コーダ(ヤン視点)
木タールの積み込みは、思ったより手間取りそうだった。
仲買人との折り合いはついたが、今日積めるのは半分で、残りは翌朝回しになるという。
ヤンは馬が疲れないように、すべてが揃ってから引き取る方向で話をまとめると店を出た。
気が付けば、ついて来ていたアルノー様とジュリアン様が、いつの間にかいなくなっていた。
ヤンはひとつため息をついた。まあ、ジュリアン様がついているならよほどのことにはなるまい。そう思うことにする。
気分転換に川の方へ足を向けると、橋のあたりに人だかりができていた。
人ごみを避けるようにして欄干から川を覗き込んだヤンは、思わず顔を顰めた。
膝まで川に浸かった二人の男がいて、そのうちの一人が知り合いだったからだ。
一人は上背のある男で、水草を引っ張っては流れを確かめるように水面を観察している。もう一人は……残念なことに、こちらがヤンの知った顔でもある、ユーグだった。
川を覗き込んで行ったり来たりしては、興奮したような声をあげて握手し、川底の小石を掘り返して何かを言い合ってはハグをしたりと忙しい。
何をやっているかはわからなかったが、二人とも、めったに食べられないごちそうを前にした子供のような笑顔だった。
ユーグではないもう一人の男は、先日アルノー様にヤン自身が注意を促した、「不浄の研究をしているわけのわからない変人」なのだろう。なんとなく、オストライヒあたりの訛りを感じる。
このあたりは王都などに比べて……いや、王都を引き合いに出すのが間違っているのだが、水流がきれいだから、その話でもしているのだろうか。
……変な者同士、気が合うのだろうな、と他人事のようにヤンは思った。
* * *
「ヤンさん、いた!」
声をかけられたのは、そんな二人を眺めていた時だった。
見ると、アルノー様が通りの向こうから手を振っている。
「少しご相談させてください。お土産に炭を買った際、チップにプリュノを一粒渡したら、プリュノがまだあるなら炭と換えてくれないかって言われてしまって」
近くに寄ると、そう言った彼が、傍に控えたジュリアン様に持たせた小ぶりな木箱を示した。中にはリネンに包まれた黒い炭がいくつか、ぴっちりと収まっているのが見える。
「この炭、煙が出ないんだそうですよ。音もきれいで」
ジュリアン様の手元に手を伸ばして、炭を二つ取り出したアルノー様が打ち合わせてみせると、キンッと澄んだ金属音がする。とても嬉しそうに鳴らしているから、音もだいぶ気に入ってるようだ。
「タールを積んだ後だと、プリュノもあのにおいに影響を受けるでしょう? 喜んでもらえるなら、この際ここで交換してしまうのもいいかと思いまして。だから炭をどのくらい積めるか、確認に来たんです」
「……はい?」
一瞬、処理が追いつかなかった。
目の前の少年——アルノー様は、モレル産の高級プリュノ四箱と引き換えに、手にした最高級の白炭を引き取ると言っている。
検問で袖の下として使わせてもらったり、惜しげもなく同行者や馬にまで与えてくれていたから、持ってきたプリュノが裸だったのは、ヤンも見ていた。そして、ここに近づくとともに、紙で包んでいたことも。
モレル産のプリュノは、一粒でさえ労働者の一日分の銀貨に相当する。が、大量の白炭との交換となるとまだ足りないだろう。
そこで紙で包むことで特別感という付加価値を与え、ここにたどり着くまでに配って近隣での評判を上げることで、さらなる価値を高めた。
それを「チップ」として差し出し、相手の懐を広げさせ、王宮品質の炭を根こそぎ確保するのだ。
商売のセンスが、天才的だ。
「こっちです。案内しますね」
のんきそうな顔をして、弾むような足取りで歩き出したアルノー様の後を、ヤンが内心で唸りながら追った先は、炭小屋だった。
小屋の前にはなぜか、先ほど川で遊んでいた二人が佇んでいる。
二人は炭の入った袋を囲み、まるで聖遺物を拝むような形相で硬直していた。
「……これだ」
オストライヒ訛りの男が、震える手で炭を一つ取り出した。
「なんてことだ。シエルンの条件の違いは、これだったんだ!」
「同感です。川に落ちていた黒いもの。これが砕けたものでしょう。……この土地ならいくらでもある」
店頭で盛り上がる二人を見て、ヤンは無言で一歩引いた。
川で水草を引っこ抜いていた変人たちが、今度は炭を相手に陶酔している。触らぬ神に祟りなしだ。
だが、アルノー様は違った。
いつの間にか扇で口元を隠し、何かを思いついたようにきらりと瞳を輝かせて、炭を抱えたままの二人を……いや、オストライヒ訛りのある男をじっと見つめている。
「ここでお会いできてよかったかもしれない」
アルノー様が、扇を閉じながらふらりとそちらに歩み寄った。
「アルノルドさん。……もうすぐ私たちは出発してしまうので、突然のお誘いになってしまう非礼をお許し下さい。今しか、言うタイミングがないなと思って」
そこで言葉を切り、アルノー様の手が、扇の親骨を親指で滑らかになぞり、閉じたままのそれを、迷いのない所作でアルノルドと呼ばれた男の胸元へと向ける。
それは、かつてのカスティラの宮廷で「未来を約束する」とされた型そのものだった。
「よかったらモレル領に来て、しばらく滞在なさいませんか。本来、あなたに渡るべきだったものを、お渡しできると思うんです」
ヤンは眩暈を覚えた。
アルノルドという男、おかしな人物であることに間違いはないが、所作からあきらかに平民の出ではないことがわかる。そのうえ、黒髪でオストライヒの出身であれば、大公家との血の繋がりがあってもおかしくない名家の出だろう。
オストライヒとカスティラの、血縁で結ばれた癒着関係は誰もが知っている。
その男に対し、カスティラの作法で誘いをかけ、「炭の山」という研究者にとって最大の誘惑が目の前にあるこの瞬間を逃さず、世間話のついでに獲物を釣り上げたのだ。
男は——アルノルドは、雷に打たれたような顔でアルノー様を凝視していた。
その瞳に、じわじわと熱いものが込み上げているのがヤンにも見えた。
「……私という迷える魂に、進むべき道を示してくれる、と……?」
アルノルドの声が震えている。
「……なんとも不思議な巡り合わせだ。コーダだ、諸君。全ての声部が一度に集まる、終わりであり始まりだよ!」
「喜んでいただけて良かったです」
肯定と受け取ったアルノー様は、肩の荷が下りたような、なんとも清々しい笑顔で頷いた。
「喜んで! ぜひ!」
男が吠えるように叫び、アルノー様に礼を言った後、ユーグと固い握手を交わした。二人の間には、もはや常人には踏み込めない熱狂的な連帯感が生まれている。
ヤンは天を仰いだ。
荷物の相談をしていたはずが、なぜか得体の知れない居候が一人増えている。
あのアルノー様が、何の計算もなくこんな真似をするはずがない。
……天才を通り越して、恐ろしい。
ヤンの頭の中で、天秤の針が振り切れた。




