16.テレキャスターの真実
3月下旬。とある放課後。
まだ肌寒さの残る山の中に俺と榊はいた。
川のせせらぎの音、木々が風に吹かれる音が絶え間なく聞こえる渓流。
自然の中で、二人して釣り糸を垂らしている。
近頃の俺は放課後や休日に榊とこうして釣りをしに出かけることが多くなった。
榊に選んでもらった自前の釣り道具一式は、最近じゃ通学カバンと同じぐらいの頻度で携行している気がする。
釣り以外にも、山に登って星を見に行ったり、二人でキャンプをしながら焚き火で飯を作ったりとか、アウトドアっぽいことを色々と……。
普通に町中で遊ぶこともある。そういう時は篠原も一緒だ。
すぐ傍にあったのに、今まで無意識に見過ごしていた、愛すべき“普通の時間”だ――
「釣れねーなー、留美」
「……そうだな」
ぼんやりと会話をしながら水面に浮かぶ釣り糸の先を眺める俺たち二人。
普段は落ち着きのない榊だが、釣りをしている時は意外なほど大人しくしている。信じられない話だが、無言のまま何時間も座り続けていることだってある。
もちろん、いつものように雑談を交わすこともあるが、お互い集中してくると、自然と喋らず魚の動きを追っている時間が増える。
榊といると、俺まで沈黙が耐えきれない感じになってくるが、こと釣りに関しては、この静けさが心地よいとも思えるから不思議だ。
楽しい賑やかさだったり、落ち着いた静寂であったり、人間関係には色々な時間があるものだ。
でも、榊と過ごす時間は、どれも自分でも意外なほど悪くない。
どんな時も、お互いがお互い自然体でいられる間柄だった。
榊との間に嘘はない。
……そう信じられる。信じようと思える。
付き合いはまだまだ短いけれど、俺はこいつと友達やれてんだという自負が持てる。
――こいつが親友とか、言ってくれてるから……かな。
最初は痒かった“親友”という言葉が、最近は痒いだけではなくなってきた。
俺の心は、そんな不思議な快さで満たされていた。
毎日やることがあって、楽しくて、……悪くない気分。
悪くない。
のだが――、
16.テレキャスターの真実
「ツーリングに、行きてーよな」
ある日の休み時間、榊が唐突にそんなことを言い出した。
例によって榊は違うクラスだが、例のごとく今日も平然と俺のクラスにやって来ていて、俺と篠原を交えて三人でダベっているところだった。
他のクラスメイトにとっては、榊が毎度騒々しく転がり込んでくることも、自分のクラスのようにリラックスしながら俺と喋っていることも、最早日常の風景と化したようで誰も気にとめない。
――馴染んだ、ってことか。
こいつのマイペースさと、無遠慮さが為せるワザと言えるんだろうが、そんなに感じ悪くもないから不思議だよなと思う。
「釣りかぁ……最近、榊くん、河野といつも一緒に行ってるもんね」
「違う。釣りはフィッシングだ。ツーリングは釣りとは関係ない」
相変わらずボケたことを篠原が言うので、相変わらず俺もツッコミを入れた。
篠原は「え?そうなの」と素直すぎる反応を示し、榊は俺のツッコミが面白かったのか「ぐひひ!」と下品な大声で笑う。
「確かに、釣りはいっつも行ってんよな。あれ?篠原さんも釣りデビューしてーの?」
「え?ど、どうかな?わたし、一度もやったことないし……」
「留美も初挑戦だったけど今じゃ全然やれてっからイケるってー。こないだもさー、こいつこーんなおっきいブラックバス釣ってさー」
榊は両手をいっぱいに広げて言うが、そんな魚が人里近くに泳いでるわけがない。
篠原は「へぇー」とまた素直に驚くものだから、榊も面白がっているのだ。
この手のくだらない嘘を、榊は結構な頻度でつく。まぁ、悪意があってのものじゃなく、騙されたからって被害が生じる類のもんでもないからいいんだけど。
「榊、話盛りすぎだよ。大体バス釣りなんか行ってねぇじゃん。こないだ釣ったのはちっちゃいタナゴだろ」
「あ、バレた。ぐひひ」
「てゆうか、話逸れてんだろ。釣りの話なんかしてなかったじゃんか」
俺が言うと、榊は思い出したかのように「あ、そういや」とつぶやく。
こいつはいつもそうだ。何かについて話をしていても、気付けば話が逸れて違う話題になってしまっている。
何事も興味が尽きないからなのか、話題への集中力がないのか……。
「ツーリングって、なんのこと?」
篠原が、話題を戻しつつ質問を。
「……バイクとかに乗って移動しながら、遠くの観光地とか、景色の良い場所とかを巡ったりすることだよ」
「さっすが留美、よくわかってるぜ」
「え、でも、榊くんも河野も、バイクの免許なんか持ってないでしょ?」
「そりゃまだ高1だしな。榊が言ってんのは――、」
「――チャリな!!」
榊が俺の言葉を遮って、声高に宣言した。
“ツーリング”と言えばバイクのイメージだが、最近じゃ自転車で行うのもメジャーなものになりつつある、と榊は前から言っていた。俺にあの自転車を買い与えたうちの親父も、似たようなことを以前言っていたような気がする。
要するに榊は遠乗り――自転車旅行に行ってみたい、と言っているのだ。
「オレと留美って、よぉーく考えたら知り合ったきっかけチャリだったじゃーん!だったら一回ぐらいはツーリングしとかねーとさ!オレ的には一回と言わず何度でもオッケーだけどね!」
俺が榊と知り合ったのは、補習授業の時に隣同士になり、そこで自転車の話をしたのがきっかけである。
その後、仲良くなって、こうしてしょっちゅうつるむようになってからも自転車の話題はちょくちょく出ていたが、実際に自転車に乗ったり、どこかへ行ったりはしたことがない。
確かに、したことはないのだが……。
「まぁ、……そのうちな」
俺は遠回しに断りを入れるようなニュアンスでそう告げた。
しかし、榊がその程度で引き下がるわけもなく、「えーっ!なんだよノリ悪いなー!」と俺を非難しながらしぶとく食い下がってくる。
出会って一ヶ月も経ってないけど、釣りやキャンプなら二人で何度も出かけた。
でも出会いのきっかけとなった自転車に手を付けていない理由は――、
――だって俺の自転車は、廃車両に置き去りにしたままなんだから。
廃車両に行った最後の日。
あんな――亜美香に殴られるような展開になるなんて思っちゃいなかったあの日の俺は普通に自転車で廃車両まで出向いた。
だが、……ああいう出来事があって、俺は廃車両から……逃げ出してしまうことになったわけで……普通に走って、家まで逃げてきた。
亜美香に殴られた痛みだとか、殴られて眼鏡が壊れたことだとか、亜美香に言われたことだとか、そういうことを色々ぐるぐる考えていて、その時には廃車両まで自転車に乗ってきたことなんてすっかり頭から抜け落ちていたのだ。
結局、自転車を置いてきたことに気付いたのは、帰宅して、親に見つかって、病院に行ったり色々やってる最中のことだった。
そういうわけで、俺はあれだけ毎日乗り回していた自転車に、その後一度も乗っていない、ということになる。
榊と知り合った時も、「自転車が趣味」だと言っておきながら、俺の手元にはもう自転車はなかったのだから、考えたらお笑い草だ。
廃車両に置いてきた自転車について考えだすと、あの日のこととか、それまでの自分だとか、正直言ってあんまり考えたくないことまで色々まとめて蘇る。
だから自転車についてはしばらく棚上げしておきたかったというのが本心で、榊がこうして自転車の話をする度に、俺は適当な誤魔化しで話を逸らしている。
――自転車がきっかけで仲良くなったのに、その話題がタブーになるなんてな……。
我ながら勝手だ。
「そういえば、河野って前は自転車通学してたのに、最近はずっとバスだよね」
傍らで俺たちのやり取りを聞いていた篠原が余計なことを言う。
「あれ?そうなの? 留美ってチャリ通してたんだ。オレと一緒じゃん」
「うん。雨の日以外は、ね。でも最近は、晴れててもバスで通ってるよね」
「あ、えっと……まぁ、な」
「自転車、壊れちゃったの?」
「んだよ、それならそうって言えよな。チャリの修理ぐらいオレがやってやるってー!」
「いや……、その……」
篠原と榊は言うが、別に俺の自転車は壊れたわけではない。
単に手元にないだけだ。
――けど、こいつらがそれで納得するなら、もうそういうことにしちゃってもいいかな……?
些細な嘘で場が凌げるなら、それでも良いと思った。
これ以上、あの日のことを思い出したくなかった。
……思い出させようとしてくるこいつらにムカつきたくなかった。
けど……、
「ま、まぁいいじゃねぇか! 機会があったら、ちゃんと見せてやるからさ!」
俺はどういうわけか、嘘を言うでも誤魔化すでもなく、無意味に前向きな口調で強引に話を締めくくった。
……嘘は、つきたくなかった。
仲良くしてくれる、この二人には、そういう態度は取りたくなかった。
別に、聖人君子になろうと思い立ったわけじゃない。
嘘をつくのがいけないことだなんて、今更言いたいわけじゃない。
今まで、嘘をついたことがないわけじゃない。
親や先生、友達に、俺は何度も嘘をついたことがある。
けど、いつだって俺はそういう悪さや弱さを自覚してしまって、すごく嫌な気分になる。
嘘をつかなきゃ切り抜けられない脆弱さに。
嘘をつくことに何の罪悪感も覚えない邪悪さに。
自分がそういう類の雑魚でしかないと自覚させられるようで。
まるで“あの日”に理解させられた、自分の弱さを直視するみたいで。
――すごく、嫌なんだ。
自分の弱さに気づかない、馬鹿な子供の頃ならば、それでも良かった。
それを乗り越えた先の、悪を悪とも思わない、豪胆さや無神経さが、俺に身についたのならそれでも良かった。
……でも、俺はそうはならなかった。
ガキの頃より年相応に小賢しく利口になって、かと思えば悪さをして心に何の痛痒も感じないほど図太くもなれていない。
嘘をつけば自分の弱さを自覚して苛立って、悪さをすれば自分の汚さを自覚して心苦しくなる。
半端者だ。
あぁ、嫌だな……。こんなままじゃ嫌だな。
変わりたいよ。強い自分に。
“あいつ”みたいな、強い自分に、さ……。
――だから、せめて、ちょっと待ってくれ。
もっと心の整理がついて、飲み込めるようになったら、ちゃんと本当のことを話すから。
隠したりせず、嘘もつかず、ありのままを説明するから。
だから、今だけ、もう少し……無力な俺に、黙る時間をください。
○-○
下校時間になり、俺は帰り支度を始める。
なんとなく示し合わせたように篠原と教室の出口で合流し、廊下を歩いていると榊がドタドタと加わる。
最近はこの時間になると、こうして自然とこの三人という状態になるのだった。
連れ立って歩きながら、今日の放課後は何をしようかという話をする。
「なーなー留美ー。今日は海に釣り行くかー?」
「また釣りかよ……昨日もやったばっかりじゃねぇか」
「昨日は川じゃん!今度は海! 堤防んトコ行って、夜釣りとかやろーぜ。楽しーよ!」
「……おまえって、ホントにそういうぶっ飛んだことを当たり前みたいな口調でやろうとか言うよな。夜にそんなとこいて危なくないのかよ?」
「んなぶっ飛んでもいねーよ。ただ夜の海いって釣りするだけじゃん。たまにおまわりさんに職質とかされっけどね。わはは!」
「笑い事じゃねぇだろそれ……。あと篠原はそういうの参加できねぇんだから。たまには普通に、北区に買い物にでも行こうぜ」
「あ、そっかー。篠原さんも連れて夜釣りはムリだよなー」
「え?あ、ごめんね、なんか気使わせちゃって……」
「いいんだよ篠原。榊の思い付きにおまえまで振り回されなくたって」
「う、うん……ありがとね、河野」
……そのような感じの会話をしつつ廊下を進んで階段を下り、昇降口で靴を履き替え、校門に向かって歩いているところで、俺はそれに気づいた。
校門の辺りに、なにやら生徒が集まっている。
どこかの部活の集まりかと思えばみんなカバンを持って帰る格好だし、何をするでもなく校門の手前で立ち止まっているように見えた。
談笑をしている空気でもない。ヒソヒソと声を潜めて、何かを言い合っている。
なんだか、下校したいのにできないような、門を出たいのに出られないかのような、そんな雰囲気。
――なにやってんだろ? 門の外になにかあるのか……?
校門の手前――たむろしている連中のすぐ近くまで来ると、ヒソヒソ話をする声が聞くとはなしに聞こえてくる。
「ねえ、あの人たち、北区の学校の生徒だよね……?」
「見た目、不良っぽくない?マジ怖そうなんだけど……」
「うちの学校の誰か、待ち伏せしてんのかな?」
「やば。それって“出待ち”ってヤツ?」
「いや、それ、使い方ちがくない……?」
――門の外に他校の生徒がいて、誰かが出てくるのを待ってるのか。
勝手に聞こえてきた話題から、事態を察する。
校門の外で待ち伏せる不良なんて、イマドキ実在したのか――って気分だが、それでこの状況というわけだ。
門の内側で、出るに出られずにいる生徒たち。みんな、絡まれる心当たりがあるわけでもないんだろうけど、好き好んで不良の前など通りたくはないってことだろう。
「オレ知ってるぜ」と状況を察した榊が言った。「不良の人たちって、他校の生徒に用がある時はこーやって門のトコまでやって来て、出てくんの待ち伏せるらしいよ?」
「用って……喧嘩とかってこと?」
「当然じゃん。不良だもん。ツッパリ、んでタイマン。ろくでもねーよな」
篠原の質問に榊が言いたい放題言う。
……榊は小声で話すとか出来ないアホなので、本人たちに聞こえやしないかとヒヤヒヤする。
「わざわざ待ったりしないで、学校内まで入ってったりはしないのかな?」
「さぁ?でも、そんなリスキーなことできないんじゃね?」
「そこまでする気はないけど、“わざわざ来て喧嘩するくらいには怒ってるよ?”ってことかな」
「そうそう。そんな感じ」
「ホントかよ……?」
二人の交わす胡乱な会話に、思わず口を挟んでしまう。
不良のルールや常識なんて一般人の理解できるところじゃない。
今の会話に出てきたような話も、ありそうはありそうだが、違いが微妙すぎて俺には全然わからない感覚だ。
「素通りしちゃおーぜ。オレら関係ねーし」と榊が言う。「絡まれたらだりーけど、あいつらいなくなるまでこーやって待ってんのとかヤじゃん」
榊は基本アホだけど、時々的確なことを言う。
こいつの言う通り、待ってるだけなんて時間の無駄だ……とは思う。
「そうだな。待ってて巻き込まれる前に、通っちまおうぜ」
「こ、河野まで……怖くないの?」
「いや、怖いは怖い……けど、ああいうヤツらって、無関係の人間を目につくなり攻撃するほど凶暴でもないはずだから……」
「そうなの?」
「うん。多分……」
「なんでそんなこと知ってんの留美?」
「え?えっと――」
自然と口にしていたが、その知識は受け売りだった。
廃車両で過ごした日々で知り得た――亜美香が話していた、俺の知らない世界の話。
『――不良だなんだと偉ぶっちゃいるが、結局は暴れるしか能のねえ動物みてえな連中だ。あいつらは凶暴ぶってるだけの、目の前の人間の強さも測れねえアホの集まりなんだ。
河野、あんたは犬に噛まれたことってあるか? それはビビッてるからだ。あんたがビビれば犬も調子付く。気付かせちまったんだ。人間様がちょいと噛みつきゃ怯んじまう、弱い生き物だってな。
だからビビることはねえのさ。堂々としてりゃあいい。そうすりゃ強いか弱いかなんてあいつら馬鹿なんだしわかりゃしねえよ。不良どもも一緒。無関係の人間を目につくなりぶん殴るほど凶暴じゃねえ。いつも暴れてんのは疲れるからな。
あんたは、あいつらに凶暴ぶらせる理由を与えなけりゃいい。敵対するほど目立たなきゃいい、――そんだけの話さ』
俺自身が経験したことではないけど、実体験をもって理解しているヤツが言っていたのだから、まぁ、そんなものなのだろうという程度には信頼に足る情報。
――亜美香……か。
俺のことがムカついて仕方がないと言っていた人間の言葉に、こんな風に励まされる時が来るなんてな。
……廃車両で過ごした期間は、俺自身がどうあろうと、俺の中に確かな何かを蓄積させているってことを、実感する――、
そういえばあの時の亜美香は、俺に不良の対処法だとか、喧嘩に巻き込まれない方法みたいなのをやけに色々教授してくれた。
会話が成立してたし、雰囲気もなんとなく優しかった気がする。
――あれは、あいつなりに、俺と仲良くなろうと頑張ってたのかもしれないな……。
今更、気付く。そんなことを。
「まぁ、いいんだよ、こういうのは、気にしすぎたほうが負けだからさ……」
自分に言い聞かせるように言いながら門をくぐる。すると、俺の行動に周囲で立ち往生していた生徒たちが、どよめくような空気を出したように感じられた。
そんなわかりやすい空気を出されるとやりづらいのだが、今更引き返せる感じでもなく、俺は至極平然を装いながら、門の外へ歩を進める。
外で待っている不良たちと目を合わせたりすることのないように、目を伏せて、顔も見ないように……。
ああいう連中は、何が導火線になって攻撃してくるのか、俺たちの常識じゃ全然測れないところがある。だから、関わるべきじゃない。一秒だって関わる瞬間を作るべきじゃない。全力で無関係を装え。
――あ……。
俺は自分の思考のおかしさに気付く。
一切関わり合いたくないと思っているのなら、何故強気に前を通り過ぎようとしているのか?
不干渉を貫くなら、何も無理にこうして出てこうとせずに、別の場所で状況が動くまで時間を潰すだとか、職員室に先生を呼びに行くだとか、いくらでも方法があっただろうに。
確かに榊は“時間の無駄だ”と言っていたけど、俺がそれに同意する必要はなかった。
安全な方法を冷静に考えることが、どうして俺にはできなかったんだ?
……俺は不良に対して、対抗意識みたいなものを持っている?
無闇にビビッたりしないぞと気丈に振る舞い、敢えて強気な行動を取っている。
臆病に、黙ってるだけじゃないことを見せたくて。
――そういうとこだろうが!
“あの日”、投げつけられた言葉が蘇る。
亜美香に言われたことを否定したかった。
だから、不良と呼ばれる奴等に、気持ちで負けたくなかった。
自分が言われっぱなしの弱虫じゃないことを、行動で示したかったんだ。
本当にそう思っているのなら、もっと堂々としていればいい。毅然と振る舞っていればいい。
けれど、どうにも不安に襲われて、どんどん自分の行動に自信が持てなくなってくるのは、きっと、……本当は、誰より彼等を恐れているから。
「え、ちょっと、留美……?」
「……っ!」
榊のビビったような声と、篠原が息を呑む声を聞いて、俺はふと意識を戻した。
すると、下を向いて歩いていた俺の体が、何かにぶつかる。
まず見えたのは、靴だった。俺じゃまず履かないような、ゴツいブーツが、自分の足の前に鎮座している。
そして、ブーツからは自分と似ているが微妙に色が違うズボンの裾……学生服の足が伸びている。
鼻腔に微かな煙草の臭いを感じた。
そのまま視線を上にずらしていく中で、理解した。
俺は、立ち塞がられている。
ということはつまり、この、出待ちをしていた他校の不良が用があったのは、他ならぬ俺ということなのか?
それとも最早誰でもいいから絡んだ挙句にパンチの一発でもお見舞いしてやらないと気がすまないぐらい苛立っているということなのか。
……なんにせよ、しくじった。
大丈夫と高を括って実行し、最悪の事態を招いてしまった。
しかも後ろには、榊も、篠原も、いるのに。
思えば、俺の、つまらない見栄。
不良なんて怖くないと、自分は恐れてなどいないと、その気持ちを本当にしたくて。
…………馬鹿なヤツ。
中村亜美香――奴等の親玉みたいなあの女に、真っ向からブチのめされた“あの日”。
あの自分を乗り越えたくて、必死か。
実際は何も、変わっちゃいないのに……。
考えだけは一丁前な、実に愚かな河野留美……。
――そうだ。俺は悔しい。
本当に、あの日の自分を、乗り越えたくて仕方がない。
愚にもつかないことを色々思い巡らせてきたが、煎じ詰めればきっとそれが、俺の揺るぎない本心に他ならない――――、
「おい」
失敗した絶望と、これからされることへの恐怖と、自己嫌悪でまたも停止していた俺の意識を戻したのは、声と共に肩に置かれた感触だった。
眼の前に立ちふさがる不良が、俺の肩に手を置いて、何かを言ってきている。
俺は自然と顔を上げて、そいつの顔を視界に収めて――、
「やれやれ、この俺を前にして無視を決め込もうとは、随分と水臭い振る舞いをするではないか、河野留美」
「……、塚本じゃねぇか」
見知った顔が目に入ったところで今更ながら、一瞬にして、気付く。
俺は、そもそもの前提を間違えていたこと。そして、今までの大いに巡らせた思考がほぼ全て無意味であったことを理解した。
――気付きかけた、大事な思いが、我知らず、霧散していく。
○-○
校門前で待ち伏せをしていた他校の不良は、以前廃車両で一悶着あった不良チームのリーダーである、塚本だった。
俺とは多少なりとも知り合い……用があって出てくるのを待っていたのも当然ながら俺のことだった。
詳しい話はこれから聞くが、待ってた用件も別に喧嘩をしに、ってワケではないらしい。
そうとは知らぬうちの学校の生徒のみんなは、“他校の不良がうちの学校の誰かに喧嘩を売りにやってきた!”とざわついていたのだ。
正確な実情は知らないが、うちの学校には不良っぽい生徒はあんまりいない。塚本みたいなガチな雰囲気の不良なんて、うちの生徒からすれば外国人のような物珍しさだろう。
……まぁ実際のところ、こいつは見た目はかなり不良っぽいが、その実、不良でもなんでもない不良オタクとでも言うべき存在であると俺は知ってる。
――ってか、塚本だってわかってれば、あんなアタフタする必要もなかったのか……。
あーあ、もっと顔をよく見ておくんだった……。
紛らわしい。
不良って要素に勝手に盛り上がって結局ビビッて、無事に済んで勝手に脱力して……なんていうか、カッコ悪いにも程があるな、俺。
亜美香にあれだけ言われて殴られてから一ヶ月。
時間が経って平静を取り戻したつもりでいたが、実際は全く冷静になれてなどいなかった。
――俺は、強がってばかりの、弱虫だ。
弱虫。
悔しい。
「ふむ、俺のことを忘却したという訳でもないらしい。久しいな、河野留美。待ちくたびれたぞ」
「……人騒がせな待ち方するんじゃねぇよ」
「何を言う。部外者らしく、門の外で待っていてやったものを。これが敷田と張なら、とっくに門を乗り越えてお前の机にまで向かっていよう」
「そうしないでくれたことはありがたいけど、だったらもうちょっと学校から離れた場所で待っててくれりゃよかったんだ……」
俺の言葉に、塚本は「やれやれ」と肩をすくめる。
こいつは自分の外見が(普通の人がちょっとビビッてしまう程度には)不良っぽいということに対する自覚がないのか。
あるいは周囲がそれで騒ぎになろうがどうでもいいとか思えている程度に肝が座っているのか。
事実、校門の内側では、待ち伏せていた不良がついに動き出し、こうして俺が捕まっているこの状況に、ざわめきがますます広がっている。
篠原と榊も、俺が平然と塚本と話をしている状況が理解できていない様子で、後ろの方で立ち止まってポカンとしていた。
俺のことなど正直よく知らないであろう連中の騒然とする渦中ド真ん中に、自分たちがいる状態。
……正直、すごく嫌な感じの目立ち方だ。
「だから言ったのよ、ジュン。こんな不良みたいな待ち方したら嫌がられるって」
「そうだよ。会って話すだけなら学校じゃなくて家の場所を探せばよかったんだ」
塚本の左右から、見知らぬ男女がひょっこり顔を出す。
年齢は同じぐらいだろうが、見たことがない。前に連れていた子分の不良たちともまた違う。
「やあ、初めまして。君が河野留美くんだね。僕は吉津清。こっちが樺島えりちゃん。僕ら、ジュンの幼馴染ってヤツなんだよ。よろしくね」
男の方がにこやかな表情でそのような感じで話しかけてくる。
吉津――小柄で人懐っこい犬みたいな風貌の少年。不良っぽくない……というか、どう見ても不良じゃない。
もうひとりの樺島とかいう女の子も、ちょっと気の強そうな雰囲気ではあるが、不良って程でもなく、うちの学校とかに全然いるような、普通の女子って感じの子だ。
……亜美香とかとは、全然違う。
「男の子だったのね。留美なんて名前だから女の子だと思ってたわ」
「あはは。えりちゃん、本人を前にそーゆーこと言うのは失礼だよ」
「あっ、ごめんなさい。私、樺島えり。ジュンの腐れ縁よ。今回はこいつがバカなことしだして迷惑かけたわ」
「いや、まぁ、いいんだけどさ……」
俺はちらりと塚本の方を見る。
“ジュン”というのは塚本の名前かなんかだろうか。前に一緒にいた不良たちはそんな風には呼んでいなかった気がするが……。この二人――その気安さといい、雰囲気といい、不良仲間っていうよりは普通の友達という印象だ。
塚本は、少々うんざりしたかのような表情をしながら「断りきれなかったのだ。許せ」と言う。
よくわからないが、この二人を連れているのは塚本の本意じゃないって空気に思えた。
「……いつもの連中はどうしたんだ?」
「あいつらは……まあ、色々とあってな」と塚本は珍しく言葉を濁す。「お前は知らぬことである故、一から説明をせねばならんな。長くなるが構わないな?」
「いいけど……」
――説明?
人の学校の前まで来ておいて、何の話がしたいと言うのやら……。
塚本の口から語られたのは、俺たちが最後に会った日――廃車両にこいつ以下四名が遊びに来てポーカーなどしていた日の後、こいつらに何があったのかという話だった。
端的に言ってしまえば、塚本たちは俺とフジノがいる廃車両から帰る途中に、あの亜美香と遭遇し、挨拶代わりにコテンパンにされていたらしい。
時間的に、亜美香が俺たちのいた廃車両に突撃してきたのはその少し後、ということになる。俺たちが亜美香に出会うよりも少し前に、塚本たちはあいつと遭遇し、俺たちの知らない間にやられていたというわけだ。
ボコボコにされた塚本たちは、あの日から最近までずっと各々怪我の治療に専念していて、歩き回れるようになったのも最近のことだという。
……一応顔見知りとはいえ、会っただけでそこまでの仕打ちをされる北区の不良の関係性に俺には頭が痛くなるような気分でしかないが――、あの亜美香にそこまでされるなんてお気の毒にというよりほかない……。
「それで? 怪我が治りきってない他の連中の代わりに連れてきた新しい子分がそっちの二人ってことか?」
「……いや、こいつらはそういうんじゃない……、」とまたも眉根を寄せるような顔をする塚本。「不本意ながら勝手についてきた俺の知己たちである。とは言え、お前の名前や行動範囲を頼りにこの学校に通うことなどを突き止めるなど、全くの無能というわけでもない」
塚本の発言を受けて、脇にいた吉津の方が「僕!僕!僕が見つけたんだよー!」と功績を主張していた。
口達者で物怖じしない雰囲気と、基本にこやかで人好きのしそうな印象――光明と榊を足して割ったような感じだ。
「――張、敷田、奥井の三人とは、連絡がつかぬ」
話題を戻すように、不意に不穏な言葉が口にされた。「俺とて再起をするにあたり、奴等の力を借りたいと思った。だが、どういうわけか行方が知れぬ。こちらの電話やメールには応答せず、家に赴いてももぬけの殻よ」
「……まだ怪我が治ってなくて入院してるとかじゃねぇのか?」
「そのあたりも含めて吉津が調査をしているが、不審なことはそればかりではない――というか、ここからが本題なのだ。お前に伝えておくべきことがある」
凄むように言われて、少し緊張する。
不良オタクとでも言うべき塚本は、妙に重々しい口調とキザすぎる振る舞いはちょっと勘違い入ってるんじゃないかと思われるようなところもあるが、それはそれとして様になっているもので、本物の不良と同じ――または別ベクトルの、威圧感のようなオーラを帯びている。
「俺は今、俺が成すべきと感じた目的の為に動いている。お前たちと道が重なり、行く末を同じくする機会もあるだろう。これは、お前たちの冒険を快いと感じる俺からの忠告――否、“警告”だ」
そんなこいつが、声を静めて眉間のシワを深くした顔をずずいと寄せてくると、こいつがどういうヤツか知っている俺でも、少しだけ気圧される気分がする。
「河野留美よ、よく聞くがいい。俺が違和感を覚え、それ故に調査し、推理し、そして、直感したことがある、それは――」
「な、なんだよ……?」
「――――お前たち、邪悪なモノに、魅入られているぞ」
「はぁ――?」
「お前とフジノが繰り広げる冒険の陰で、暗躍する者たちがいる、ということだ」
「暗躍……?」
「詳しい事は俺にも解らん。だが、そうとしか思えぬ状況がいくつもあるのだ。このまま放置しておけば、お前たちの冒険はいずれ重大な危機に直面することになるぞ」
「いやいや、おまえ何言って――」
「俺はフジノ本人よりも河野留美、お前の方が冷静に事態を俯瞰していると感じた。故に、フジノよりもまずお前に、危機の到来を伝えるべきと思ったのだ。
これを警告と受け止めるも、戯言と聞き流すも、全てお前次第……、だが、安穏と黙座し、無思考に待つばかりでは、真の敵を見失うぞ」
「真の、敵――?」
「そうだ。今はまだ雲をつかむような話に聞こえよう。だが、必ずや、お前たちの冒険に、最大の障害となって立ち塞がるモノが現れる。それは既に、何処かの薄闇から、お前たちを見張って――、」
「――ちょっと待てって!」と俺は熱を帯び始める塚本の長口上をいい加減打ち切る。「おまえ、勘違いしてるぞ。俺にそんな話したってもう意味ないんだ。だって俺は、もうあの冒険には参加してないんだから!」
「……なんだと?」と好調に喋り続けていた塚本が、打たれたように止まる。「何故だ?」
こいつはあまり感情を表情に出さないタイプだが、今は明らかに不満げな顔色と声音で、説明を求めてきている。
――ったく、めんどくせぇな……なんで突然そんな話を――――、
俺は頭をガリガリとかきむしってから、かいつまんで事情を話す。
その後仲間に加わった亜美香と俺は仲違いし、結果、殴られ、逃げ出し、それ以降嫌になって顔を出していない……と、そんなところ。
「……それはなんと言うか、気の毒な話だな」
少しの沈黙の後、実感の籠もった本当に気の毒そうなトーンでそう言われた。だが、塚本はすぐさま鋭い目を俺に向けて語りだした。
「だが、その程度で終わるお前ではないのだろう? 再起の瞬間は間もなくに迫っているものと見た!」
「……、おまえは――」俺は呆れて言葉を詰まらせかけた。「俺は……、別に、そんな話全然してねぇだろ」
「何を言う。隠さずとも見えているぞ、その悔い、その憤り、溜め込むのみで吐き出さず終えて良いのか?」
「うっ、うるせぇな! 俺は嫌になったからもう行かないんだって今言ったろ!」
自分でも驚くぐらい、大きな声を出してしまう。
塚本の言葉がそれほどまでに気に障ったのか、熱くなる頭では判断しきれないけれど、とにかく苛ついた。
「俺は冒険に行かない……今の生活にだって、十分満足してるし、危ない目に遭うのも懲りたんだ! なんなんだよおまえ!誰が励まして欲しいなんて言ったよ!人の気も知らないでいきなりやって来て勝手なこと言いやがって!」
「解るさ」
「わかってねぇよ!」
「――俺もまた、お前同様、中村亜美香に叩きのめされた一人だからだ!」
「……っ」
先程聞かされたその事実を改めて告げられて、俺は今度こそ言葉に詰まった。
知ったことではない。こいつがどんな目に遭ったかなんて無関係。
だが、俺より手酷くやられながらも、以前と変わらない言動のまま行動し、俺なんかに接触を図ってくる程に活動的なままでいる塚本の姿を、無意識に自分と比べてしまった。
俺は落ち込んで、嫌がって、不満を燻らせながらもなんとか日常に順応していこうとして、結果、未だに時折グズグズと自己嫌悪と不平不満に浸っている有様だというのに。
塚本の気配に暗い色はない。色々と思うところはあるのだろうが、いつものこいつらしい過剰な自信を胸に、前を見据えて振る舞っているように見える。
「状況の過酷さは同じだ。確かに苦境ではあったが、俺にも再起は可能だった。俺をいなしたお前ならば、あの程度の打撃から立ち直ることなど容易かろう?」
「それは――」
――おまえを倒したのは俺じゃなくてフジノだ。
俺の功績ではない。
重箱の隅のような思考が巡り、動かない自分への言い訳となっていく。
そうじゃない――、俺は、今のままでいいのか。
俺はやられっぱなしで、自分の中に溜め込んだ不満も吐き出さず、感じた疑問も謎も解決せず、このまま冒険を終えてしまって本当にいいのか――。
疑問?
そうだ、疑問だ。今まですっかり忘れていたが、俺は不満だけじゃなくて、引っかかりを覚えた要素があったんだ――、
「何れにせよ――“選択”せよ。河野留美。境遇はどうあれ一度は関わった身だ。
来る邪悪の到来に備えて、お前は如何にするのか決めよ。行動するのか?静観するのか?お前がいずれを選ぼうとも、俺はお前を非難しない。
だが忘れるな。人生は選択の連続などではない。多くの人間にとって人生とは、与えられたものを手に取る、選択すらせず過ぎ去っていく無為なものだ。思考停止は罪とも言えよう。無知は、不知は、罪とも言えよう。無価値な者の人生は、選択の機会すら訪れぬ。
お前はどうだ、河野留美? お前の人生は、よく知り、よく悩み、思考し、選択する機会に恵まれた、価値あるものとなっているか?」
人が考えている最中なのに、ずらずらと意味深な語りは続く。
――選択。来る邪悪の到来に備えて、俺がすべきこと?
悩み、考え、選ぶこと。結果がどうこうじゃない。それをする立場になること自体が尊いかのような物言い。選ぶこと自体が尊いのなら、結果にばかりこだわって、グルグル考えてばかりで選べずにいる俺の人生は、無価値なものと言うべきなのか。
いや、そんな考察は後でいい。そんなことよりも。
塚本が最初に言ったおかしなこと――、
――邪悪なモノに、魅入られている……?
素っ頓狂な言葉。
意味は知れない。飾りすぎていて、キメすぎていて、理解するにはきちんとした補足説明が求められる語り。
だというのに、何故だろう。
俺は、塚本が語るその言葉が、引っかかっていた。
そして同時に、受け止めていた。まるで理解できず、思わず呆れた声を返しながらも、我が意を得たりとでも言うように。
寒気のような、怖気のような、鳥肌が立つような感覚と共に、塚本のその言葉に冗談ではない真実味のようなものがあって、それを看過してはならないと、俺の脳裏が囁いている。
敵。障害。立ち塞がるモノ。
「……なぁ、塚本、お前の言う邪悪なモノって――」
――フジノの冒険に勝手に何者かが介入してるって話をしてるのか?
そうだ。そういえば、発端はその考えだったのだ。
亜美香に殴られたのも俺が逃げ出したのも、全てはその疑問から連なった事態に過ぎない。
故に、追及すべき事象は本来的にはそこにある……?
俺はその言葉の意味するところとは、一体何なのかを俺は塚本に問い直そうとして――、
「――そこまでです」
と、凛として響く声音が、俺の喉元まで出かけた言葉を遮った。
いつの間にか出現していた、背後からの気配を感じ取り、その殺気めいた鋭さに心が震えた。
「即刻その不躾な手を離しなさい。我が校の生徒にこれ以上の狼藉を働くことは許されない」
――なんだ?今度は一体なんだ?
この気配……背中越しでもビリビリくるようなこの感じ。これは、まるで、フジノみたいな――、
――でも、俺はこの声の人を知ってる。この声はあいつじゃない。この人は――、
俺が振り返ると、
「――私は、黒川神奈。当校の生徒会長を務める者です。この意味が、貴方には理解出来ますか?」
学校行事で、壇上で、何度も顔を見たことのある人が、つかつかと足音を鳴らして歩いてきていた。
校門の内側で騒然としていた生徒たちを、海のように割って進んでくる。
生徒会のメンバーだろうか。有能そうな生徒を何人か引き連れて。
……黒川神奈。うちの学校の生徒会長。
それ以上でも、以下でもない。
――ただ、なぜか俺は、この時、それ以上の意味を、見出しかけていた。
塚本の思わせぶりな台詞が原因か。それとも――?
「……」
「……」
しばしの間、沈黙が場を支配する。
塚本と生徒会長。両者の視線が交錯する。
「…………」
生徒会長――黒川先輩の視線は、塚本に対する敵意に満ちている。
平穏な学校生活を害する異分子にして見ての通りの不良。
立場がそうさせる強い責任感でもって、射抜くような眼差しが向けられる。
「ほぅ……」
対する塚本の視線は、敵対心だけではない感じがした。
訝るような、不審がるような。ここで唐突に現れた黒川神奈という人物について、見定めるような気配がある。
それは何かに気づいたのか、いつもの思わせぶりな態度ってだけなのか、判別しかねるが。
両者は語らぬまま睨み合い、対峙し合った。
「場が白けたな。此度はここまでのようだ……」
そうして、根負けしたかのように、塚本は俺から距離を取った。
「……次は、冒険の舞台で会おう。その時までに、己の身の振り方を、決めておくがいい」
俺は冒険に参加してないし、今後はもう参加する気がない――と言ったはずなのだが、塚本はそんな言葉を告げながら、俺たちに背を向けて歩き出した。俺の話なんかまるで聞いちゃいない感じだ。
意味深な、真意が定かじゃない発言ばかりを残すだけ残して、帰ってしまう。
その斟酌しかねる言葉の意味を、まだ聞き終えていないのに――、
……周囲は、生徒会の登場で部外者は追い払われ、正常な下校時刻が戻ってきたかたちになる。
誰かが生徒会に通報でもしたのか、騒ぎを聞きつけてやって来たのだろう。
別に俺は他校の不良に悪さをされていたわけでもなく、単に知り合いと喋っていただけなのだが、……場の空気は俺という間抜けな生徒が不良に絡まれてた場面に颯爽と駆けつけた救いの手、みたいな感じになってしまっていた。
外見的には不良そのものの塚本相手に、全くひるむ様子のなかった黒川会長。
この人がなんて評判で呼ばれてるか、俺でも聞いたことはある。
曰く――冷静沈着。理知的な女。優秀極まる生徒会長。万難を排する鉄の意志。
評価そのままの鉄の女――黒川会長が、俺の間近に歩み寄る。
俺の横に立ち、去りゆく塚本の背を追っていた視線を、ゆるりとこちらに向けてきて、
「大丈夫ですか?恐い思いをしましたか?もう大丈夫です。安心してくださいね」
……ひとつも優しさを感じ取れない、えらく事務的な口調で、優しげな言葉がかけられた。
そして、なんとなく俺は彼女の目を見てしまって、
その瞳の深淵さに、俺の心の何もかもを見通すような印象を抱いてしまって。
――あぁ、この人はきっと、すごく怖い人なんだな。
などということを、心に抱いた。
目を逸らす。
逸らした視線の先――一部始終をすぐ近くで見ていた篠原と榊が、困惑した表情を浮かべて、無言で俺を見つめていた。
○-○
『一年一組の河野留美さん、一年一組の河野留美さん。至急、生徒会室に起こしください。繰り返します……』
……翌日の中休みにそのような校内放送が流れた時、俺には嫌な予感しかしなかった。
「河野、これって……」
「あぁ……、昨日の話、だよなぁ……」
篠原もその放送に不穏なものを察したのか、心配そうな口調で言う。
「なんかわかんねぇけど行ってくるわ。悪いな」
「ううん。いいんだけど……気をつけてね」
「あはは。何にだよ」
「……」
篠原の発言が可笑しくて、から笑う。
生徒会室への呼び出しに気をつけるようなことなどあるわけがない。
ここは学校で、生徒会といえばここの秩序みたいな人たちなのだから。
――けど、あの生徒会長は……なぁ……。
黒川神奈。
生徒会長。
危険。不穏。正体不明。
その感覚が全くないと言えば、嘘になる……。
呼び出される謂れもないとバックレてしまっても良さそうな気分ではあったが、素直に応じた方が後々身の危険が少ないような……
そんな物騒な考えが脳裏をよぎった。
「よっすー留美。なんだよー、さっきの呼び出しはー?」
廊下に出ようとしたら、榊が教室にやって来た。
「いいなァー留美は、生徒会室に呼び出しとかされて。オレも呼び出されてーよ」
「はぁ……?何言ってんだおまえ?」
「だって、生徒会長の黒川神奈って激マブじゃねー?オレ、あーゆー頭良さそうな女の人が超絶好みなんだよー!」
「……知らねぇけどさ」
こっちの気も知らずに榊は「いいなー」と脳天気なことを言っている。
なんか前にも聞かされたような気がするが、榊はあの生徒会長のファンなのだそうだ。
――榊はああいう女の人がタイプなのか。
何故このお気楽な性格であんな鉄みたいなクールビューティーが好きになるのかよくわからないけれど……。
――にしても、あの生徒会長は、そういう目で見れないだろ……。
たかだか一年先輩なだけだが、とても同じ高校生には見えない。
立ち居振る舞いも、纏う雰囲気も、言葉遣いも大人より凄みを感じることがある。
あれだけ見せつけられてしまうと、おいそれと“好き”とか言うのすら、俺には憚られる気分がするというか、それ以前に――、
――苦手だ。俺はあの人……。
なぜだかもうその意識が植え付けられて、拭えないのだった。
「てゆうか、おまえとダベってる場合じゃないんだって。早く来いって言われてんだから――」
「オレも一緒に行ってやんよー!」
「え?」
「留美、めっちゃ不安そう。顔とかポメラニアンみたいになってんよ。心配でほっとけねーって」
「そ、そんな顔――、……」
そんな顔なんてしてねぇ――と言いかけて、どうも榊は榊なりに俺を気遣ってくれているのだと気がついて……言うのをやめた。
よく見たら、榊はちょっと息を切らしている。いきなり教室にやって来たのは、榊も放送を聞いて、俺の様子を見にすっ飛んで来てくれたからなのだろうか……?
もしかしたらさっきの黒川会長がタイプだなんだという話題も、榊なりに俺の緊張をほぐそうとしてくれたのかもしれない。
「ねー篠原さん!篠原さんも心配でしょ?」
榊は肩越しに、俺の背後へ呼びかけた。俺が振り返ると、不安げな表情をした篠原がそこにはいて、「え、あ、……うん」などと榊の言葉に首肯している。
「んじゃ、篠原さんも一緒に行こ!留美、このまま一人にしとけねーじゃん?」
「う、うんっ。ごめん河野、私も、一緒に行ってあげるね」
篠原も本当はそうしたかったのか、妙に意気込んでそんなことを言い出し始めた。
いやいや、別に二人してそこまでしてくれなくても……。
榊や篠原がいたって、事態がどう転ぶってわけでもねぇし……。
――まぁ……嬉しいは、嬉しいけど……さ。
生徒会室の前まで来て、篠原も榊も一緒に入ってこようとしたが「そこまでしてくれなくて大丈夫だし、俺が怒られそうだからむしろやめてくれ」とお願いして、外で待っていてもらうことにした。
実際、二人がついてきてくれて、道中あれこれ話してくれていただけで、不安に満ちていた俺の気分は随分晴れた。
本当に、ここまでついてきてくれただけで、十分な励ましだったんだ。
「失礼します……」
ノックの後、中から「どうぞ」と声がかけられ、俺は恐る恐る生徒会室の戸を開く。
この学校に入学して一年ほど経つが、この部屋に入るのは今日が初めてだ。
――ガラじゃないけど、緊張する……。
ごくり、と生唾を飲み込んだ。
生徒会室の中は、整然としていて、いかにもといった空気だった。
机が並べられ、レターケースや書類棚が並べられた室内は、学校というより会社のオフィスのような雰囲気がある。
何かの行事の直前とかになれば、このオフィスに何人もの生徒会役員が詰めて、各種業務に追われることになるのだろう。
でも、今は短い中休みなので、室内にはほとんど人がいない。
室内にいるのは――、
「ようこそ河野留美。呼び出しなど掛けて申し訳ありません」
部屋の最奥――室内を見渡せるような位置にデスクを構えた生徒会長が、すっと立ち上がり、俺を迎える。
怜悧な印象。常人離れした、その気配。
「……どうも」
俺は、なんと言うべきかよく解らず、場当たり的なお辞儀を返すだけだった。
デスクの直近まで歩いていくと、反対側に小さな丸椅子が置かれていて、俺はそこに着席するよう促される。
俺が座ると、黒川会長も自分の椅子に腰を下ろした。
そして、気付いた。
無人の室内。二人きり。向かい合った椅子。
なんだか、この構図、取調室で尋問される犯人みたいだ……。
――ホントに大丈夫だよな、このシチュエーション……?
不安を煽られる。
「……」
この人の目が、苦手だ。なんでもお見通しみたいで、怖くなる。
目を合わせたくなくて、俺は視線をうつむけ、机の縁あたりをぼんやりと眺めていた。
「……成る程。やはり本当に普通の一般人のようですね。“彼女”が何故貴方などにこだわるのか、非合理的で理解出来ない」
「え?」
なにか妙なことを言われたような気がして伏せがちだった頭を上げるが、黒川会長は書類をパラパラと捲っているばかりで、特にこちらを見ていなかった。
――独り言か?
意味はよく、わからなかったけど。
「先ずは、昨日は災難でしたね。一応重ねて確認をしますが、怪我はありませんか?」
「いえ、特に……」
「では、金品の類を譲渡するよう恫喝、或いは強取される等の事態にも、至ってはいませんか?」
「大丈夫です」
「そうですか。それは重畳」
「あの……」
「何か?」
「昨日のあいつは、知り合いですから……。ちょっと変わったヤツなんですけど、生徒会長とかが心配してるようなことは、別に……」
「そのようですね。私立小倉北高校――通称北高の二学年在籍の塚本淳平。あまり素行の良い人物ではないようですが、最近は特筆すべき問題行動もなし、と」
「な――」
何気なくスラスラ言われてゾッとする。
塚本がどこの誰でどんな奴なのか既に調べがついていることにもそうだが、そうとわかっていながら俺に被害の有無を確認してくるなんて……。
カマでもかけてるつもりなのだろうか。
あそこで俺が、適当なこの場を凌ぐために適当な嘘話をでっち上げていたら、果たしてこの人はどんな反応を示しただろう……?
そう考えると、ゾッとした。
――包み隠さず正直に言った方が良さそう……だよな。
「河野は塚本とは友人関係と言いましたね。昨日は校門前で待ち合わせでも?」
「いや、昨日はあいつが勝手に来ました。特に約束もしてません……」
「成る程。今後は控えるよう厳命しておくように。害意はなかったにせよ、塚本のような風体の人物に校門前に居座られては、他の生徒が何事かと怯えてしまいますので。私の名前を出して頂いても構いません」
「はい。すみませんでした……」
一応謝る。塚本の連絡先なんか知らないので、言いようがないのだが。
「……河野は塚本と何時、何処で知り合ったのですか?」
「は……?」
「見たところ貴方は素行に不良学生的な部分は見られない。先程の話に反論せず、そもそも本日この呼び出しにも素直に応じている時点で、貴方は少なからず体制的な思考判断が出来る人間。入校時から成績が下降の一途を辿っており、二学期以降それが顕著であるという状況に一抹の不安は感じられますが、直ちに素行不良と断ずるものでもありません。彼等の縄張りである北区へ赴く機会も、あまり多くはないようです」
「え、え……?」
「そうなると、古典的不良とでも評すべき塚本淳平と、善良で体制的な気配のする貴方が、どのような局面で面識を得て、その後も交流を継続するに至ったのか、今一つ釈然としないものがありますね」
「…………」
「…………」
――な、なんだ?俺は何を聞かれてるんだ?
包み隠さず正直に答えていたら、妙な方向に話が進んでいる?
俺と塚本がどこで知り合ったのかなんて、何故この人がそれを知りたがるんだ?
昨日の件について詳細が知りたいのかと最初は思ったが、その程度、この人は既に知り得ている。
なんなら、俺の成績やら行動範囲まで把握している。
……何を聞きたい? 何を俺に言わせたい?
大体、この状況自体が、ちょっとおかしいような気がしてきた。
俺が不良に絡まれたとか、事件に巻き込まれそうになっていたとして、その俺と面談するのは先生や学校関係者ってのが普通じゃないのか。
けど、今この部屋には、先生の姿はない。
生徒会長とはいえ同じ生徒が一人で対応してるなんて、そんなことあるだろうか?
黒川会長の雰囲気が学生離れしてて、忘れそうになってたけど、生徒の一人でしかないこの人がそんなことまで学校からお願いされてるわけ……ない。
だとすると、この時間は、一体どんな意味が……?
「――ふむ、閃きました。貴方の有益な活用方法を」
「え?」
突然、得体の知れない事を言われて、顔をあげる。
すると、黒川会長がにこやかな表情でこちらを見ていた。
……少し、怖くなった。
なんだか営業スマイル的というか、今まで冷徹な雰囲気を出していたのが、急にわざとらしいくらいソフトな印象に変わったように思えて。
「失礼。今までの問いは私の個人的興味に基づく質問でした。言いにくい事柄でしたら答えずとも結構です。もう問題は解決しました。貴方と面前で会話すれば何か思いつくかと思っていましたが、予想通りだった。信じるべきは自分の機知と発想力ということですね、重畳重畳」
「…………」
沈黙に耐えかねたのか、黒川会長はこちらを安心させるような優しげな笑みを浮かべて、饒舌に何かを喋り始めた。
いや、この人に限って沈黙に耐えかねるなんてことはないだろう。
むしろ、俺に何かを吐かせるためならば、永遠に黙っていられそうだ。
――そうしないってことは、ホントに俺の様子を見たかっただけ……?
「河野留美、私が貴方を呼び出し、教師も立ち会わせず単独で面談のような真似をしているのは貴方を安心させるためなのですよ」
「安心……?」
俺が思わず復唱すると、黒川会長は鷹揚にうなずく。
その余裕ありげな態度は、昨日、または先程までのものと異なるように感じられた。
不安がる俺を本当に安心させようと試みているように見える。
「昨日の貴方と塚本淳平の一件は、生徒会役員の一人が偶然目撃をし、秘密裏に私に伝えてくれたものです。本件に関し、教職員の中で認知している者は一人もいません」
「……?」
「先生方の中で、貴方が他校の不良学生と交流がある事実、また、その学生が貴方を校門で待ち受けて他の生徒の下校を妨げるような真似をした事実は、誰も知らないということです。言うなれば、“私で止めてある”状態ということになりますね」
発言の意図がよくわからず、俺が首を傾げていると、会長は更に言葉を続ける。
「本来ならば生徒を代表する生徒会長たる立場の私は、いずれかの教職員に本件について報告する義務を負うところですが、それが事態を徒に肥大化させ、貴方の健全な学校生活を送る上での妨げになるようであれば、これ以上の対処は取らず、私の胸の裡に秘めておくに留める……と、こう言っているのです」
「……俺が今後良い子にしてたら、先生にチクらずにいてくれる、ってことですか?」
俺が一言にまとめると会長はふっと小さく笑んで、「その通り」と肯定した。「これから先、貴方が非行に走らず、勉学、交友等の学校生活を正しく営み、塚本淳平にも本件に関して厳しく言い含めてくれると約束してくれるのであれば、昨日の一件は私の権限において不問としましょう。貴方に悪い風評が立たぬよう対策も講じるつもりです。どうしますか?」
「あ、お、お願い……します……」
「ええ。承諾しました。知られたのが私で幸運でしたね、河野留美」
黒川会長はニッコリと笑って、手にしていた書類をくしゃくしゃと丸めて捨てた。
塚本と俺に関する何かが書いてあったものと思うけど、一般学生の俺にはどういう意味がある書類なのかはわからない。
……というか、本当にこの微妙に脅しっぽいやり取りがしたいがために俺を呼んだのだろうか。
他校の不良と仲良くしてた事は、先生にはバレてないから内緒にしといてやるけど、黙っててやる代わりに妙な事は起こすんじゃないぞ……、という念押し。
生徒会という立場にしては、柔軟な優しさとも言えるのか?
俺みたいな生徒一人に対してそんな対応してくれるなんて、さすが生徒会長とかやる人はマメだなぁ、とでも思うべきなんだろうか。
「……ッ」
――いや、多分そんなんじゃねぇような……気がする。
わからない。
これまた俺の第一印象に基づく偏見というか、勝手な思い込みかもしれないけど。
――この人は、そんな真っ当な事を言うためだけに、わざわざ個人と話したりなんてしない気がする。
俺は確信にも似た、そんな直感を抱く。
この人は、きっと怖い人だ。
理知的で、冷静で、口では優しいことを言って、こっちを安心させようと一応は笑顔を見せてはくれるけど、
……その目は、一切、笑っていない人だ。
目の前の事態に対処しつつ、その実、全然違う何かを見ている人だ。
――嘘だらけな感じのする人だな。
本音も本心も置き去りにして、何もかも、自分の思惑通りに相手を動かすためだけに言葉を口にしているかのような印象。
言葉の薄さ。かといって有無を言わせぬ圧力。
だからこそ怖い。
こんな平然と、冷静さを少しも崩さずに嘘をつける性質が、怖い。
嘘をつくことの危なさも、嘘をつくことの罪悪感も、この人は全部踏み越えていってるってことだ。
ちょっと嘘をつくかどうかで迷っている俺なんかとは、精神の強さが全然違う。
いや、俺どころか、誰と比べたってそんなメンタル普通じゃない。
……鉄の女。
まさにそんな風情だ。
ゾッとする。
もう関わり合いになりたくないな、と思った。
人付き合いをサボってきた俺だけれど、だからこそ直感するのだ。
――この人と関わると、何よりろくでもないことになりそうだ、って。
「失礼します」
帰ってもいいと言われたので、俺は立ち上がって背を向けた。
黒川会長はもう興味をなくしたのか、俺に対してそれ以上の追及も何もなく、既に携帯電話に向き合ってメールか何かを打っている様子だった。
何かを言い連ねられる前に、俺はそのまま退出する。
……生徒会室から、脱出する。
ガチャリとドアを閉めると、自然と「ふぅ」とため息が出た。
「留美」
振り返る。
本当に俺が出てくるのを待っていてくれたらしい篠原と榊が、壁にもたれてそこにいた。
「ピンチだったら、言ってね。私は、いつだって、河野の味方だから」
そう言って、篠原は優しげに微笑む。
嘘のない、本心から俺を思って、心配してくれている感じの、言葉と表情。
……そう信じられる。信じようと思える。
そんな篠原に、俺は――、
「――なーなー、留美」
と、篠原の横にいた榊が言った。
いつも通りの快活な雰囲気。だがどことなく真剣な面差し。
「オレだって篠原さんと一緒だよ。留美の味方でー、マブダチな」
「……あぁ、ありがとう」
「だからよ、――そろそろ、オレらにも何があったのか教えてよ」
榊らしいくだけた口調ではあったけど、有無を言わさない雰囲気がそこにはあった。
話せ、という。
今まで秘密にしてきた――語らずにおいてきたことを。
「篠原さんと喋って、聞こうって決めたわ。留美、オレも、篠原さんも知らねー話で、なんだかずーーーーっと悩んでるっしょ?」
「……おまえも、わかんの?」
「わかんよそんぐらい。親友だし。んでも、聞かずに黙っとくべきかなとも思って」
以前篠原には「お見通しだ」と言われたことがある。
その時も、篠原は「言いにくいことなら」と敢えて聞かずにおいてくれた。
「でもあんまりにもなげー悩みみたいだしさ。おまけに校門で変な人に待ち伏せられるし、生徒会長には呼び出されるし。さすがに気になる。ね?篠原さん?」
榊は篠原に目配せをし、篠原も「う、うん……」と若干遠慮がちに頷く。
篠原的には前に「深くは聞かない」と言ったものだから申し訳なく思っているんだろう。
それはそれで、ずっと気にはなっているからいい加減話して欲しいというのもよくわかったが――。
――流石に、喋らねぇわけにもいかないよな……。
廃車両のこと。そこであったこと。俺が抱えていること。考えてること。
これからの、こと。
「ごめんね、河野――でも、私も河野のこと、助けたいから……、だから――」
言うべきか言わざるべきか。
何をすべきか、どうすべきか。
本当は言いたくない。俺の有様も心情も、人に言うにはダサすぎて。
でも、この二人に、嘘はつきたくない。
落ち込んでた時に助けてもらって恩義を感じてるし、大切な友人だし。
どうするかな……。
――“選択”か……。
――お前はどうだ、河野留美? お前の人生は、よく知り、よく悩み、思考し、選択する機会に恵まれた、価値あるものとなっているか?
昨日言われた。意味深な無数の言葉の中から、そんな言葉が思い返された。
「――わかった。話す」
だからというわけじゃないが、俺はそのように“選択”した。
篠原と榊に、これまでのことを話す。
もう嘘はつかない。隠し事もしない。
それがどういう意味と結果を持つのかはまだわからないけど。
――俺一人でグルグル考え続けてるより、そうした方がずっと良い気がする……。
そう思ったからだ。




