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無理かも

 ……快適だ。

 移ろう景色を眺めながら、アルノーはそんなことを考えていた。

 モレル家の馬車は古くてガタガタとうるさいしかなり揺れるが、ユーグの馬車は違った。

 厚い革帯が嫌な振動を吸い取り、何層にも重ねられた特注の敷物が、尻に伝わる衝撃を無効化している。

 今のところ、本物の聖人の手掛かりは見つかっていなかった。

 もともと、この方角にいるかもわからないのだ。

 無謀だとは自分でもわかっていたが、やるだけのことはやりたかった。いざ本物が現れた際、のうのうと誉れを我が物としていた厚顔無恥、なんて言われるのは御免である。

 少なくとも長い旅に出てまで本物を探していた、という実績を積めたことは、焦るアルノーの心の慰めになっていた。

 なんとしても本物を見つけ出し、アルノーには過ぎた誉れをいい感じに渡さなくてはならない、と強く思いながら、欠伸が出そうになったのを、口元の扇で隠しながらかみ殺す。

 本当に扇を買ってよかった。

 ため息をついて思考を中断し、アルノーは馬車の中に意識を戻した。

 隣のユーグは楽しそうに編み物をしていて、向かいのジュリアンは、窓の外と馬車の中を交互に確認しながら、姿勢よく座っていた。

 手持ち無沙汰になったアルノーは、先日から温めていた疑問を口にした。

「何回かバルテルミさんのお宅には行ったことがありますけど、ユーグさんにはお会いしたことなかったですよね。どこかに行かれてたんですか?」

「ああ」

 ユーグが編み目から目を離さないまま答えた。

「今もそうなんですが、執行人としての技術を磨くという名目で王都を離れる許可をもらっていましてね。そのころは、別の町の執行人のところにいましたよ」

「……そうなんですか」

 執行人ネットワーク、結構広いらしい。

 新しい情報にアルノーが頷いていると、ユーグが顔をあげてアルノーを見て微笑んだ。

「出歩けるのは父が現役をやっている間くらいでしょうから、楽しんでいますよ」

「そういうものなんですね……」

 ジュリアンも、窓の外を警戒しながら聴いている気配がある。

 執行人自身から執行人事情を聴くのは新鮮で、興味深いのだろう。

 彼の父であるバルテルミは多くを語りたがらなかったから、アルノーも同じ気持ちだった。

 そこまで考えて、もう一つ聞きたかったことを思い出す。

「あの」

 アルノーの声のトーンが変わったことに気が付いたのか、ユーグは顔を上げた。

「ユーグさんは、バルテルミの名を継いだら……ユーグの部分はどうされるんですか?」

 ユーグは目を丸くした後、噴き出した。


   * * *


 その夜の宿は、街道沿いの小さな宿場町だった。ヤンがあらかじめ手配していた宿だというから、悪くないはずだった。

 実際、相部屋が当たり前だった宿で、かなり金額に上乗せしたし、ジュリアンと二人の部屋というだけでも破格の部屋だったのだ。

 ジュリアンが先に入って安全を確かめてから案内された部屋は、清潔感がないわけでもない。

 ないわけでも、ない。

 アルノーは寝台に近づき、枕を手に取った。

 ……ん?

 枕から何かが飛んだ気がした。

 アルノーは枕を窓の光に透かしてみて、それから寝台まわりをじっと見た。

 ……。

 ゆっくりと枕を元に戻し、鞄を注意深く持ち上げると、静かに部屋を出る。

「……ジュリアン」

「はい」

「無理かも」

 廊下で待機していたジュリアンが、開いたドアの隙間から部屋の中を一瞥して、ほんの少し目を泳がせた。

「……宿代は、どうしましょう」

「払おう。泊まれなかった俺の問題だから」

 きっぱりとそう言い切ったアルノーは、先に帳場へ向かった。ジュリアンが少し早足でついてくる気配がする。

 宿の主人への説明はジュリアンが器用にまとめてくれた。弁が立つ人間が傍にいるのは助かる。

 宿代を払って表に出ると、夜の街道に風が吹いていた。

「……ユーグさんたちのところに行こうか」

「……モレル子爵邸は、幼少の頃のアルノー様のおかげで、寝台にノミなんかいませんでしたからね。その点では、野宿のほうが快適かもしれません」

 ジュリアンは何でもお見通しだった。

 今までもいなかったわけではないのだが、だからこそ、アルノーは既に限界に近くなっていた。

「巻き込んでごめんね、ジュリアン」

「お気になさらず。明日、出立の前に野営に必要なものも買い揃えましょう」


   * * *


 街に入るところでアルノー達を下ろし、野営すると言って引き返していたユーグの一行がいたのは、街道を外れた場所だった。

 興味を持って尋ねていなかったら、たどり着けなかったかもしれない。

 野営地のまわりの木々の間に、縄張りを主張するかのようにいくつか打ち込まれた赤い杭を見まわし、

「赤い杭があると、見つけやすくていいですね」

 アルノーが感心して言うと、ユーグの従者の一人が微妙な顔をした。

 焚き火のそばでユーグが革の冊子を広げていた。アルノーたちの姿を認めると、顔を上げて「ああ」と言う。

「いらっしゃい。どうかなさいましたか」

「ご迷惑でなければ、混ぜてもらえませんか」

「どうぞ。場所は十分あります」

 促されて、アルノーは焚き火の近くに腰を下ろした。ジュリアンが隣に座る。

 しばらく焚き火を眺めていると、ユーグが革の冊子から目を上げた。

「男爵」

「アルノーでいいですよ」

 ユーグが少し間を置いた。

「……アルノー様」

「はい」

「初めてお会いした時から思っていましたが……、大変にすばらしい首ですね」

 アルノーは大きく頷き、賛辞に目を輝かせた。

「ありがとうございます。本職の方にそう言っていただけるとは光栄です」

「光栄」

「ええ。やはり一撃で、というのは理想ですから。頑張ってきた甲斐がありました」

 アルノーが真面目に答えているのがわかったのか、ユーグはまた声を上げて笑った。

「本当にアルノー様は面白い方ですね。父の言っていた意味がわかってきました」

 それを聞いて、アルノーははっとした。

 考えてみれば、聖人が執行人の地位向上に関わっていたという話もある。

 もしかして、本物の聖人につながる手掛かりは近くにあったのかもしれない。

 アルノーは慌てて身を乗り出した。

「バルテルミさんは、聖人についてどう言っていましたか?」

 ワインで割った水を飲もうとしていたジュリアンが、咽て咳き込んだ。大丈夫だろうかとそちらに顔を向けていると、

「……おかしな方だと言っていましたよ」

 笑いをこらえるような声でユーグが言うのが聞こえた。

「おかしいんだ……」

 新情報だった。聖人は、変わった人らしい。

 まあ、自分の利にならなそうなことを進んでやるような人だからな。

「……こんな夜があるなんて、考えたこともありませんでした」

 アルノーが一人納得して頷き、頭の中の聖人メモに、特徴を一つ付け加えていると、ユーグの声が静かに響いてきた。

「面白そうだったからついて来ましたが、来てよかったと思います」

「私もです」

 アルノーも頷いた。既にいろいろな経験が出来たと思う。

 明日は朝イチで体を拭いて、野営用品を買いに行こう。ふわふわの敷物は絶対に必要だ。

 あとできれば、明日からはヤンに幌馬車を借りたいなと思った。

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