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ブラパ THE BLACK PARADE [SCENARIO Ver.]  作者: 藤原キリヲ
SWEET REVENGE
18/21

EX.Inner Universe




 恐怖は、人を支配する。


 苦痛は人を屈服させる。

 挫折は人を臆病にする。


 絶望は、人を、弱くする。



 故に、俺たち人は、次々と現れるそれらを前に、選択をせねばならない。

 立ち向かうのか、逃げ去るのか。

 向き合って勝てる場合もあるだろう。無理と断じて背を向けるのもいいだろう。

 退くのか、戦うのか。

 自覚的に進まんとするならば、我等は選択せねばならない。


 だが、時としてその選択すら与えられぬまま、降り注ぐ事態も存在する。

 心の準備も覚悟もないまま、その猛威に曝されるしかない状況。

 撤退の選択肢などあるはずもなく、受け入れるよりほか無い。

 ……それはまるで、災害のように。

 災害。災厄。

 それが過ぎ去った後に、人はなにができるだろう。

 自己の行動を省みてみるのか。

 打ち勝つまではいかずとも、受けた傷を浅く済ませる展開はなかったものかと。

 そもそも、その場に居合わせた不運を呪ってみるか。

 いずれにせよ、既に済んだ話。無意味な行為だ。


 であるが故に度し難く、植え付けられた痛みは、病魔の如く人の心を蝕むのである。


 この状況を切り抜けるために、俺には再び選択が与えられている。

 選択。片方を拾い、片方を捨て去る行為。

 いかなる道を選ぼうとも、その決断は炎のように気高く、結果はすべからく尊いものだ。


 俺――塚本淳平(つかもと じゅんぺい)はそのように考えている。




EX.Inner Universe




 俺以下数名のチームと、フジノと河野留美の二人。

 山間に捨て置かれた廃工場にある廃車両を巡って相争った俺たちは、数ヶ月の時をおいて和解を果たした。

 所有権は彼等に譲るが、この快適な空間を享受してもよいとの認定を得たのである。

 俺たちが俺たちらしく、自由に振る舞える空間の獲得。

 それは達成感に満ちていて、ここ数ヶ月で最も清々しい気分だった。

 が、そんな快い気分も束の間の事。

 その帰り道。

 俺たちは災厄の化身に行きあった。


 その名を、中村亜美香。

 名うての不良どもの巣窟だった「北区」に現れ、全てを終わらせていった女である。



 荒事には多少慣れている俺たちにとっても、荷の勝ちすぎる相手。

 必然たる敗北。負傷する俺たち。とても立ち上がれない。

 無様に倒れ伏していた理由は全身に負った傷だけではない。

 心だ。圧倒的な暴力は、人間の心さえへし折るのだ――。


 完全なる敗北を喫した俺たちは、とりあえず各々怪我の治療等々に専念した。

 二ヶ月弱を経た現在となっては完治と言って良い状態まで復調した。

 だが、以前と同じように集まり、またあの廃車両に顔を出そうという気分にはなれなかった。

 せっかく得られた居場所だというのに、誰にとってもあの場所は中村亜美香と結びついてしまい、思い出したくもない記憶と成り果てた。

 故に俺たちはそれぞれ殻に閉じ籠もり、以前のようにつるみもしなくなった。

 仕方あるまい。心の傷は、身体ほど、簡単に治りはしないのだ。


 立ち向かう気力すら失わせるほどの畏怖。

 自分が弱者だと強く認識させるほどの暴威。

 中村亜美香が俺たちに向けた気迫は、本当にそんな感じだったのだ。

 この感覚――実際に相対し、屈服させられたことがある者にしかわかるまい。

 アレはそれほどまでに特異な存在だ。



 しかし、それはそれとして、一つ気になることがある。

 それは植え付けられた圧倒的な恐怖と絶望のせいで考えそびれていたことで、その感覚も薄れ始めた最近になって、ようやく俺は当初より抱いていたその疑問を再考している。

 中村亜美香。

 ……ヤツは何故、あの廃工場に現れたのか?


 問い自体はそのような単純なものだ。

 熟慮し、意味を見出そうとするほどのことではないのかもしれない。

 だが、何かが引っかかる。

 それは直感だとか、野生の勘のようなものだ。

 根拠などない。だが俺は、その違和感を看過しかねる。


 俺たちがあの廃工場を訪れた理由は、地元が近いからだ。

 存在自体は実際に訪れた去年の秋よりも前から知っていたし、いつか赴いてみたいと常々仲間内で話していたものだった。

 だが、中村亜美香はこのあたりの人間ではない。

 ヤツの住居は知らないが、北区の高校に通っていたようだし――どこかのタイミングで中退したようだったが――俺たちと最初に顔を合わせたのも北区だ。ヤツの活動領域は北区を中心にしてあると考えるべきだろう。

 北区と廃工場は、バスを使ってそれなりの時間をかけて移動しなければならない程度に距離が離れている。自然と行き着くには、少々遠い。

 そしてこれこそ俺の直感でしかないのだが、中村亜美香はあの廃工場の佇まいに情緒を感じて喜ぶようなタイプにはとても思えない。

 つまり、ヤツがあの場所を知り、実際に来訪するとなると、何がしかの契機が必要になるのではないか、とそう思うのだ。


 中村亜美香の口ぶりからして、興味の対象はフジノだったようだ。

 あの時も張が苦し紛れにフジノに関する話を差し出していたが、あながち的外れでもなかったと思われる。

 結果的には、中村亜美香はフジノについて既に知り得ていて、張の命乞いは空振りに終わり、俺たちはボロ雑巾のように叩きのめされることになったが。

 ……俺が最も引っかかっているのはそこだ。


 中村亜美香。お前は、一体どこでフジノのことを知り得た?

 フジノは滅多なことでは人里には訪れまい。まして、中村亜美香に存在を知られるような行動は取らないだろう。

 ということはつまり、何者かがフジノの情報を、中村亜美香に提供したということになる。

 ……それは誰だ?

 無論、俺たちではない。そんなことをする意味もないし、今更になって中村亜美香と関わり合いになりたいなどと思う酔狂な輩は俺たちのチームにはいない。

 俺たちがフジノたちと一戦交えた後に追い出された後、先日に和解が成立するまでの間に、あの廃車両を訪れフジノと接触したものは特にいないと聞いている。

 可能性があるとすれば、フジノたちとの交戦を機に俺たちのチームから離脱した遠藤祐希がいるが、祐希が中村亜美香にフジノについて話をする意味も俺には見出だせない。

 ……。

 となると、俺が全く知り得ていない、何者かが、存在している。

 それは、誰だ?

 そして、中村亜美香を呼び込んだ意味は、何だ?


 廃車両、フジノ、その周囲に蠢く、姿の見えぬ第三者。

 ――どうもキナ臭いな。どこか陰謀めいた気配すら感じられる。

 根拠はない。証拠もない。俺の思い込みにも似た直感だけの話だ。

 だが、俺の勘は当たるのだ。

 嫌な予感は、当たるのだ。

 結果はどうあれ、そう考えておく方が良いと、俺は考えている。


 無関係を気取るつもりはない。俺にできることは、あるはずだ。

 再起すべき時が迫っているのかもしれない。




「ようこそ、いらっしゃいませ」

 来客を告げる鈴が鳴り、俺は腰掛けていた椅子から立ち上がって、その言葉とともに慇懃に頭を下げた。

 味気のないジャージ上下に、店名――“古賀商店”と記載のあるエプロンを着用して。

 事務的な言動。子供の頃から仕込まれた動作は、俺の意思など無関係に、自然とその工程を履行させる。

 それをもって、脳内に渦巻いていた曖昧な思考は、強制的に中断を見る。


「おはよう、淳平ちゃん。今日も良い天気だねぇ」

「どうぞごゆっくり」

 入り口から俺に挨拶を向けるは、近隣に居住する老人――常連客ともいう。

 好々爺然とした風貌に違わぬ笑みでもって、老人は棚からいくつかの商品を手に取り、カウンターの俺の元へ持参する。

 俺は受け取った商品の価格を瞬時に計算し(幼少期からの刷り込みにより、個々の商品価格を全て暗記させられている俺は値札など一切見ずして合計価格を算出することが可能なのである)、もう片方の手ですばやくレジスターを起動、すぐさまピピピと入力を開始する。

 恐るべき演算能力……俺ほどに訓練された雑貨屋店員ともなれば、その仕事ぶりは最早スパコン並と言っても過言ではないだろう。

「280円になります」

「はいはい。じゃあこれね」

「毎度ありがとうございます」

 俺が作業の合間に効率よくビニール袋に詰めた商品を受け取った好々爺は、ふやけたような顔を終始崩さぬまま、退店していった。

「またおこしください」

 事務的な言葉により締めくくると、それによってスイッチが切れたかのように、俺は自然とカウンター内の椅子に腰を下ろした。

 身体に染み付いた店員としての機械的動作(ルーティーン)。

 エプロンを着用し、レジ前に立てば勝手に作用する精神構築(マインドセット)。

 ――これなるは正真正銘、日々の業務をこなす雑貨屋店員そのものである。


 いや、良い。自らの惚れ惚れするまでに完成された店員ぶりなどどうでも良い。

 なにか、大事なことを思考していたはずだ。

 ええと。確か……。


 そう。中村亜美香についてだ。

 かくして、敗北を喫し、負傷した俺は日常への帰還を余儀なくされたのだ。

 そして、ある程度怪我が回復した時点をもって、俺は半ば強制的に、実家である雑貨店の店番をやらされる羽目になった。

「うん。似合ってるじゃない。今までサボってた分、ちゃんと真面目に手伝いしなさいよね」とは、久方ぶりにエプロンを着用した俺に対する幼馴染の言(嫌味)である。

 そして俺に拒否権を発動する機会すら与えぬまま、俺の休日はこのようにして日がな一日、買い物客たる近隣住民(主として老人)たちの相手をすることで消費されていくことになった。


 かつての北区では一目置かれた不良チームの頭目として名を馳せていたこの俺が。

 廃工場という安息の居場所を得、信頼のおける仲間たちと新たなる冒険の日々に乗り出そうとしていたこの俺が。

 ――実家の手伝い!雑貨屋の店番などやらされている……!!

 屈辱極まりないとは正にこのことだ。

 これが、再起を企図する俺に、神が与えた試練なのだとすれば、なんと過酷――あまりにも過酷な試練と言わざるを得ない……。


「ようこそ、いらっしゃいませ」

 だが、俺の意思などとは最早無関係に、来客を告げる入り口の鈴がチリリンと鳴ると、俺は自然とその言葉を吐き出し、椅子から腰を浮かせてしまうのだった。

 嗚呼、悲しきかな雑貨屋を実家に持った人間の習性よ。

 俺はこの、あまりにも地域密着型で、土着的で垢抜けた要素など何一つなさそうな雑貨屋に受けた自らの生を呪い、そこから導かれる自分の人生の将来的退屈さに心底嫌気がさしたことから、自らを変革せんと不良の世界に出奔したというのに――、


「おはよう、ジュン。今日もちゃんと店番してんのね」

「ヒマしてると思って遊びにきてあげたよー」

 呑気な声がふたつ。

 鈴を鳴らして訪れた来客は俺の幼馴染たちだった。

 前を歩くがさつそうな女が樺島(かばしま)えり。後ろについてきた腰巾着みたいな男が吉津清(よしづ きよし)。

 幼少期――こうなる前から俺を知る、厄介な知人どもである。


「……またおこしください」

 こいつらは客ではない。そう認定した俺は染み付いた動作を意志力でもって中断(キャンセル)し、椅子に座った。

 本来の店番の手順と異なるタイミングで勝手に接客を終わらせたものだから、俺の肉体は戸惑うようにしてピクピク痙攣した。苛立たしい。


「ちょっと!まだ買い物もしてないのになんなのよその態度!」

「いちいち吠えるな。お前たちの冷やかしに構う心の余裕は今の俺にはないのだ」

「え?ウソでしょ。お客さん全然来ないじゃんこのお店」

「……その発言は当店に対する宣戦布告と解釈して良いのか?吉津」

 口煩さと減らず口の権化であるところのこの二人は、俺が何を言おうが聞く耳を持たず喋りだす。

 意思も都合も、お構いなし。田舎育ちに相応しい、おめでたい図々しさをしている。

 俺はこいつらのこの馴れ馴れしい感じが、すごく嫌だった。

 おせっかいで、賑やかで、俺が如何にシリアスに振る舞おうとも、空間を勝手に平穏な空気に塗り替えてしまうその気質。

 その……ぬるま湯みたいで、ふやけていくみたいな感覚!

 忌避すべき地元!


「怪我は治ったの?ジュン」

「ああ。なんとかな」

「不良やってたって喧嘩そんな強くないのに無理するからだよー」

「五月蝿(うるさ)い。そんな弱くもない」

「これに懲りて、もう危ないことやめてよね」

「そうそう。店番だってこんなに板についてるのにさー」

「……」

 この温かさこそが、俺を俺ならぬ田舎坊主に差し戻してしまいかねない危険性を帯びたモノであるにも関わらず。

 幼少からの付き合いであるこいつらと過ごす時間は、俺にとって生理的に自然で、穏やかで、心地よいものだから、ついつい揺らいでしまいそうになる。

 嗚呼、哀しきかな我が人なりし心根。俺が奥底にしまいこんだ田舎育ちの精神が、俺を無情になり切らせることを許さない。

 あれこれとやかましいのはもともと口数が多い方ではない俺を喋らせようという心配りなのだろうな、と気づくし、

 こうして客のいない機会を読んで遊びに来ているのも、俺が一人で退屈したりしないよう気遣っているのだろうな、と解るのだ。

 俺の良き理解者であり、平穏の象徴。

 それがわかってしまう。


 そういったこの二人の性質に、全く価値を見出さないほどには、俺は冷徹になり切れなかったようだ。

 このまま、こいつらの言うように、不良生活や、廃工場の冒険などもやめてしまって、このまま雑貨屋のせがれとして家業を継ぐ人生も、

 まあ、ダサいものではあるけども悪くないのかな、とかなんとか……、




 ――不覚なり、塚本淳平。己が大義を見失うとは。

 そう思いかけた矢先、俺の脳裏に声が響いた。


 ――忘れるな。貴様が得たものを。この得難き日常を切り捨ててまで守ろうとした物の存在を。貴様自身が課したその責務を、安穏にほだされたぐらいで、忘れるな!

 声の主は、俺だ。

 古賀商店のせがれとしての“生まれついての俺”ではない。

 不良チームの頭目、あいつらのリーダーとしての役割(ロール)を担っていた、“自ら意志を持って構築された俺”だ。


 そう。俺は、変わろうとし、変わった。

 垢抜けない田舎坊主をやめ、自分が思うクールでスタイリッシュな立ち居振る舞いを実践し、結果として今の俺が生まれたのだ。

 暗中模索、手探りで構築した人格は良くも悪くも異質で、俺の無意味に難解で意味深な言動は時として人を困惑させることもあったが、謎の大物感とでもいうのか、とにかく評価される機会も多くあったのだ。

 演技(ロール)は、成功したのだ。

 結果、不良の世界で実力を認められた俺のもとに、信頼に値する仲間たちが集った。

 張修吾、敷田孝宏、奥井譲、遠藤祐希。俺を慕って集まってきた彼等四人の中で、俺はリーダーとなる。

 彼等が不良という存在に成り果てた経緯は様々だが、共通して言えたのは俺ほどに強く信念を持って今の自分を実行している者はいなかったということだ。

 ――故に、導く必要性を感じた。

 俺のようになるわけではなく、彼等が自分を肯定し、不良などせずとも自信を持って自らの人生を歩んでいけるようにと、いつしか俺は願うようになり、彼等を支え、励ましてやりたいと思うようになった。

 思えば、この出会いの時点をもってして、俺は道を違えたのだろう。

 クールでスタイリッシュな不良――理想の自分は、その自分が行うべき当然の行為として、誰(・)か(・)を(・)救(・)い(・)た(・)い(・)と(・)思(・)い(・)始(・)め(・)る(・)。

 救済の志。それは、自分探し――自分作りという目的からの“逸脱”とでも言うべきもの。“暴走”とも換言できる。


 ともあれ、俺を頭と奉じてくれるのならばと、彼等の人生を良きものにしようと、俺は努力しようと思ったのだった。

 ……結果、かつての関係性は捨て置かれた。

 えりと吉津。家族と実家。それらに関わっている時間と余裕を、俺は持てなくなっていったのだ。


 そうして、再び戻り来た俺の日常。それに価値を感じぬでもない。

 だが、俺は、俺であったために得た仲間たちを、彼等を導くと俺が自らに課したその責務を擲(なげう)ってまで、この平穏に浸かりたくはないのだ。


 そして、先程思い至った違和感。

 中村亜美香を手引きした存在。廃車両を巡る邪悪な陰謀の気配。

 それを捨て置いたままにしておくことなど、塚本淳平の役割(ロール)が許すものか。




「えりよ、吉津よ。俺を案じ、励ましてくれたことについては感謝しよう」

 俺は、腰を下ろした椅子から、再び立ち上がった。

 接客をするためではない。決意をするためだ。

 邪魔くさいエプロンもついでに脱ぎ捨てる。


「だが、下らぬ茶番は今日で終いだ。俺の、俺たちの冒険は、まだ終わっていないのだからな――!」

 そうして、宣言した。再起を告げる、その言葉を。

 この二人に伝わらずとも良かった。理解されずとも良かった。これは俺の意思の問題で、その確認のために吐き出されたものだからだ。

 また困惑されようと、止められようと、構うものか。

 振り切って、捨て置くのだ。

 俺が役目を終えて、またこの日常に戻ってきた時まで、この二人が残っていてくれたなら、何かを返すことで詫びとすれば良い。

 故に今は、涙を飲んで、振り払わねばならない――、


「……あーあ、またジュンの病気が始まっちゃったよえりちゃん」

「そうね……、元気になったらまた始まるかと思ったてたら、思ってたより早く来たか……」

 俺の宣言を受けて、制止しようと騒ぎ立てると思いきや、二人は頭を抱えて呆れたような素振りを見せるものだから、俺は少しだけ出鼻をくじかれる思いを抱く。

「……」

 まあ、予定と違えど、俺には関係のないこと。

 こいつらが何を言い出そうと、俺は心を鬼にして切り捨てつつ、再び動き出さねばならないのであって――、


「ジュン、今度はあたしたちもついていくわよ。あんたがまたピンチになった時、すぐ助けられるようにね」

「そうそう。楽しそうなことやってんだったら、僕らも混ぜるべきだと思うぞー」

 ……そして、そんな、思いがけないことを、口にした。


「……、なんだと?」

 一瞬素に戻りかける俺の問いかけなど黙殺して、二人は店外へと歩き始めている。

 この二人の強引さは、俺がどう振る舞おうと無関係だというのか。

 日常にいても、非日常に向かっても、俺の言葉など無視して俺につきまとうと、この二人も決めたということなのか?


「……誤算だ」

 偏頭痛がしてきそうな感覚が俺を襲う。

 だが、少しだけ安心もしていた。今しがた心の奥底に封じ込めた俺の本心が。

 ――危険な目には遭わせまい。こいつらをちゃんと日常に連れ帰ろう。

 矛盾しつつもやけに自然に、そのような決意を抱く。

 まあ、導く対象と、超えるべき目標がいくつか増えただけだ。

 いずれにせよ塚本淳平の担う役割(ロール)には、何ら不都合はないのだから。


 兎にも角にも。

 これより、俺――塚本淳平の冒険を再開する。


 ――解明してやる。我が直感が探り当てた、未だ見えぬ陰謀の全容をな。

 今度は無様に終わらせはしない。その決意をもって。




     ◇ ◇




 廃工場の最奥。彼女が“創世神の塔(ティアマト)”と呼んだ建物内のとある一室。

 打ちっぱなしのコンクリートで構築された簡素な部屋。

 協力者として、黒川神奈に提供された廃工場における待機室である。


 そこに設置されたモニターが不意に起動し、彼女の姿が投影されたのを目にして、神奈は傍らで行っていた新作漫画の執筆作業を中断した。

 画面に映るのは、真紅の衣装を身にまとった少女――フジノである。


『……、……』

 深呼吸をするような気配。

 フジノは意を決したように、画面越しの神奈に対して、交流を図った。

『ごきげんよう、ミズ・ノーバディ。今日も良い天気ね』

 優雅に挨拶の言辞を告げるフジノの佇まいは、“彼女らしい”という点においては自然だ。

 だが、彼女をよく知る者にとっては気配に些かの硬さのようなものが感じ取れた。

「御機嫌ヨウ、フジノ。ソチラモ変ワリナク」

 神奈はボイスチェンジャーを装着してモニターの前に位置し、フジノからの接触に応じた。

 “誰でもない女(ミズ・ノーバディ)”――それは、黒川神奈が端末越しにフジノと接触するにあたり名乗る偽名(ハンドルネーム)である。

 姿の見えない、機械音声のみの存在が与える得も言われぬ威圧感。

 そうした存在を演じつつ、核心を突く発言を向けた結果として、揺さぶられたフジノは神奈にその正体を露呈し、結果的に神奈の手によって強固に生まれ変わることとなった。

 そうした経緯から、進化した再起を果たすきっかけをくれたことをフジノは深く感謝し、フジノから信頼を獲得したミズ・ノーバディこと黒川神奈は、以降も秘密の相談相手のような立場に収まることとなった。

 フジノはこうして定期的に、彼女の性質の根幹に関わるような、他の仲間に言えぬような込み入った話などをしに、神奈と接触を図れる端末の設置された部屋を単身で訪れていた。


「ソレデハ、本日モ始メマショウカ?」

『ええ……。お願いするわ』

 そうして、カウンセリングのような対話が始まった。

 神奈はミズ・ノーバディとして、質問を投げかける。それは何気ないものから、核心的なものまで様々だ。

「質問。フジノ、貴方ノ冒険ノ目的ハ?」

『決まっているわ。廃工場に設置された鍵を見つけ出して、創世神の塔を目指すのよ』

「デハ、ソノ“創世神の塔”ニ辿リ着イテ、貴方ハ何ヲスルノデスカ?」

『……その質問には、答えられない』

「次ノ質問ヲ。フジノ、貴方ノ冒険ノ仲間ニツイテ話シテ下サイ?」

『簡単よ。亜美香と、光明と、それに留美。三人ともとっても頼りになる。私にとって最高の仲間たちだわ』

「解リマシタ。ソレデハ、冒険デハナイ、プライベートノ友人ニツイテ話シテ下サイ」

『……その質問には、答えられない』

「デハ、貴方ノ家族構成ハ?」

『……その質問には、答えられない』

「ソウデスカ」

 神奈はその辺りで一旦、問答を打ち切った。

 この日以前にも何度か似たやり取りを繰り返してきて、フジノの性質に一定の理解が得られた。

 フジノは、関口藤乃という少女が実施する、演技(ロール)である。

 それは類まれなるリアリティを伴った、彼女の本質を少しも匂わせない程の完成度を誇っているが、端々に不完全な部分が散見された。

 先の問答にもあったように、フジノは予め回答が用意してある問いに対しては、いつもの流暢さで応じてみせるが、明確な回答を用意していない質問に対しては「その質問には答えられない」としか返答できない。

 警告メッセージのように吐き出されるその言葉を告げる時、フジノの顔はいつになく無表情だ。

 それは当然フジノとしての体面を保つこともできておらず、ロボットのように機械的に無機質に提示されるのみ。

 誤魔化しにすらなっていない誤魔化しでしかない。

 誰がどう見ても不自然であった。

 改造を施され、より強固に生まれ変わったフジノであるが、フジノにはそうした不自然なままにされている部分が、まだ数多くある。

 そうした部分に対する追及が繰り返されれば、フジノは仲間たちの前で、無様に機能不全に陥ってしまう危険を孕んでいるのだ。

 不自然な歪みを積み重ねた最果てには、藤乃にフジノを維持させることすら困難にさせる程の、瓦解が待つ。

 神奈によって改造される前のフジノにとって、その崩壊の決定打となり得るのは、彼女の元ネタとも言える“動物園ひかるの漫画作品”であった。

 改造の結果、その問題点を解消した現在のフジノは、以前よりも強度は増したと言えるが、致命的なモノを除いたのみで、崩壊の危険性は今もそこかしこに残存し続けている。

 一体何が彼女にとって、破局の言葉(ブロックワード)になるのかわからない。

 彼女を完全なるヒロインに昇華させようと目論む神奈にとって、それは捨て置けない、――課題だ。


「ソレデハ、改修ヲ開始シマス」

『ええ……、お願いするわ……」

「マズ、冒険ノ目的――“創世神の塔”ヲ目指ス理由ニツイテデスガ、コレハ――」


 故にこのやり取りには、フジノというキャラクターの完成度を測るテストのような意味合いがあった。

 神奈としては、フジノのそうした設定的に曖昧な部分を消化していくことが、彼女のヒロインとしての強度を高めることになると分析、理解した上で、“改修”の必要性を感じた。

 そして、質問を通じて発見した彼女の曖昧な部分について、設定を考案したり、フジノ自身にも再考させたりするなどして、次々と上書きしていく作業を始めたのである。


『プライベートなことについては……、その、どうしたらいいのかしら? 天涯孤独の生い立ちだとか、異世界の施設とかで戦闘訓練を受けた、とかの設定にするべきなの?』

「アマリ突拍子モナイ設定デハ、却ッテ仲間タチカラノ不審ヲ買ウバカリデショウ。現実ニ存在スルヒロイントシテ、然程脚色セズ、アリノママヲ語ルダケデモ意味ハアルカト思イマスガ」

『それは……平気かしら?安っぽく見えたりはしない?』

「ドウ見エルカハ、貴方ノ言イ方次第カト。フジノ、貴方ガ貴方ラシイ振ル舞イヲ崩サズニイレバ、平凡ナ性質サエ色ヅイテ見エルモノデス。大切ナノハ、不安ト自信ノ無サヲ悟ラセナイコトデス」

『……ええ、わかったわ。やってみる』

「ソレハ重畳」


 刷り込みのように行われるフジノの再設定を繰り返すことで、やがてフジノの強度は増していき、どのような事態にもスラスラと返答が可能なほどに強く、生まれ変わっていくことが見込まれる。

 フジノのロールプレイングはそうして更新可能なほどに質が高く、成長の可能性に満ちていると神奈は確信していた。


 ――この作業の反復により、フジノがどのようなヒロインとして完成され、それを具現する存在となるのでしょうか。そして、改修完了したフジノが繰り広げる冒険とは、どれほどまでに魅惑的で創作意欲を刺激するものとなり得るのでしょうか。


「フフ……」

 ――嗚呼、それを想像すると、柄にもなく期待に胸が膨らむ思いですね。




『ありがとう、ミズ・ノーバディ。あなたのおかげで、私ったらまた一つ、魅力的になってしまったみたい』

「ソレハ重畳」

 晴れやかな口調で感謝を述べるフジノに、神奈は普段の冷静さで返した。

 内心に秘めおいた思惑は、口調からは微塵も感じ取れない。


『ねえ……そういえば、ひとつ、相談に乗って欲しいことがあるのだけれど』

 おずおずと、彼女らしからぬ不安げな口調のフジノ。

 こと彼女の前においては、フジノのこうした態度自体は然程珍しくもない。

 選択に迷った時など、フジノは何かにつけあの部屋を訪れては、神奈に助言を請うてきたのだから。


『あなたのことだから知っていることかもしれないけれど、私の大切な仲間の、留美が……ブラックパレードから姿を消して、もう随分になるわ』

 沈痛な面持ちで語られた話題に、神奈はどこか鼻白んだ。

 河野留美の離脱。

 中村亜美香と仲違いがあった末の事だと聞き知っている。

 神奈がその事実を知り、実際に記録された動画によってその経緯を知ったのは翌日になってのことだったが、展開としては、言ってしまえば予想の範囲内といった印象だった。

 河野留美と中村亜美香。その二人の性質的な齟齬は当初より顕著であり、遠からず対立が生まれることは目に見えていたからだ。

 故に神奈は、留美の脱落自体は致し方のない結末といった風に認識しており、彼が失われたことでフジノの冒険に支障をきたす恐れがあるとは考えていなかったのである。

 そもそも、留美という少年自体がもたらす冒険への貢献度も、決して高くはなかったと神奈は評価していたのだから。


「残念ナ結果トナッタヨウデスネ。心中オ察シシマス」

 特別残念とも思っていなかったが、一応神奈はそのように述べた。

「今後ノ冒険ニハ、彼ノ助力ハ望メナイデショウネ。シカシ幸イナガラ、貴方ニハ頼レル仲間ガ残サレテイマス」

『……留美を、過去のものとして忘れろと言うの? 亜美香と同じことを言うのね、あなたも』

「フジノ……。過度ナ未練モ禁物デアルト具申シマス。中村亜美香トノ険悪ナ関係性ヲ回復サセ、冒険ニ復帰サセル労力ヲ割ク程ノ価値ガ、彼ニアルノデショウカ?」

『そういう言い方って、好きじゃないわ』

 フジノはきっぱりと、神奈の発言に抵抗感をあらわにした。

『能力とか貢献とか、そんなのじゃないわ。この冒険は、留美と一緒に始めた冒険なのだから、そんな簡単に切り捨てたりなんて、できるわけがないでしょう』

「……」


 言いたいことは、神奈も理解しないでもなかった。

 だが、現実として、留美の復帰とそれを実現させるための努力が費用対効果(コストパフォーマンス)に見合うものであるかは甚だ疑問である。

 留美と亜美香が対立を超えて信頼し合う仲間として再出発するビジョンは神奈には酷く非現実的なものに思えたし、留美の性格的に再び亜美香のいる廃車両に呼び戻すこともまた容易でないと思えたからだ。

 なればこそ、脱落者として潔く諦め、去る者は追わぬ方針を取ることが最も合理的ではないかと思ったのだが。

 ――フジノという構造の中には未だ河野留美が重要なパーツとして必要とされているというのでしょうか。

 神奈により再構築された上で、なおもフジノは留美を求めるのか。

 その事実に、神奈は少しだけ苛立ちのような感情を覚える。

 それは即ち、未だもって神奈自身がフジノを完全にコントロールしきれていないことの証左であり、彼女の核となる部分に組み込まれているのが自分ではなく河野留美だという純然たる事実だ。

 そして自身がプロデュースするヒロインがかくも非合理極まりない理屈を口にすることへの単純な不満もあった。

 あんな無能そうな男に、自分のヒロインが左右されている。

 悔しい。嫉妬にも似たその感覚。

 だが事実だ。認めたくはないが、認めねばならない。

 なにせ、神奈が改造を施す前の段階――フジノという存在そのものを最初に確立させたのは、“河野留美がかくあれと求めたこと”が最大の要因なのだから。

 河野留美は能力的には見るべきものは確かにない。

 だがその一点をもって、彼の功績が大であるという事実は、肯定せざるを得ない。

 ――仕方ありません。考えを改める必要があるようですね。

 いずれ簒奪(さんだつ)してやる。彼女の心の核となり、意のままに操作し得る資格を持つのは留美ではなく自分であるべきなのだから。

 そのように思考を切り替えることにした神奈。だが、

 ――フジノが河野留美なしでも安定するようになるまでの間だけでも、彼を廃車両に戻す必要性を検討しなければなりませんか……。

 考え始めてすぐに、それに割く労力の多さと、そんな興味の湧かないイベントの影響で冒険がなんとなく中断されているという事態に、うんざりするような気分にさせられる。

「デシタラ、貴方ガ貴方ラシイ方法デモッテ現状ヲ解決スルコトヲ試ミテミテモ良イノデハナイデスカ?」

 なので、神奈はアイデアをフジノに委託――要するに丸投げすることにした。

 何か思いつけば助言はしようかと思うが、現時点では建設的な自分好みの発想が咄嗟に湧いてこない。

『でも、一体どうしたら……。留美、電話にも出てくれないでしょうし』

「何ヲ迂遠ナコトヲ。通信ナドニ頼ラズトモ、貴方ノ行動力ヲモッテスレバ、彼ト接触ヲ試ミル事ナド容易イデショウ」

『あ……』

 ハッとするような顔をするフジノ。

 自分がいかにらしくないことを悩んでいたのか、どうすることが最適なのか、途切れていた考えが繋がったようだった。


『うっかりしていたわ。私ったら、留美の方からブラックパレードに来てもらわないと駄目だとばっかり思っていて』

 自信たっぷりの、にやりとした笑みを口元に浮かべるフジノ。

 その表情は、内心では既に答えを得ていることを示している。


 ――フジノは廃工場という異空間においてのみ存在する。

 別にそう決めたわけではなかったはずだが、なんとなくそのようなルールが設定され、フジノは廃車両に固定化されていた。

 フジノは基本的に留美以外の人間と接触を持たず、向かう足も外界ではなく専ら廃工場内の探索のみにあてられていたのだ。


 廃車両で待っているフジノを訪ねてくる留美、という構図がいつしか自然になった結果の産物かもしれない。

 はたまた、フジノに現在の有り様を求めた留美が、外界においてフジノとして振る舞うことを言外に嫌がったことが理由なのかも知れない。


 いずれにせよ、フジノは廃車両から出てはならず、廃工場以外の場所でフジノとして活動することは制限されていたと言える。

 だが、そうしなければいけない明確な理由などないのだ。

 全ては、河野留美という、フジノを形作るきっかけをもたらした少年が無意識に規定した、曖昧極まるルールに他ならない。

 事実、そうなる前――フジノが留美と最初に邂逅を果たした日には、フジノは“決闘”と称して、フジノを演じながら、平然と街中に繰り出しているのだから……。



『向こうが来てくれないのなら、こちらから会いに行くのが自然というものよね』


 かくして、フジノは、自らが定めたルールすら再規定し、外の世界へ踏み出す契機を得た。

 留美を取り戻す。

 亜美香とも和解させる。

 自らが望んだその結末を、自らの手によって呼び込むために。



 真紅なる彼女の冒険は、遂に廃工場の外さえも、その領域(フィールド)に含め始める――。





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