手紙と扇と黄金卵
出発の朝、馬車の前でヤンが頭を抱えていた。
アルノーがそばに行くと、地面に並べられた荷物を眺めながら、ヤンが低い声で何かを数えている。
「……タールの樽があと四、炭の袋が……。これにアルノルド様の私物が加わると、軸受けが保つか……?」
「ヤンさん、なにか手伝いましょうか」
「いえ、大丈夫です。積み方を間違えると、山道で車輪が外れますから」
即答だったので、アルノーは少し離れたところから積み込みの様子を眺めることにした。
荷物が思ったより増えたのだという。
シエルンの入った甕が数個、それをくるむ厚い藁、硝子器具の入った木箱が二つ。それに、昨日の騒ぎで手に入れた炭の袋。さらに、ごろごろしたものが入った土まみれの謎の袋。
ヤンが、荷台の梁の強度を確認しながら、従者たちに指示を出す。
「甕は床に直置きだ。ただし、跳ねた衝撃で割れんよう、底に羊毛の端切れを敷き詰めろ。硝子箱は網で吊るす。……ああ、紐は革を使え! 麻紐だと摩擦で切れる!」
積み込み作業というよりは、精密なパズルの組み立てのようだ。
周りを見ると、アルノルドは我関せずといったふうに荷物の隅から取り出した紙に何かを書きつけながら鼻歌を歌っていて、ジュリアンはユーグの従者たちに混じって、重い樽を運ぶのを手伝いながら、時折こちらに視線を向けていた。
アルノーは馬車の荷台から離れ、少し大きな木の根元に腰を下ろした。
まず、ポケットから扇を取り出す。
アルノルドに再会した際、開いていた扇の骨のささくれがあったのを思い出したのだ。
あのときは、そっと扇を閉じ、ささくれをなぞって目立たないようにして、カッコイイ仕草でとっさに誤魔化したが、やはり扇初心者だからと安いものを選んだのは間違いだったな、と思う。
確認してみると、骨の素材である木が、少し割れていた。
……次はそれなりに質の高いものを買おう。
そう心に決めながら、鞄から革製の小さな筆記具入れを取り出す。
中からペンナイフを取り出し、ささくれを削って、ひっかかりがないか確認する。よし。
ペンナイフをしまおうとしたところで、領地を出る前に、兄のフェリックスから「手紙を書け」と言われていたのを思い出した。
筆記具入れの中から小さな硝子瓶の栓を抜き、中のインクが固まっていないか確かめる。次に、使い古した羽根ペンの先をペンナイフで慎重に削った。インクの含みが良くなるよう、先端の割れ目を整える。
……無事でいることと、何をしているかを書けばいいかな。
膝の上で紙を広げ、ペンを走らせた。
フェリックス兄上へ。
元気にしていますか。旅の途中、干しプリュノは大人気でした。
しっかりした素材の扇が欲しいと思いました。
いいお土産を見つけたので、これから帰ります。たぶん二週間くらいかかると思います。
お客様を一人連れて行くので、よろしくお願いします。
アルノー
書き終えて読み返す。
……うん、必要なことは全部書いた。
アルノーは、鞄の隅に忍ばせていた細かい砂の入った袋を取り出し、まだ濡れている文字の上へさらさらと振りかけた。砂が余分なインクを吸い取るのを待ち、紙を傾けて砂を落とす。
「よし」
ペンを拭い、道具を片付けていると、ヤンの方は積み込みの最終段階に入っていた。
彼の采配は素人目にも完璧だった。一番重いタールの樽を車軸の真上に配置し、その隙間に炭の袋をびっちりと詰め込んで重しにしている。天井の梁からは、網に包まれた硝子箱が、馬車の揺れを逃がすように絶妙な遊びを持って吊り下げられていた。
手紙を折り畳みながら、アルノーは感心した。
……ヤンさん、すごいな。
プロの仕事というものを見た気がした。
* * *
「大地の黄金卵を食べましょう」
アルノルドがその夜の野営で取り出したのは、泥のついた丸い塊だった。
足元には、荷造りの際に見かけた土まみれの袋がある。どうやらあの大きな袋には、この塊が詰まっているらしいぞ、と思ったアルノーは、アルノルドの手の中の丸いものと、袋を交互に観察した。かなりの量が詰まっているようだ。
「……本気ですか。それ、ドロコブじゃないですか」
ジュリアンが、あからさまに嫌そうな顔をした。隣に座るユーグも、編み物の手を止め、顔を顰めてアルノルドの手元を見ている。
アルノルドは二人の反応をまったく意に介さなかった。
「これこそが救世主なのです! 麦のように風に怯え、雨に震え、凶作に怯える時代は終わる。これは土という防壁の中に籠城し、ひたすらエネルギーを蓄積する……なんという合理的で、力強い生き様だ!」
焚き火の前で仁王立ちになり、ドロコブを高く掲げたアルノルドが、一同を見回した。
「諸君、これさえあれば、冬の飢えという不協和音を、我々の食卓から完全に排除できるのですよ!」
「いや、アルノルド様。それは豚を太らせるための泥の塊でしょう。人間が食べれば、病になると聞きます。……アルノー様、あまり近くで見ないほうがいいですよ」
ジュリアンが真面目な顔でアルノーの視界を遮るように手を差し出した。
アルノーは目を瞬かせた。
ジュリアンがここまで言うなんて、珍しいな、と思う。
……とても評判が悪いが、アルノルドさんがここまで自信満々に言うのだから、食べられるものなんじゃないだろうか。
「どうやって食べるんですか」
視界を遮る手を少し押しのけながらアルノーが聞くと、アルノルドの顔が輝いた。
「まず灰に埋めます! 一番原始的で、一番贅沢な調理法だ!」
アルノルドはドロコブを数個、焚き火の熱い灰の中に無造作に突っ込んだ。
「じっくりと、中まで熱を通す。……そうすることで、魔法のように甘みが出る!」
それから、アルノルドが手帳にドロコブの花と葉の絵などを素描し、説明を始めた。
質感まで感じるような精緻さで描かれていて、アルノルドの意外な一面を見た気分だ。
しばらく待つと、皮の表面が焦げてきて、甘いような、土くさいような、香ばしいにおいが漂い始めた。
アルノーは「悪くないにおいだ」と思ったが、ジュリアンはまだ疑わしげに鼻をひくつかせている。
「そろそろですよ、諸君!」
アルノルドが灰の中からドロコブを取り出し、ふうふうと吹いてアルノーに差し出すと、ジュリアンが横から手を出した。
「……アルノー様。万が一ということがあります。まずは私が。これが私の仕事ですから」
ジュリアンは、熱々のドロコブをひったくるように受け取り、まるで敵陣に単身切り込むような顔をして焦げた皮を剥き、ほくほくとした白い中身を口に放り込んだ。
「…………」
「ジュリアン、どう?」
アルノーが心配そうに覗き込む。
ジュリアンはしばらく無言で咀嚼していたが、やがて呆然とした顔で呟いた。
「……甘い。これ、本当にドロコブですか?」
「でしょう!」
アルノルドが手を叩く。アルノーも一つ受け取り、割ってみた。湯気と共に、素朴で優しい香りが広がる。一口食べると、じんわりとした温かな甘みが舌の上で解けた。
……確かに美味しい。でも。
アルノーはふと思い立ち、鞄から携行用の小さな塩入れと、今日の夕食用に切り分けてあった保存用の塩漬け豚の脂身を取り出した。
彼は脂身の薄切りを、焚き火のそばの平たい石の上に乗せる。じりじりと脂が溶けて、暴力的なまでに香ばしいにおいが立ち上った。
「ジュリアン、これ、乗せて食べてみて」
アルノーが、脂が滴るそれをドロコブの断面に乗せて手渡した。
「あ、ありがとうございます……?」
ジュリアンがそれを受け取り、大きな口で頬張る。
「…………っ!!」
ジュリアンの目が、これまでにないほど大きく見開かれた。
その様子を見ていたアルノーは、自分の分にも脂身を乗せた。
保存食特有の強い塩気と、豚の脂の旨みが、ほくほくした甘みの中に溶け込んで、全部まとめて口の中に広がる。
うん、やっぱりだ。おいしい。
アルノーの顔に笑みが広がった。
様子を伺っていたユーグも、おそるおそるといった体で手を伸ばした。
「……これは」
「おいしいですよね」
アルノーが言うと、ユーグは納得がいかないとでも言いたげな顔のまま頷き、もう一口食べた。
アルノルドが、勝ち誇ったように宣告する。
「これが大地の黄金卵です、諸君!」
焚き火を囲む一同の間に、ドロコブへの偏見は消え、代わりに満足げな空気が広がった。




