トフィーという名前にした
アルノーはかつてないしょんぼりの沼にどっぷり浸かりながら、アルノルドの部屋を訪ねようとしていた。
自分は家令には向いていない。
大好きなこの土地を、一緒に支えたかったのに。
そう思うと、涙が滲みそうになる。
でも、とアルノーは思う。
でも、アルノルドは本当に聖人だった。あんなことを成し遂げた人が聖人でないはずがない。
名誉の返上もきっとすんなり行くだろう。返還時のイメトレも始めなければならない。
そして、俺は……王……ナントカ官を罷免され、爵位は……どうかな、別にお金もらってるわけじゃないしどうなんだろう。撤回する方が国にとっては恥となるかもしれないからわからないけれど、仮に爵位が付いたままでも貴族を名乗るのもおこがましい、腫れ物のような立場になるに違いない。
そう考えながら、怪訝そうな顔をしているジュリアンを横目に、アルノルドが滞在している部屋の窓を叩くと、部屋の主はびっくりしたように窓を開けてくれた。
いきなり窓から現れた不審者にこの対応である。聖人ともなると度量が違う。
「え?……これはアルノー様、窓からなんて一体どうされました」
だから、アルノーは決めたのだ。
「突然すみません。アルノルドさんが持ち込まれた、ドロ……いえ、大地の黄金卵をお譲りいただけませんか」
ドロコブ料理店を開こう、と。
* * *
アルノーは窓から投げ渡してもらったドロコブの袋を引きずりながら、少し気分が上向くのを感じていた。
アルノルドも栽培についてそこまで詳しいわけではないようだったが、故郷で見たという景色や、植える時期や収穫のタイミングなどは教えてくれた。
そうしたらちょうど、麦を刈り終わった今がちょうどよいとのことだったのだ。
これはもう、輝かしきドロコブへの道が開けたと言っても過言ではないだろう。
もともと次男で家督を継ぐわけでもなかったアルノーは、本来平民になる予定だったのだ。
平民になったあと、家令になるか、この国でのドロコブ料理の第一人者になるかの差なんて、たいしたことではないではないか。アルノーは素直にそう思った。
ジルを介して子爵家所有の、刈り取り済みで休ませている麦畑を使う許可を得たアルノーは、引きずってきたドロコブ袋を手から離し、領地に集まりつつあった就職希望者たちに、ドロコブ植え付け任務を与える。
まずはなんだか盛り上げた部分を作り、そこにカットして灰まみれにしたドロコブを埋めこむのだそうだ。よくわからないが、国ではそうしていた、とアルノルドが言っていた。
ポケットマネーはもう残り少なく、王……ナントカ官の俸給に手をつけた。
何故だかジュリアンが息をのんでいたが、構わなかった。
もともと過ぎた役職だったのだ。いかに自分がふさわしくないかの証明になるだろう。
そう、アルノーはやけっぱちになっていた。
……しかし、「ドロコブ」か。
アルノーは、手にしたドロコブをしみじみと見る。
おいしいのに、ジュリアンをはじめとしたこの国の人たちは、この塊を食べることに抵抗があるようだ。
供するときは、本来の姿が分かりにくい形で出す必要があるかもしれないな、と思う。
あとは名前だ。ドロコブなんていかにも食べる気にならない名前ではないか。
「トフィ―、にしよう」
アルノーはなんとなく、いい感じの名前で呼ぶことにした。
* * *
アルノーが土を掘り、切ったドロコブを埋めていたころ。
ユーグは何度目かの浄化槽の出来を確認し、静かに荷物をまとめていた。
ヤンもアルノーの御用があらかた片付き、そろそろ王都へ帰還しようとしていたから、ちょうどいい。
「……王都にも、これが欲しいですね。私の屋敷近くなら、誰も文句は言わないでしょう」
ユーグのその一言で、職人たちの間に激震が走った。
彼らにとって、自分たちの技術が「王都」に認められた瞬間だった。
「ユーグ様の御屋敷に!」「我々の技術を、王都へ!」
盛り上がる職人たちと、それを引率してさっさと移動の準備を始めるユーグ。
アルノーの知らないところで、最先端の浄化技術を持ったプロフェッショナル集団が、王都の貧民街にある執行人邸を目指して出発しようとしていた。




