それはそれ、これはこれ
アルノルドが語った話を、アルノーなりにまとめると、こうだ。
彼には、好きな女性がいた。
出会いがどんな場所だったかは端折られたが、アルノルドが熱を上げたことだけは伝わってきた。彼女は賢く、美しく、話していると飽きない人だったのだと、アルノルドは嬉しそうに語った。
ただ、彼女はアルノルドの財産のかなりの部分を巧みに引き出した後、彼の元を去ったのだそうだ。
「それは……辛い話ですね」
「いやあ、私がうかつだったんだ。反省はしたよ。でもあの子のことは今でも好きだよ」
アルノルドが屈託なく言った。
その後、彼女はつまずいて頭を打ち、亡くなったのだそうだ。
「……私が駆けつけた時にはもう、彼女は路地の汚水の溜まっている場所に横たわっていた。せめて弔おうと手を伸ばしたが、周りの連中に止められてね。『汚らわしい』『不浄が伝染る』と……。彼女は賢く、美しかったのに。死に方一つで、人間は物のように扱われる。……清潔というのは、生死に関わることなんだよ、諸君。侮ってはいけない」
話を聞きながら、アルノーは広げていた扇を、音一つ立てずに、ゆっくりと畳んだ。
アルノルドの目が少し潤んでいる気がする。恋人のことを思い出しているのかもしれない。
……汚水の溜まっている場所に、倒れた状態で。
アルノーは思考を巡らす。
自分なら、どうするだろう。それが裏切った相手ならなおさらだ。
すぐに答えは出せないが、そういうことだ。
この人は、汚水にまみれた彼女を抱き上げようと、周囲の嘲笑も不浄も厭わずに手を伸ばした。
その結果、変人扱いされてもなお、こうして泥にまみれて研究を続けている。
「……なるほど、よくわかりました」
アルノーは静かに、確信を持って言った。
「わかってもらえるか。あまりそう言ってくれる人がいなくてね」
アルノルドが少し驚いた顔をした。
「みんな変な顔をするんだよ。とくに、恋人の部分で」
まあ、そちらの部分は確かに複雑な話ではある。アルノーは少し考え、扇で口元を隠しながら言った。
「それはそれ、これはこれではないですか」
「まさにそれだ! 君は理解があるね!」
アルノルドが目を輝かせ、後ろでジュリアンが身じろぎする気配がした。
アルノルドが台の上の容器をまた一つ手に取って、しげしげと眺める。
「研究が形になったら、この技術を広めたい。でも、なかなかここからが難しくてね」
「一人でやっておられるのですか」
「そうだよ。なかなか理解者がいなくてね」
アルノルドが容器の底の沈殿物を揺らしながら言った。
「こういう研究というのは、地道なものだよ。でも確実に、進んでいるんだ」
その声は、穏やかだったが、本気を滲ませていた。
* * *
その夜、幌馬車の中でジュリアンは羽根ペンを持った。
【ジュリアン・ド・ルルーよりド・シャンブル侯爵閣下へ、謹んで申し上げます】
本日、コル・ノワールにて、アルノルド・フォン・ロイテンベルクなる人物と接触いたしました。オストライヒ大公国の出身と名乗っており、この地で水の浄化に関する研究を行っているとのことでした。
調査官殿は街の者からこの人物の存在を聞き及び、ご自身からお会いになることを希望されました。
接触した理由についてはわかりません。
ロイテンベルク氏は、故人となった交友者の死に際して、衛生環境の改善を志すに至った経緯を話してくださいました。
調査官殿は氏の話を聞き、しばらく無言でおられました。
謹言。




