

 次々に浮かぶ食材や調理方法を、頭の中に雑にメモする。


 今は全部、トフィーの熱さの中に溶かしてしまいたかった。

 こみ上げる何かをぐっとこらえていると、いつの間にか隣に腰を下ろしたジュリアンが、トフィーを剥いていた。

「ジュリアン、おいしい?」

「…………ええ」

 ジルもおそるおそるトフィーに手を伸ばしている。

 アルノーは、少しだけ笑った。


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