それだけ数字をつけられ比べられることが怖いのかも
テストが近づくと、時間の経過があっという間に感じる。そこに賭ける大きなエネルギーって、テスト用紙の前で瞬く間に消費されてしまうのに、どうしてこうも私たちは頑張るのだろう。それだけ数字をつけられ比べられることが怖いのかも。よくできたシステム。
放課後。勉強をするため急いで教室を出たわたしは、廊下に佇む見知った人影を前に立ち止まった。
ハルヤだ。
今日はユキオミとは一緒ではなく、一人で居心地悪そうにわたしの教室の中をうかがっている。
「ハルヤ君、誰か待ってるの?」
ハルヤはどこか心ここにあらずといった様子だった。いつもは向き合った相手をぞくぞくさせるほど鋭い光を放つ瞳も、いまはぼんやりと曇っているように見える。わたしの声にこちらを向いた彼は、なぜか一瞬悲しそうな顔をした。いったい何なんだろう?
「シキトでも待ってるの?」
意外にもシキトとハルヤは仲が良いようで、以前までは二人で話している場面をあちこちで見た。いまみたいに教室まで来たのは初めてだと思うけれど。
「いや、ルイさんに用事があったんです。あとミナミさんにも」
「わたしにも? なんだろう。とりあえずルイを呼んでくるね」
教室に戻ると、ルイは友人二人となにやら楽しそうに話し込んでいる最中だった。そこに数字をつけられる者の恐怖は微塵もなく、わたしは先ほどの考えを頭の中で打ち消す。少し離れたところから小さく手招きをすると、彼女はすぐに気づいてこっちに来てくれた。友達二人が興味深そうにじっとこちらを見たけれど、気には留めないようにする。廊下に出てハルヤを見たルイは、「あ、」と少し間抜けな声をあげた。それほど彼の訪問は意外だったのだろう。
「なに? 本を持ってきたの?」
「いえ、ユウリさんの書いた本が、見つからなかったと報告に来たんです」
「は? 見つからなかった、ですってぇ?」
「本当にすいません」
ハルヤはルイとわたしを交互に見て、ぺこりと頭を下げた。あまりにあっさりわびるハルヤに、ルイはどう怒りをぶつけていいか分からない様子だ。彼女の小さな手はぎゅっと太ももの横で握られている。
「あ、あんたねえ、そんなあっさり言わないでよね。名もない男とやらを呼んで来なさい」
名もない男?
「呼んでも無駄です。又貸ししてましたから。又貸しされた人もまた又貸しして、それの繰り返しです」
それならハルヤは悪くない。ユウリの本が読みたくて堪らなかったわたしだけれど、ハルヤを責めたところでそれは叶わないだろう。ユウリの本は、彼女がいた余韻と共にいつまでも生徒たちの間にあり続ける……ということか。
「もういい! みんなマナーがなってなさすぎ。本を貸すときにそんな当たり前のルールを教えないといけないなんて」
ルイは読書クラブを利用する生徒のマナーの悪さに卒倒せんばかりだった。物理的なダメージを受けたかのごとくよろよろと教室に引き揚げていく。その後ろでもう一度頭を下げるハルヤのことは、目に入っていないようだ。
残ったわたしとハルヤは、自然な成り行きで一緒に寮まで帰ることになった。校舎を出て歩く道中、ハルヤはあまり元気がなく、しばし沈黙がわたしたちを支配した。それは危うさすら感じる静寂だった。さんさんと日差しが降り注ぐ昼下がり。勉強さえなければどこかえ走り出したくなるうららかな陽気。それなのに陰気に押し黙るなんて、ちょっと普通じゃない気がする。寮へと続く細道の途中で、とうとうわたしは彼に尋ねた。
「ハルヤ君、どうしたの? 元気がないね」
「そうですか……? いえ、なんでもないです」
「嘘だ。何か悩み事でもあるなら、わたしでよければ聞くよ」
先輩が言うべき定型文を口にすると、ハルヤは迷いを見せた。ちらり、とわたしを見る目にただならぬ何かを感じる。そこには様々な感情がこもり過ぎていて、最終的にわたしには何一つ読み取れなかった。
ハルヤはなかなか返事を返さない。それを辛抱強く待つわたし。寮の入り口が見えたけれどそれを過ぎ去り、任務をしている公園の方へと進み始める。辺りはひっそりしていて、道の両脇を挟む木々が五月末の心地よい風でそよぐ。
「あの、やっぱり何でもないです」
ここまで来て結局言わないのか。
「あ、そう。わたしに言えないようなことなら、無理して言うこともないけど、もし言ってくれればそのときは……」
「ミナミさんって、シキトさんと付き合ってるんですか?」
「え」
突然何を言い出すんだこの子は。
相談するように見せて、するのはそんな質問か。
けれど迷える後輩のために、わたしはにこやかな表情を崩さない。
「付き合ってないよ。じゃあ、寮に戻ろうか」
寮へと戻り掛けたわたしは、カバンを持っていない方の手首をぐっと掴まれた。驚いてハルヤを仰ぐと、その表情はとても切羽詰まっているように見えた。その顔は胸の内のただならぬ何かを感じさせたけれど、同時に男性的な魅力を感じたことも確か。苦悩に満ちた表情の彼は、ユキオミの後ろにいるときよりぐっと格好よく見える。
「じゃあ、シキトさんのことが好きなんですか?」
「別にそんな仲じゃないって。幼なじみ。ねえ、戻ろうよ」
ハルヤに掴まれたままの腕を緩やかに動かして、立ち止まる彼に戻るように促す。するとハルヤはわたしに近付いてじっとこちらを見下した。それは計画された動作でなく、衝動的なもののようだった。どきどきと高鳴る胸の鼓動を意識しながら、わたしも彼の顔をもっと見たいという衝動を抑えられなかった。
次の瞬間、ますます彼の顔が近付く。
唇が重ねられる、と思ったときには、ハルヤはわたしを置いて寮の方へ歩き出していた。痺れる頭で何が起こったかを考えようとしたわたしは、鼓動がこれ以上ないくらい高鳴っていることを感じ、もう何も考えられなくなった。周囲に誰もいないことを確認し、熱い頬を手で冷やす。
なんなの……。




