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王太子・後

 自分の中にずっと潜んでいた恋心にやっと気づいた王太子は悩んでいた。自分が今までアウローラにしてきた数々のことは、到底すぐに許してもらえるようなことではない。けれどアウローラは、『友好的な関係を築きたい』と言っていた。自分が努力すれば、これからアウローラを大事にしていけば、今のアウローラとの心の距離を縮めて、今度こそ心の通いあった夫婦になれるかもしれない。それに子供だって生まれるのだ。子供はきっと、二人を繋ぐ楔になってくれる。


 さすがの王太子も、すぐにアウローラに赦しを乞うことは出来なかった。ただ、今までエレーナや他の側妃を連れていた夜会などに、アウローラを連れていくようになった。5日に1度はアウローラの部屋へ花を届けたし、それ以外にも妊婦でも香りを気にせず飲めるというお茶や、柔らかいクッションや、気分を安らげる匂袋など、少しでもアウローラが喜んでくれそうな物を、自分で考えて贈った。

もはやアウローラ以外の女を抱く気にはならなかったけれど、以前アウローラにされた忠告のように、エレーナや他の側妃の元にも程よく訪問し、贈り物をした。


 やっと気持ちを口に出せたのは、アウローラが妊娠七ヶ月になった頃だった。緊張した面持ちで贈り物の靴を携えて、王太子はアウローラの部屋を訪れた。

そこでやっと言えたのだ。許してほしいと、できることなら自分を見て、名前を呼んでほしいと。王太子が生まれて初めて、人に何かを乞うことをした瞬間だった。そのときに、少しならいいだろうと思って彼はアウローラを抱き寄せた。ちょうどアウローラ付きの侍女が空気を察して出ていってくれたので、首筋に唇を寄せることまでした。久しぶりに嗅いだアウローラの匂いに、首筋の柔らかさに、王太子は下半身が疼くのを感じた。ほんの何ヵ月か前まではこの身体を好きにできたのに、そのことに何の疑問も覚えなかったのに、子を身ごもったアウローラはどこか神々しくて首筋を吸うのにもためらいを覚えた。

 アウローラに触れられることを喜びながらも、王太子は少し不安を覚えていた。アウローラが泣いたあの日から、彼は心を入れ替えたつもりで、言葉にはしなくともアウローラを大切にしてきた。彼女もそれに応えて、自分がエスコートして連れていく夜会の場では愛想よくふるまい、自分に寄り添ってくれる。贈り物をしても、青い目を柔らかく細めてお礼を言ってくる。何の問題もないはずだった。けれどどこかで、拒絶されているようなーー受け入れてくれているように見えるのはうわべだけなのだと思ってしまうようなときがある。そんなものは杞憂だと、今までしてきたことの後ろめたさから感じてしまうのだと笑い飛ばそうとしても、考えすぎだと言い切れない不安に、王太子は焦りを感じていた。

 それが杞憂ではなかったことを王太子が思い知らされるのは、最悪の出来事が起きてからだった。


 ある日の午後、王太子はここ最近の日課になりつつある庭園の散歩にアウローラを誘った。いつも通り柔らかな笑顔で了承の意を伝え、王太子の贈った靴を履いて庭園に出てきた彼女は、いつもとどこかが違った。微笑みながら王太子と他愛のない話をするのは、いつもと同じ。けれどどこか上の空のように見えた。そして。庭園の中心辺りにある、開けた場所ーーベンチが置いてあるので、二人で座って話し込んだりもするのだーーに着いたとき。

 アウローラは突然、遮る植物のない開けた場所の中心に歩み出る。止める間もなかった。

彼女は振り返って、美しい微笑みを浮かべて王太子を呼んだ。嬉しそうなその笑みに、目を奪われた一瞬。何かが風を切る音がした。そしてアウローラの声が響く。




「ざまあみろ」




 何を言われたのか分からなかった。何が起こったのかも分からなかった。

 一瞬のうちに、アウローラの細い首や膨らんだ腹や、王太子が身を持って知っている柔らかい胸に、細長い凶器が刺さっていた。


 とさり、とアウローラの身体が、身ごもっていてもなお軽そうな音を立てて倒れた。



「っあ、いやああああああああ!」

「アウローラッ」



 アウローラの侍女と同じタイミングで叫んだ王太子は、すぐにアウローラの元へ駆け寄った。倒れたアウローラの身体を抱き起こす。ぐったりと力の抜けた人形のような身体に頭がおかしくなりそうになる。もしかしてもしかしてもしかして。ある疑念が王太子の中で頭をもたげる。王太子はアウローラの顔を見た。長いまつげを伏せ、口元に微笑みを浮かべたアウローラの顔は美しかった。頬に血が飛んでいても、だ。もしかして、彼女はーー。何かを考えようとしても、彼女の白いケープに滲んだ真っ赤な血が冷静さを失わせた。早く、早くしなければ彼女も彼女と自分の子供も死んでしまう。隣でアウローラの侍女が泣き叫ぶ声がやけに響いていた。


 結果として、アウローラは助からなかった。お腹の子供もだ。アウローラの暗殺に使われた凶器には毒が塗られていた。妊婦には流産の危険性があるせいで使用しない決まりになっている麻痺薬を、猛獣用に何倍にも濃縮したものが。アウローラの身体には、その薬を先端に塗った凶器が十数本刺さっていた。即死に近かった。

 あの場にいた全員が、アウローラの言った言葉を聞いていた。『ざまあみろ』と、王太子を嘲る言葉を。そして凶器が飛んでくる前のアウローラの行動を見ていた。自分からわざと殺されにいった・・・・・・・ように取れる彼女の行動を。

 王太子は分かってしまった。というか、アウローラに分からされたのだ。アウローラが王太子のことを欠片も赦していなかったことを、王太子との子供を生む気などなかったことを、王太子と友好的な関係を築きたいと言ったのは、全くの嘘だったということを。自らと胎児の死という覆しようのない事実を持って彼女はそれを示した。

アウローラの態度に感じていた不安を、杞憂だと思おうとしていた自分を笑ってやりたくなった。彼女はもちろん拒絶していたのだ、王太子を。

 あんなに綺麗な涙をこぼして語った言葉も、夜会で見せた艶やかな微笑みも、贈り物を喜んだ柔らかな笑顔も、全ては王太子に最大の衝撃を与えるための嘘だった。その証拠に、彼女は死ぬ前に嘲って見せた。自身の愚かさ故に、愛する人アウローラを喪うこととなる王太子を。

 どんなに悔やんでも遅かった。アウローラは戻ってこない。彼女との出会いからやり直すことも出来ない。愚かな自分の振舞いを、這いつくばって謝ることも出来ない。広いベッドの上で彼女に名前を呼んでもらい、抱き合うことも出来ない。彼女が青い目を柔らかく細めて微笑むのを見つめることも、もう出来ないのだ。

アウローラは復讐を成功させたのだった。


 そうして、子供が生まれる冬を前に死んだアウローラは、残された王太子の心を支配した。アウローラに恋をして、誰かの愛を願うことを知った王太子は、アウローラ以外に愛せる女を見つけることはできなかった。














 アウローラの死後2日で、王宮の近衛騎士はアウローラの暗殺を企てた犯人を割り出した。犯人はやはりと言うか何と言うか、エレーナ・ハーフィモニー男爵令嬢の父、ハーフィモニー男爵だった。アウローラの暗殺を実行した影の者たちは即席で雇われたのか、男爵家に対する忠義はないようなものだった。命ばかりは助けてやると言うと、あっさりと口を割ったのだから。それが粛清の始まりだった。

 ハーフィモニー男爵は王太子妃とその子供ーー未来の王となるかもしれなかった子供を殺した罪で極刑。父親が命じたことで直接関わりがなかったとは言え、エレーナ嬢は王都から遠く離れた戒律の厳しい修道院へ一生幽閉、生まれる子供は王家に従順な貴族の養子になることが決まった。


 そして、アウローラの不自然な死に方ーーハーフィモニー男爵の差し向けた刺客に気づいていて、自ら死を選んだような彼女の行動に疑問を持った王太子は、アウローラの実家であるオラグルド辺境伯領を調べることとなる。真実を知りたかった王太子は、アウローラの死に心を痛め、原因となる行動をたくさん取っていた王太子を責めている王と王妃に頼み込み、優秀な手駒を貸してもらった。

そして彼らが知ることになったのはーー衝撃的な真実だった。


 王直属の影の者たちは優秀で、ほとんど独立国のような辺境伯領の中でも自在に情報を集めてみせた。彼らが送ってきたオラグルド伯の屋敷で働いていた者たちの証言を集めてまとめた文書には、驚くようなことが書かれていた。

 アウローラはオラグルド伯の血を引いてはいるが、母親はただのメイドであったこと。母親はアウローラを生んですぐに不慮の事故・・・・・で死んでいること。10歳の頃までアウローラは食事もまともに食べさせてもらえず、折檻と訓練の毎日だったこと。

知らなかったことは数え切れない程あった。それは目を背けたくなるような虐待の記録だった。こんな風に育てられたアウローラが、あんなに完璧で優秀な美しい王太子妃になったなんて信じられなかった。

同時に王太子は、これ以上悔いることはないだろうと思っていた自分の行動を思い出して、どうにかなりそうになった。これ程の経験をしてきたアウローラに、自分は一体何て仕打ちをしたのか。自分は大馬鹿者だと、泣きながら洩らした王太子に、王妃は冷たい声でそうね、大馬鹿者ね、と返した。


 報告書はそれだけには留まらなかった。辺境伯が領内の孤児院からめぼしい子供を引き抜き、衣食住と引き換えに手駒となるよう訓練を受けさせていること。これは貴族が正当な理由なしに私兵を持つことを禁止している法に抵触している。

それから領内の農民から徴収している税を巧妙に隠し、王宮の文官には実際より少ない報告をして私腹を肥やしていること。年に2度、抜き打ちで入る調査では王都から派遣される調査官との賄賂のやり取りによる癒着があること。どれも法に違反している。

 どんな違反よりも王太子は辺境伯らのアウローラの扱い方に腹を立てた。自分だって取り返しの付かないことを彼女にしたけれど、幼い子供のアウローラから母親を取り上げ、愛を教えずに育てたのは彼らだ。ほとんど逆恨みだけれど、彼らを許せないと思った。

 王と王妃と王太子は宰相と話し合い、慎重にオラグルド辺境伯を囲いこむことを決めた。今まで国内の貴族のバランスが崩れるからと、手を出すことを敬遠してきた辺境伯だったが、アウローラのことが踏ん切るきっかけとなった。

 まずは証拠集めだった。年に2度ある税の調査を装い、影の者たちを連れた文官を派遣する。使う文官はもちろん、事情を知った上で行くことを了承した者だ。そこで改竄されていた税徴収の記録を回収して、一つ目の罪とした。

 それからは案外と楽なものだった。文官が街を歩いているときに偶然・・孤児院を見つけ、訪問をしたところ、偶然・・辺境伯の部下たちが子供を引き抜いている現場を目撃し、申請されていない私兵が存在することが明るみに出た。

 辺境伯がアウローラの出生を偽っていたことは、罪に問わなかった。もういなくなってしまった彼女だとは言え、心ない人々が彼女の出自をこき下ろすようなことは避けたかったのだ。

 その後も見つかった辺境伯の数々の悪事を踏まえて、オラグルド辺境伯爵は極刑となった。夫人は辺境伯と離縁させて、変態的嗜好を持つと有名な高齢の貴族へと嫁がせた。四人いる辺境伯と夫人の子供たちは王立の文官養成学校に入れた。身分関係なく、実力で図られる厳しい学校だからいい勉強になるだろう。そうして辺境伯領は、王家直轄の領地となった。


 アウローラのただ一人の侍女、サラはというと。彼女はしばらく茫然自失とした様子で日々を過ごしていたが、ひっそりと行われたアウローラとその子の葬儀の後、王宮を辞職して、アウローラの供で訪れたことのある孤児院で働きだした。

サラは殺される間際のアウローラの言葉の意味に気がついていなかったのだ。あの『ざまあみろ』が、王太子に向けたものであることに。

もし気がついていたら、彼女が取った行動は違うものだったかもしれない。

彼女はアウローラに心酔していたけれど、アウローラが王太子により大きな衝撃を与えるためについていた嘘に、まんまと騙されていたのだ。


 アウローラの自殺とも言える死は少なくない数の人の心に傷を残していった。けれどそうして復讐をすることによって、アウローラはようやく自由を手にしたのだ。










ここまで読んでくださってありがとうございます!



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