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測定不能  作者: Wataru
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コーヒーを二つ ――千年生きるあなたと、百年の私――

長命種管理局、第三研究棟。


 無機質な廊下を歩きながら、私は少しだけ緊張していた。

 今日から、長命種の管理官の補佐として働くことになっている。


 長命種。

 平均寿命、約千年。


 短命種。

 平均寿命、約百年。


 同じ人間でも、ほとんど別の生き物みたいなものだと、学校で習った。


 突き当たりの部屋の前で立ち止まる。

 プレートを確認して、ノックをした。


「……入れ」


 低い声が返ってくる。


 ドアを開けると、広い部屋の奥で一人の男が机に向かっていた。

 書類の山。モニター。白い壁。白い机。白い光。


 男はペンを走らせたまま言った。


「今日から担当になります、短命種職員の――」


「名前は書類で見た」


 最後まで言う前に遮られる。


「……失礼しました」


「そこに座れ」


 机の前の椅子を軽く指される。


「はい」


 座ると、男は淡々と説明を始めた。


「仕事は資料整理とスケジュール管理。来客対応。それだけだ。分からないことがあれば聞け」


「はい」


「以上」


 それで会話は終わった。

 男はもうこちらを見ない。


(長命種って、本当に感情が薄いんだな)


 怒っているわけでも、優しいわけでもない。

 ただ、関心が薄い感じだった。


 静かな部屋で、私は端末を開き、言われた通り資料整理を始めた。


 しばらくして。


「……コーヒーは飲めるか」


 唐突に言われた。


 顔を上げると、初めて目が合った。

 淡い色の目だった。ガラスみたいだと思った。


「はい、飲めます」


「そうか」


 それだけ言って、また書類に目を落とす。


 部屋の隅にコーヒーメーカーがあるのに気づいた。

 私は立ち上がり、コーヒーを二つ淹れた。


 一つを机の端に置く。


「……頼んでないが」


「すみません、いらなかったですか」


「いや」


 男はカップを手に取る。


「次からは、自分の分だけでいい」


「……はい」


 でも次の日も、私はコーヒーを二つ淹れた。

 その次の日も。


 男は何も言わなかった。

 ただ、毎日黙って飲んだ。


 それが、少しだけ嬉しかった。



 同じ部屋で仕事をする日々が続いた。


 長命種は基本的に短命種と深く関わらない。

 どうせ先に死ぬから、という理由らしい。


 だから管理官と補佐も、必要以上に会話はしない。

 それが普通だと聞いた。


 でもこの部屋では、毎日少しだけ会話があった。


「それ、右の棚」


「はい」


「その書類、今日中」


「はい」


 本当にそれだけの会話。


 でも、同じ部屋で、同じ時間を過ごして、同じコーヒーを飲んでいると、

 少しずつ慣れてくるものだった。


 ある日、残業で帰りが遅くなった。


 外は雨だった。


「送る」


 男が言った。


「え?」


「この時間、短命種を一人で歩かせるなと言われている」


「……ありがとうございます」


 車の中は静かだった。

 ワイパーの音だけが聞こえる。


 しばらくして、男が言った。


「短命種は、雨が好きか」


「え?」


「嫌いか」


 少し考える。


「……嫌いじゃないです」


「そうか」


「管理官は?」


「どちらでもない」


 長命種らしい答えだな、と思った。



 それからしばらくして、私は思い切って聞いた。


「長命種の人って、短命種と仲良くしませんよね」


 男は少しだけ考えてから言った。


「すぐ死ぬからな」


 あまりにもあっさり言うので、少し笑ってしまった。


「ひどいですね」


「事実だ」


「……あと何年生きるんですか」


「七百年くらいだ」


「長いですね」


「お前は」


「たぶん、あと八十年くらいです」


 沈黙が落ちる。


 私は少しだけ迷ってから言った。


「でも」


「七百年の中の八十年なら、そんなに長くないですね」


 男は何も言わなかった。


「その八十年、隣にいさせてください」


 言ってから、自分でも変なことを言ったと思った。


 でも男は笑わなかった。


 しばらくして、静かに言った。


「……物好きだな」


「そうかもしれません」


「後悔するぞ」


「しません」


「どうして言い切れる」


 少し考えて、答えた。


「ここ、居心地いいからです」


 男は少しだけ目を細めた。



 それから三年後。


 私は異動が決まった。


 別の研究棟へ行くことになった。


「次の担当が決まりました」


「そうか」


「……今まで、ありがとうございました」


 男はいつも通りの顔で書類を見ていた。


「明日が最後です」


「わかった」


 それだけだった。



 最後の日。


 いつも通り、コーヒーを二つ淹れた。


「……もう淹れなくていい」


「今日が最後なので」


 机にコーヒーを置く。


「三年間、お世話になりました」


「そうか」


 やっぱり、この人はあまり変わらない。


 そう思って、少しだけ寂しくなった。


「私がいなくなったら、また一人ですね」


 男はコーヒーを一口飲んでから言った。


「違う」


「え?」


「お前がいた場所が残る」


 何を言われたのか、すぐには分からなかった。


「長命種にとって、三年は短い」


「はい」


「だが」


 男は少しだけ考えてから言った。


「居場所になるには、十分な時間だった」


 私は、少しだけ泣きそうになった。



 新しい職場に移動して、一年が過ぎた。


 忙しい毎日で、あの部屋のことを思い出す時間も少なくなった。


 でも、朝コーヒーを淹れるとき、たまに思い出す。


 コーヒーを二つ淹れる癖は、まだ抜けない。


 そして気づく。


 ああ、あの部屋は、

 私の居場所だったんだな、って。

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