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胃をさすりながら(フェリックス視点)

 館に戻り、アルノーに強引に湯を浴びさせる。

 アルノルドなる爆弾と、執行人の息子であるユーグを賓客用の部屋へ押し込めたあと、フェリックスは弟を執務室に呼び出した。

 弟が連れてきたのは、常人ならば字面を見ただけでも失神しそうなメンバーである。

 ソファーに座ったアルノーは、旅の汚れが落ちてすっきりした顔をしている。対照的に、フェリックスは机の上の書類を指で叩いた。

「いいか、アルノー。お前には自覚というものが、絶望的なまでに欠けている」

「自覚、ですか?」

「そうだ。お前が王都で撒いたハサミの種が、いまや国を揺らす嵐になっている。ボアルネの代官からの書状を読んだか? お前、検問で随分と派手にやったそうじゃないか」

 フェリックスが目を細めると、アルノーは不服そうに口を尖らせた。

「だって、あの代官、兄上の署名にケチをつけたんですよ。兄上が心を込めて書いてくれた通行証なのに、偽造を疑うような失礼な真似をするから……」

「……」

 私のために怒ったのか、お前は。

 一瞬、フェリックスの胸に熱いものが込み上げたが、ぐっと飲み込んだ。

「……気持ちは受け取っておく。だが、外交的に目立つな。お前のその『ちょっとした善意』のせいで、今この領地に何が起きているか知っているか?」

 フェリックスは窓の外を指差した。

「お前が王都で『人手が足りない』と漏らしたせいで、職人や食い詰めた連中が『モレル領で聖人様に雇ってもらえる』と勘違いして、続々と領内に集まってきている。今朝だけで五組だ」

「……活気が出ますね」

 アルノーの目が泳ぐ。

「活気じゃない、パニックだ。……いいか、これより我が家の方針を伝える」

 フェリックスは立ち上がり、アルノーの前に身を乗り出した。

「第一に、情報の徹底封鎖。ハサミの製法はもちろん、お前が連れてきたあの外国貴族の存在も、公にはするな。第二に、事業の拡大禁止。これ以上、勝手に人を呼び寄せるな。そして第三に、人員の再配置。来てしまった連中は、こちらで選別して適切な部署へ割り振る。……いいな?」

 アルノーが神妙に頷くのを見て、フェリックスは一つ溜息をついた。

「お前をこれ以上、外へ出すのは危険すぎると判断した。……その代わりだ。領内の農業・生活改善に限っては、お前に全権を与える。 好きにしろ。ただし、領地から一歩も出るな」

「……はい。ご迷惑をおかけしました」

 さすがのアルノーも感じ入るところがあるようだ。珍しくうなだれている姿を見て、少し胸が痛む。

 ……でも、これで当面は大人しくなるはずだ。

 フェリックスは、自分を納得させるように深く頷いた。だが、伝えるべき爆弾はまだ残っている。


「……まだ、重要な話がある」

「はい」

「近々、父上が陞爵されることになった。……伯爵だ」

「はくしゃく……」

「お前が作った鋼が国家機密に指定されたからな。子爵格では機密を守りきれないという、王家からの……ある種の強制的な格上げだ」

 アルノーが呆然と口を開ける。フェリックスはさらに言葉を重ねた。

「それから……私の婚約も、まもなくまとまる。相手は北の辺境伯家だ。……お前の成人お披露目を兼ねた場では、その令嬢にダンスパートナーとして出席してもらう。お前のガード役だ」

 アルノーの目が大きく見開かれ、呆然と開けられていた口が動く。

「……兄上、おめでとうございます! 良かった……。お忙しそうだからお嫁さんが来てくれたら助かりますよね。それに、兄上の婚約者様なら俺も安心です」

「もう一つ」

 複雑な気持ちで、忙しさの原因である弟から向けられた純粋な祝福の笑顔を視界に収めながら、引き出しから木箱を取り出した。

「これはガスパールから。例の鋼だ。新入りへの作業説明と、技術研鑽としての許可を求められたので、刃物ではないこれならと許可して出来たものだ」

 中に入っているのは、例の鋼でできた、深い青色の扇の骨だ。職人の不満の解消と技術の維持を考え、これくらいならとアルノーの手紙を思い出して許可したものだった。

 アルノーの目がみるみる輝くのがわかる。

「ありがとうございます、兄上。大切にします」

「……ああ。お前がそう言ってくれるなら、いろいろと苦労した甲斐もあったというものだ」

 フェリックスは、苦笑しながらそっと胃のあたりをさすった。

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