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聖人の称号を返しに行ったら、なぜかもう一枚積まれた件  作者: けものへんにまし
第二章 「仕事じゃないけど人生がかかってる」
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赤い剣の紋章で行きます(ジュリアン視点)

「この手紙、ヤンさんに届けてきてもらえる? 返事ももらってきてくれると助かる」

 早朝にアルノー様から手紙を渡され、街まで馬を走らせる。

 返事を受け取って戻ると、アルノー様の部屋の扉がちょうど開き、なぜかアルノー様の部屋から出てきたユーグとすれ違った。

「……?」

 思わぬ人物に出くわした驚きで一瞬止まっていると、アルノー様から声がかかった。

「あ、お帰りなさい、ジュリアン」

 ヤンからの返事を渡すと、その場でさっと目を通して、何度か頷く。

「ちょうどよかった、今から兄上のところに行こう」

「承知しました」

 ジュリアンに否やがあるはずもなく、ジルとともに付き従う。

 アルノー様はフェリックス様の部屋に着くと、いつものように扉の前にいるフェリックス様の護衛に会釈してからドアをノックし、声をかける。

 やがて応えがあって入室したアルノー様は、開口一番にこう言った。

「兄上、今じゃなきゃできないことがあって、ちょっと出かけたいのです。ヤンさんの隊商には話をつけてあります。一か月半か……二か月くらいの予定ですが……許可をいただけませんか」


 ……は?


 ジュリアンは愕然としてアルノー様の背中を見た。

 旅。旅と言ったか。

 フェリックス様は執務机の前に座ったまま、アルノー様をじっと見てしばらく黙っていたが、やがて手慣れた手つきで引き出しから一枚の羊皮紙を引き出した。

 既に定型文が並ぶその紙の余白に、迷いのない筆致でアルノーの名を書き加え、封蝋を溶かす。

「……兄上?」

 返事はなく、ただ重厚な紋章印が熱い蝋に沈み込む鈍い音だけが響いた。

 数秒待って、フェリックスはまだ熱を帯びたままの書状を、机の端へ置いた。

「持っていけ。検問を通るのに使えるだろう」

「……ありがとうございます」

 呆けたような声でアルノー様が受け取って頭を下げた。

 アルノー様にも処理できない展開があるのだな、とジュリアンはぼんやりそれを眺めるしかない。

「気をつけて行ってこい。手紙は出せよ」

「はい」

「ただし」

 神妙に頷くアルノー様に、フェリックス様は続ける。

「ジルは置いていけ」

「……え?」

 無意識にだろう、紋章印を触っていたアルノー様の手が止まった。

「お前がやりかけの内容を全部把握してるやつが他にいるのか。調整できるやつは?」

「……」

 厳しいが、それは事実だ。ジュリアンにはまだそこまで担うことはできないし、報告係としての役目もある。

 アルノー様は答えられず沈黙したが、その沈黙を破ったのはジルの声だった。

「行ってください。必要なことなのでしょう?」

 そのジルの言葉を聞いて、しばらく下を向いてなにかを堪えるように下を向いていたアルノー様が顔を上げた。

「……わかりました。ジル、後を頼みます。兄上、出発までは、今まで通りでいいですか?」

「……もちろんだ」

 心なしか、アルノー様の声が震えていていて、フェリックス様はそんなアルノー様を気遣うように見ていた。


「ジュリアン、これを」

 廊下に出てすぐにジルが手渡してきた手帳を受け取り、何気なく中を開いたジュリアンの手が止まった。

 好物。雨の日の機嫌の傾向、転んでも絶対に声を上げない癖。利き手と、ペンの持ち方と、眠い時に出る仕草。

 そんなことがびっしり書かれていた。

 先ほどの、兄弟と主従の別れを目にした感傷が一気に吹き飛んだ。

 ジュリアンは何気ないふうを装って手帳を閉じ、ジルを見た。

「……確かに、預かった」

 ……他に何が言えただろう。

 ジュリアンは手帳を胸元にしまいながら、深く頭を下げた。


   * * *


 昨夜、いつか必要になるんだろうか……なんて思って眺めた荷物の中身を確認し、足りないものを詰める。

 出発は、まさかの今日だった。

 あまりにも展開が早すぎる。

 考えがまとまらない状態で、機械的に準備を整えたジュリアンが主の部屋に行くと、いつもは白くて襟元の開いた、ゆったりとした服を着ているアルノー様が、珍しく黒に近いグレーの服を着ていて、自慢げにくるりと回ってみせた。

「見て! これ、昨日ヤンさんの馬車を見ていて、旅は服が汚れそうだなと思って、黒っぽい色ばかりを準備したんだ!」

「白い服はたちまち汚れるでしょうから、いいと思いますよ。それに、その色もお似合いです」

 ……なるほど、馬車の汚れを見ていたように見えたのは勘違いじゃなかったのか……。

 ジュリアンはにこりと口角を上げながら、気持ちの置き所を求めてそっと視線を落とした。

 その先に見えたのは、昨日扉を閉めるときに目の端に映った、革の鞄。

 ジュリアンの目が少し泳いだ。

「そうだ、ジュリアン。馬車なんだけど」

「はい」

 もうこれ以上の衝撃はあるまい。そんなあきらめの境地に達したジュリアンは顔を上げた。

「ユーグさんの馬車に乗っていいって言ってもらえたんだ」

 ジュリアンは一瞬、意味を飲み込めなかった。

「……ユーグさんの」

「さっき、ジュリアンにヤンさんのところに行ってもらってる間に話をしたんだ。ユーグさんも興味があるとかで、一緒に来るって。ちょうどよかったね」

 アルノー様が嬉しそうに言った。

 赤い剣が交差する、黒い馬車。

 ジュリアンの脳裏に、門の前に止まったあの馬車が浮かんだ。

「……執行人の、馬車で」

 執行人。町では品物に直接触れることも許されない。つい最近まで、石を投げられることもあったと聞く。その馬車に自分から乗り込む人間がいるとは、思っていなかった。

「俺のは二人乗りだし、助かったね」

 助かる。

 助かる、と言った。

 ジュリアンは返事をする代わりに、深く、深く呼吸をし、顎を引いて姿勢を正した。


   * * *


 出発前、アルノー様が隊商の荷馬車を覗き込んだ。

「ヤンさん、積み荷に少し余裕あったら、うちの干しプリュノを積んでもいいですか? 道中のおやつに」

 ヤンの笑い含みの了承と、使用人たちとのやりとりが聞こえる。

 それを満足そうに眺めていたアルノー様に、目の前の漆黒の馬車から声がかかった。

「さあ、どうぞ乗ってください。お客様を乗せるなんて初めてで、僕もわくわくします!」

「ありがとうございます!!」

 アルノー様が嬉しそうに乗り込むのを手伝いながら、ジュリアンは、今日だけで何度目かわからない深呼吸をした。


 馬車の扉が閉まった。

 館の門の前に、フェリックス様とジルが立っているのに気が付き、アルノー様が窓から身を乗り出して叫ぶ。

「兄上! ジル! すごいお土産持って帰ってくるから!」

 ジルは何も言わず、深く頭を下げた。

 フェリックス様は微笑み、手を振っていたが、乗り込んだ馬車を見て遠い目をしていたように見えたのは、ジュリアンの考えすぎだろうか。

 赤い剣の紋章がついた豪華で真っ黒な馬車から連なる隊商が、門を抜けた。


   * * *


【ジュリアン・ド・ルルーよりド・シャンブル侯爵閣下へ、謹んで申し上げます】


 本日、調査官殿は旅に出られました。


 ヤン・ヴァランタン殿率いる隊商に同行し、国境近くまで向かわれます。道中の所要は一か月半から二か月の見込みとのことです。

 フェリックス様より通行の書状を賜り、護衛は私、ジュリアン一名が同行しております。

 なお、移動にはバルテルミ家の馬車をお借りし、同乗しております。


 理由は、よくわかりません。

 決定したのも本日であり、すべてが突然でした。


 謹言。

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