3. 10歳の絶望、そして決意
それから10年の月日が流れた。
この10年様々なことはあったがオルタは、見た目はごく普通の、しかし時折ハッとするほど冷徹で合理的な目をする少年へと成長していた。
10歳になったある日、オルタは母親に伴われて、隣の商業都市「サルトルト」へと向かうことになった。
この世界には、当然ながら鉄道も、自動車も、飛行機もない。「転移魔法」のような便利な移動手段も、一部の超高位魔術師や貴族が独占しているだけで、一般市民の足はもっぱら「馬車」だった。
「これより、サルトルト行き旅客馬車、発車するぞ! 席に詰めろ!」
カルナレートの街の中心部にある「運輸ギルド」の停留所。
そこにあったのは、頑丈だが薄汚れた木製の大型馬車だった。4頭の大型馬が繋がれており、御者が乱暴に鞭を鳴らしている。
「これに乗るのか……」
オルタは嫌な予感を抱きながら、ギルドの職員に硬貨を渡し、狭い客車へと乗り込んだ。車内はすし詰め状態で、家畜の臭いと人間の汗の臭いが充満している。
そして、その旅はオルタにとって**「前世のプロフェッショナルとしてのプライドを粉々に破壊される地獄の拷問」**となった。
ガタガタガタッ! ドスンッ!!
「うわっと!?」
「きゃあ!」
発車してわずか数十分。整備されていない土の街道に出た瞬間、馬車は激しく上下に揺れた。サスペンションなどという上等なものはなく、地面の凹凸がそのまま乗客の腰と背骨に突き刺さる。
(酷すぎる……。速度はせいぜい時速15キロ。なのにこの振動は何だ。保線がされていないどころか、ただの獣道じゃないか)
オルタが心の中で愚痴をこぼしていると、突然、馬車が完全に停止した。
外から御者の罵声が聞こえる。
「チッ、またかよ! おい、みんな、ちょっと降りてくれ! ぬかるみに車輪がハマりやがった!」
乗客たちは慣れた様子で、ため息をつきながら馬車を降りた。前日の雨で、街道の一部が深い泥濘と化していたのだ。ギルドの職員や乗客の男たちが泥まみれになりながら馬車を押すが、数トンの木箱はびくともしない。
「おい、予備の板を持ってこい!」
「そんなもの、前の事故の時に使い切ってねえよ!」
「ハァ!? じゃあどうするんだよ!」
ギルド職員たちの手際の悪さに、オルタは頭を抱えた。
(信じられない……。トラブルに対するマニュアルが一切ないのか? 泥濘を通過するための資材すら常備していないなんて、運行会社として終わっている!)
結局、立ち往生してから3時間が経過し、通りかかった別の商人馬車に引っ張ってもらうことでようやく脱出できた。しかし、悲劇はそれで終わらなかった。
さらに数時間後、今度は「バキッ」という不吉な音が響き、馬車が傾いた。
「おいおい、嘘だろ……車輪の軸がイカれちまった!」
御者が頭を抱える。予備の車輪はあるが、それを交換するためのジャッキのような工具がない。職員たちは近くの森から太い丸太を切り出してきて、テコの原理で馬車を持ち上げようと、あくせくと無駄な時間を費やしている。
さらに夜が近づくと、遠くから「ガルルル……」という魔物の遠吠えが聞こえてきた。
乗客たちは恐怖で顔を青くし、身を寄せ合ってガタガタと震えだす。幸いにも、護衛の冒険者が魔物を追い払ったため事なきを得たが、もし強力な魔物だったら全員の命がなかっただろう。
カルナレートからサルトルトまで、距離にしてわずか50キロメートル。
前世の日本の鉄道なら、快速電車で30分か40分で着く距離だ。
しかし、オルタたちがサルトルトの街の門をくぐったのは、発車してから**「28時間後」**のことだった。
遅延、事故、危険。それがこの世界の「運輸」の現実だった。
疲れ果て、泥まみれになった母親の姿を見つめながら、オルタの胸の中で、押し殺していた「前世の魂」が激しく炎を上げた。
(……なんだ、この杜撰な世界は。公共交通機関がこれほどまでに無能で、乗客の命と時間をドブに捨てているなんて、許されるはずがない)
オルタは自分の小さな手のひらを見つめ、強く握りしめた。
(俺は、前世で秒単位のダイヤを守るために命を削った。なら、この世界でもやってやる。あんなボロボロの馬車じゃない。鉄のレールを敷き、絶対に狂わない完璧な運輸体制を、俺のこの手で作ってやる……!)
この日、10歳の少年の心に、世界を変える「黒鉄の野望」が宿った。




