17.Three Cheers for Sweet Revenge
河野留美は、“冒険”がもう嫌になったのだと思っていた。
理由は今更語るまでもない。
幸いにして逃げ出した先の“日常”は、以前ほど退屈極まりない場所ではなくなっていた。
俺の認識が変わったのか。たまたま運が良かったのか。
篠原という幼馴染は相変わらず俺と友達でいてくれたし、榊という親友と呼べそうな相手とも新たに巡り会えた。
過ごす日々は楽しく、以前ぼんやり感じていたような不満――焦りにも似た苛立ちも、今は、特にない。
不思議な程に満たされている。
充実してるし、“これでいい”って思う。
――だってのに、俺はなんでいつまでも“あの日”のことばっか考えてんだ?
暴力に晒された日。為す術もなく逃避した日。
……疑念を、抱いた日。
それは過ぎたこととして忘れ去っても良い事柄のはずだ。
元々、日常とはかけ離れた、秘密の時間だった。
さながら白昼夢にも似て、醒めてしまえば跡形もない。
なかったような話。消え失せたところで、俺の日常に影響などない。
だってのに、ずっと、俺は考えている。
塚本は、「次は冒険の舞台で会おう」と言った。
冒険はもうやめたのだと俺は事情を説明をしたが、塚本は終始、俺が必ずあの非日常に戻ると確信しているかのような語り口だった。
……まぁ、あいつのことだし、俺の話など聞いていないか、聞いた上でなお自分の言いたいことを言うとか、そんな程度の話なのかもしれないけど。
ただ、その時、俺は、何かを思ったはずだった。
俺がどのようにしたいのか。
どうすべきなのか。
そのためには何をするべきなのか、を……。
俺の心が向く先――最も核心的な部分。
わからない。俺の本心は、何処にあるんだ?
結局の所、おまえは何がしたいんだ?
――あぁ、クソッ……考えがまとまらねぇ……!
俺は、廊下を歩いている。
篠原と榊を引き連れて、何処か落ち着いて話せる場所に向かおうと。
どうすべきなのか。そればかりを考えながら。
「ねーねー?さっき校門のトコで、すごいカッコした人見たんだけど」
「あ、それアタシも見たー。なんか真っ赤な服着て、髪とかこーんな長い女の子」
「そうそれそれ。なんかオーラとかすごかった……美人だったし」
「うちの生徒かな? あ、でも来賓用の腕章つけてた気がする」
「ホント、誰なんだろねー?」
道すがら、縁もゆかりもない生徒が交わすそんな会話が、何故だか耳に入ってきた。
前後の脈絡もなく、意味も知れないのというのにに、何故か耳ざとく受信したいくつかの言葉。
思考する頭では、内容を吟味するには至らなかったけれど――、
17.Three Cheers for Sweet Revenge
篠原と榊に、これまでのことを話すことになった。
この二人は、俺のことをよくわかってくれている。
本当に、俺なんかのことを、よく、わかろうとしてくれている。
――そんな二人に、俺は何かしてやるべきなんじゃないのか?
俺は二人に恩義を感じている。自分がつらかった時に近くにいて、楽しい思いにさせてくれた恩義。
だからその存在が嬉しく、ありがたく、俺は率直にそう思う。
……それは、まぁ、嘘ではない。
人と人とのつながり……、何かをもらって何かを返す――いわゆるひとつのギブアンドテイク。
これは、そういうのとはちょっと違うかも知れないけど……、でも、俺が嬉しいと、ありがたいと感じる相手には、俺からも何かしてやるべきなんじゃないのかと思うのだ。
“報いる”とは何も、金とかモノでお礼をしたり、その人の役に立つことをするだけじゃないのかもしれない。
こうして、心配してもらえてることを素直に受け止めて、心を開いて、信頼してやることだって……それは、何かを返すことになってるんじゃないか。
……そういうことを、まぁ、思わないでもない。
ガラじゃない、とも思うけど。
――でも、話すのかぁ……こいつらに……。
だが、そうやって綺麗事っぽい理屈で自分を納得させて、二人に廃車両とかの話をする理由づけみたいなことをしようとしている自分にも気付く。
つまり、気はあんまり進まないということだ。
“一人でグルグル考えるより人に話した方が良い”だとか、“隠し事を続けていずれ大きな嘘をつくような羽目になるくらいなら、今洗いざらい話した方が後々気楽だ”とか、そういう意味では納得しているのだが……。
この二人が大切な友人だからこそ、ダサいところは見せたくないし、俺の悩みに煩わせるのも申し訳ない気がしてしまう。
どう言おうか考えれば考える程、自分の抱えてるものの無茶苦茶さに頭痛がしてくる思いがした。
「さて……、そんじゃ何から話すかな……」
思考がまとまりきらないまま、裏庭――人気がなくて、落ち着いて話せそうな場所に到着してしまった。
校舎裏の、敷地の外れ……何もないスペースには、手入れが行き届いていない感じに木々が生い茂り、もう使われていない焼却炉のようなものが隠されるようにして置かれている。
歩いてきた方へと振り向くと、篠原と榊がこちらを見ており、更に先には校舎の屋上部分あたりを視界に収める。
誰も来る用事がなさそうな、忘れられた場所。
今はギリギリ休み時間内だが、休み時間内に当然話し終えるはずもなく、授業はサボる。
二人にもサボってもらうことになる。
榊はともかく、篠原には、ちょっと申し訳ない。
「ま、まず、そもそものきっかけなんだけど――」
少しだけ逡巡しつつも、俺はとりあえず切り出す。
二人に理解されなくても、ドン引かれようとも、知ったこっちゃない。
――こうなりゃ全部、なりゆき任せだ。
「篠原にはちょっとだけ喋ったことあんだけど、俺、去年の秋ぐらいに、山ん中をチャリで走ってたら、もう使われてない廃工場みたいなところ見つけてさ……そしたらそこに――」
――俺はそこにあった廃車両で、フジノと出会ったのだ。
出会って、決闘をしたり戦闘をしたり紆余曲折を経て、俺とフジノは友達になった。
そうして、二人での冒険が始まったんだ。
「フジノは、ちょっと変わったヤツで、ゲームとか漫画みたいなことばっか言ってるんだけど、強くて、格好良くて、色んなことを知ってるすごいヤツなんだ――」
――そんなフジノに俺は憧れて、フジノに見合う友達になりたいと思うようになった。
フジノと共にいることが嬉しく、楽しく、特別なことのように思えて、それに相応しい自分になりたいと。
成長の志。そんな思いが俺の中に生まれた。
そのために自分に何が出来るかを考え、行動しようとしてみた。
「年が変わったくらいに、廃車両に新しいヤツがやって来た。名前は中村亜美香っていうんだけど、こいつがまたすごいヤツで――」
――俺は自分がそんな特別じゃないってことを思い知った。
亜美香は強くて、光明は優れていた。
それに比べて俺は、平凡で無力だった。
無意識のうちにそれに気付いて、比べて、面白くない気分になって……、
同時期に色々と気になることがあった。
冒険に介入している存在の気配――感じた不安と不快感、違和感。
「で、2月の中頃……その、俺、フジノに言おうとしたんだ。何かがおかしいって。でも、その時の俺の言い方だとか、普段から出てたんだろうな――態度の悪さだとか、そういうのに、亜美香がキレて――」
――俺は、あらん限りの言葉で詰られて、殴られて……そして俺は、逃げ出した。
完膚無きまでの、完全なる敗北。今まで一度も味わったことがないほどの。
それは今までぼんやり感じていただけの自分の無力や不出来さをはっきり自覚させるのに、十分過ぎた。
そこから、今に至る。
「――――と、まぁ、長くなったけど、そんな感じだ」
改めて話してみると、話す前は思いもしなかった、意外なことに気付かされる。
当時の自分の考えの狭さ、行動の問題点、亜美香が怒った理由が、なんとなくだけど理解できたような気分さえ。
抱いていた自己嫌悪も羞恥心も、語ってしまえば最早どうでもいい感じになってくる。
亜美香や光明、フジノに対して抱いていた悪感情ももうあまり湧いてこない。
彼等がどんな人間かを篠原たちに話す俺の気持ちは、自分でも驚くほど平らで、冷静だった。
言語化することで思考が整理され、気持ちも落ち着いた気がした。
――要するに、喋ってスッキリしたってことか。
安易な話だ。
「なんつーか、その……悪かったな。今まで秘密にしてて」
喋り終えた今となっては、秘密にしていたことに果たして何の意味があったのかと思ってしまうぐらい、意味なんてなかった。
秘密を抱えることが、自分に何か価値を生むとでも思っていたのだろうか。
それはなんて、空虚で、無意味なんだ。
語り終えるまでの間、色々言いたいことがありそうな篠原も、普段から口やかましい榊も、言葉を挟まずにいてくれてた。
「……ううん。ごめんね、こっちこそ」
「なんつーか、大変だったなー、留美……」
どことなく歯切れの悪い様子でそんな言葉をかけてくれる二人。
なんとなく同情的な雰囲気――だが単に話を合わせるだけの安っぽい感じじゃなく、正直に俺の境遇を憐れみつつ、励ましてくれている感じがあった。
それは、嬉しい。
けど――、
――これ、二人にとっちゃ聞いたところで……って感じだよなぁ……。
喋りながら途中で気付いたことだが、この話には特にオチがない。
俺が亜美香を怒らせて、不満を抱えたまま冒険を放棄してしまっただけの話。
なんだかものすごく中途半端なところで終わっている感が強い感じだ。
二人のコメントしづらそうな表情を見てても、それが実感できる。
……俺は言うだけ言って気持ちが整理されてスッキリしたところはあるが、この二人にとって、この話は知るに値するような情報だったのだろうか?
「それで、さ――」
しばらくの沈黙の後、篠原が口を開く。
「――河野は、これから、どうしたいの?」
どこか戸惑うような、どこか悲しむような、複雑な感情をたたえた顔色でもって投げかけられたその言葉に、俺は思考停止しかけた。
――これから、どうしたいか?
考えていなかったわけじゃない。むしろいつも考えていた。
だというのに、それをこうして真正面から問われると、俺には返せる具体的な言葉が見つからない。
まとまらなかった考えがぐちゃぐちゃと寄り集まった混沌が、カタチを成さずに渦巻いているだけだ。
いや、本当は、わかってはいるんだ――確証が持てないというか、本当にそうなのか自分でも疑ってるようなところがあって自信が持てないというかで、上手く言葉にならないだけで。
漠然とある、気持ちとかは――。
「って……、榊?」と俺は、榊が妙な顔をしているのに気がついてしまう。
「えっ?いや、ヴェつに……。オレのコトは気にすんなよー」
噛んでるし。
篠原に問われて、俺が思考している間、榊はあらぬ方を向きながら口笛を吹くような素振りを見せていた。
わざとらしいまでに下手くそな、素知らぬ顔。
「ウソつけ。おまえなんか、ごまかそうとしてんだろ」
何かをわかっていつつ、敢えて口にしないかのような、そんな気配。
「なんか言いたいことあんなら言えよな」
「いや、言いたいことっつーか……」と榊はらしくなくごにょごにょする。「留美、篠原さんにどうしたいのか言われて、なんか止まったけど、オレからしたらどうしたいかなんて話の最中から丸わかりだったっつーかで今更なに言ってんの的な――ねー?」
「はぁ?」
「でも、オレが言うのも変じゃん。篠原さんが留美に聞いてんのにサ。だから、その、空気読んで黙ったワケ」
その黙り方が不自然過ぎて、結果俺に気付かれてる時点でもう無意味だが。
――ってか、俺がどうしたいのか、榊にはわかるのか……?
「はぁ」と不意に篠原が溜息をついた。こいつにしては珍しく、心底呆れたような脱力した吐息。
それはまるで、はっきりしない俺に業を煮やすかのようで、今まで知りたいのに聞かずにいてくれた期間にどれだけ気を揉んだのかを表現してる風にも見えた。
「河野、ホントにどうしたいかわかんないの……?」
「え、えっと……」
篠原の言葉に俺はらしくなく気圧されたようになる。
ってことはつまり、榊だけでなく篠原も、俺がどうしたいのかを、もう話の途中から察していたということか。
ちょ、ちょっと待て。考えを整理したい。
ここ最近色んなことをグルグル考えすぎてて、自分が何をしたいのか本当によくわからなくなってるのであって――、
「――河野は、その廃車両に戻ってフジノさんとまた冒険したいんじゃないの?」
……そして言われてしまうのだった。
気付いていつつ口にできずにいた、俺の本心に最も近いその言葉を。
――――途中で投げ出してきた冒険を、また再開したい。
それは言葉にしてしまえばあまりに単純な回答。
他の誰がどう思おうが、一般常識に照らしてどう映ろうが、すべて無視して、俺自身の恥とか体裁とかも気にしない、本当にむき出しの本心を言うならば、つまりそういうことになる。
俺は、榊との時間が楽しかった。
不思議と気の合う友人と過ごす、釣りやら登山やらのアウトドア。
それは廃車両で過ごした時間ともどこか重なるところがあって、思い出に浸るような気分だったからだ。
だから楽しくて、反面、物足りなくて、物寂しい。
フジノと繰り広げる冒険は、俺にとって思い出すだけで楽しい、輝くような時間だったということだ。
俺は、塚本の言葉が腹立たしかった。
あいつの中では俺はまた廃車両に戻るということが揺るぎない大前提としてあるような雰囲気で、その先回りし過ぎた発想に苛立った。
でも、それは、こっちの事情も心情も無視して自分の都合を話すあいつの言葉が、期せずして“冒険を再開したい”という俺の本心を言い当てていたからだ。
そして、俺がこの二人に話すことを躊躇した理由もわかった。
俺は、この二人が友達をやってくれて、俺のことを心配してくれているのをありがたいと、嬉しいと感じているのに、無意識下では懲りもせず冒険に出かけたいとかそんなふざけたことを考えていたからだ。
二人に恩を感じているのに、その二人を放置して廃車両に行きたい。
そんな、俺の身勝手さが申し訳なくて、罪悪感を抱きもする……けど、それは言った後の現在だから思うことであって、なんというか今更という感じだ。
言葉に出すことで思考は整理される。
思考の言語化は、俺の内心の混沌を無情な程に整頓した。
俺の身勝手な本心と、それに対して俺が自分で思う自己批判的な感想。
それがぐるぐる渦巻いて、俺は自分が未練たらしくて、考えの足りない馬鹿だという事実を包み隠していたのだ。
――やっぱり、そう、なんだな。
それでも、俺は、冒険をまだ続けたい。
それが、本音。
「あぁ。俺、もう一回冒険をしたい。中途半端なまま、終わらせたくないんだ」
一度投げた言葉は、取り返せないと、何かで聞いた記憶がある。
そのとおりだと、俺は今自分でやりながら実感する。
言葉は自分をどんどん感化して、自覚した気持ちは加速するばかりで、抑えきれない。
相手がどう思おうが、結果がどうなろうが、もう止まれやしないのだ。
俺が本心を自覚したことも、それを知って篠原たちが感じたことも、思うより以前には引き返せない。
それが正解だって間違えてたって、今更なかったことになんか出来ないのだから。
「俺、悔しかった。自分なりに色々考えて、思うところもあったのに、それを亜美香に黙らせられて、でも、ビビッて、言い返したりできなくなってる自分が」
そう、喧嘩じゃ勝てないなら、気持ちの面では負けたくなかった。
言い合いすらまともに出来ない弱虫だと言われるのが嫌だった。
言葉は、感化する。
亜美香に罵倒されたままにしておくのは、自分で自分を雑魚だと認めて、諦めてしまっているのと一緒だ。
自分が強いなんて自覚はないし、皆から認められる人間だとも思っちゃいない。
けど、ここで抵抗の一つも示せなかったとしたら……俺は亜美香が認定した通りの弱虫でしかなくなる。
ここで逃げたら、覆せない。
そしたら、弱虫のままだ。一生、ずっと、永遠に……。
――それは流石に我慢ならねぇ。
「だから俺、もう一回やり直したい。もう楽しいことばっかじゃねぇのも知ってるけど、今度こそ逃げずに最後まで、あいつの冒険に付き合いたいんだ」
だから、思い切りよく言葉にした。
色々恐怖や不安はあるけど、それを乗り越えさせるのも自分の気持ち一つだと思ったから。
心に迷いがあるのなら、それすら振り払ってしまえる強い思いになればいい。
それに乗せられるようにして、俺自身も強くなれたら。
――思いの力で、“あいつ”みたいに強くなれたら……。
――ピリリリッ。
と、話の腰を折るように、不意に無機質な電子音が鳴り響いた。
音の出処は俺のポケットの中――携帯電話からだった。
俺は、交友関係が少ない。
ケータイの電話帳に登録している連絡先は、両親と、今目の前にいる二人と、大賀と川村を除けば、もうひとりしかいない。
学校にいる間、両親は連絡なんてよこさない。
篠原と榊は今喋っているところだし、大賀と川村は授業中だ。
すると、この音を鳴らしたのは、残った一人しかいないということで――、
俺は、恐る恐るケータイを取り出し、画面に表示されたメールの着信を知らせるポップアップをタップする。
件名:斜め上を見て
内容:
留美がいつまで経ってもブラックパレードに戻って来ないから、心配でこちらから迎えに来てしまったわ。
この私が出向いたのよ。そろそろ、戻っておいでなさいな。
あなたが今いる学校――空に近いその場所で、待っているから。
あなたのフジノより
――な、なんだこりゃ……!?
まるで話を聞いていたかのようなタイミングで、フジノからメールが送られてきた!?
いや、そんなことより、もう迎えに来てる……?
俺は反射的にメールの件名――フジノからの指示の通り、“斜め上”へと視線を向ける。
「……あれは」
裏庭にいる俺から見えるのは、少し遠くに立つ学校の校舎――その上方、屋上と思われる場所に――、――学校という空間には何もかもおかしい、真っ赤な服と長い黒髪の人影が佇み、こちらに向かって手を振っていた。
……フジノだ。どっからどう見ても。
あの馬鹿。ついに学校にまで攻めてきやがった……。
しかも隠れる気も誤魔化す気もまるでない、あのまんまの格好で。
さすがにちょっとイラっとする。
けど同時に、“こうでなくちゃな”と感じている自分もいるのだった。
「悪いふたりとも、俺ちょっと行ってくるわ。今日はこのままフケちまうから!」
言い捨てて、俺は二人の間を抜けて、校舎に向かって走り出した。
あまりにも突然の行動――戸惑う二人の気配を背中越しに感じる。
けど、かまっていられない。
ごめん。今度ちゃんと、また話をするから。
仕方がないんだ。
俺を冒険に連れ出した張本人――何をしでかすかわかったもんじゃない奇想天外女が、とうとう俺の学校にまでやって来ちまったんだから。
――放っておくなんて、できるわけねぇだろ。
それは確かにそうではあるけど言い訳のようでもあって、本当のところは例の如く。
加熱し、加速した心がはやって、自分じゃとっくに制御不能なだけだ。
◇ ◇
これまでにあったこと、を話し終えた時、河野の携帯電話にメールの着信があり、それを読んだ彼は突然どこかに走っていってしまった。
まだ授業中の中庭には、私――篠原雛と榊くんの二人だけが残される。
話の途中……という程でもなかったけれど、なんだか唐突に話を終わらせられてしまったものだから、私と榊くんは少し驚いて、ぽかんとしてしまっていた。
「留美、どっか行っちゃったね」と榊くんが言う。
彼らしい率直な感想に、私はただ「うん……」と返した。
戸惑いは、ある。
ただ、なんとなく河野の行動に、私は納得したものを感じてもいた。
河野が語った、これまでにあったこと。
私にとっては、今まで彼の口から断片的に語られていたことが、一本の線につながるような感覚で、理解が進んで素直にスッキリした気分ではある。
この半年間ぐらいの間、河野がフジノさんという人と出会い、廃工場で遊んでいた中で感じていた色々なこと。
河野を昔から知る私としては、河野らしい――などと一言で片付けたら河野は怒るのかもしれないけど――ことを色々考えていたんだなあという、感覚。
快活そうに見えて、その実、後ろ向きで、悩みがちなところがある河野。
かと思えば斜に構えて無気力そうなことを言いながらも、意外と負けず嫌いな面もある河野。
両立し得ないいくつもの思いを抱えて、整理しきれない苛立ちとともにある。
そういう彼を客観的に見てきた私としては、彼の行動や、考えが、決して不自然なものではないと理解はするのだが……。
「ねー、篠原さん」と榊くんが声をかけてくる。
「なに?」
私が返事をすると、榊くんは少しだけ真面目そうな顔つきで口を開く。
「篠原さんさー、“留美がまだ冒険したりねー”的なこと言ってあげてたけど、ホントは留美がまた、その……フジノちゃん?と冒険しに行っちゃうの、あんま乗り気じゃないんじゃないのー?」
「そんな、こと……」
そんなことはない、と言おうとして、私は言葉に詰まった。
ということは、少しはそんなことはあるのだろう。
――篠原雛は、河野留美に冒険になんか行ってほしくはない。
河野は今日、私たちに促されるカタチで本音を口にしたけれど、私の本音は彼に伝えていない。
口にしなかった理由は、色々ある。
本当はそんな得体の知れない子と、高校生にもなって廃工場で冒険……なんて、そんな子供みたいな遊びしてるくらいなら、私と一緒に遊んだりして欲しいという思いもある。
でも、私の希望を一方的に伝えて彼のやりたいことを邪魔したくはなかったし、昔――出会ったころみたいに、冒険とか言って楽しそうにしている彼の姿にも私は快さのようなものを感じていたから。
矛盾している。だから上手く言葉にできない。
「そうだね……、でも、止めたりなんてできなかったよ」
私はかろうじて、榊くんにそんなことを返した。
本当はもっとちゃんと話し合いをして、行くのをやめてもらうよう説得をしても良かったのかもしれない。
行くのは止められないにしても、ちゃんと帰ってくるなり、私ともたまには遊んでもらうなり、条件を付けるぐらいしても良かったのかもしれない。
でも、自分の本心に気付いて、決心して――戸惑いながらも、振り返ることさえせずに駆け出していってしまう河野の背中を見ていたら、なんだか全て言い出せなくなってしまった。
私にとって、河野は子供の頃からずっと、そうやって冒険をし続けているのだ。
彼は私を色んな冒険に連れて行ってくれたし、私はそんな風に手を引いてくれる彼のことが好きだった。
だから、今の河野も、心ゆくまで冒険をしたいっていうのも、理解できてしまう。
……だから、止められなかった。
「子供の頃……小学生の時だったら、私も一緒についていけたかもしれないけど……、でも、私たちだって、大きくなってくし、もう高校生なんだよ?」
私なんかが、年甲斐もなく……とか言うのも変だし、河野自身はどう思っているのか知らないけれど。
私に限って言えば、もうあの頃のように、無邪気に遊んでいるばかりではいられなくなってしまった。
そうする彼が原点であるのは理解できるし、そんな彼も決して嫌いではないけれど、そうする以外に彼としたいことが今はたくさん思いついてしまうから。
――だから、ついていくことは、できない。
フジノさんみたいに一緒に冒険したり、あの頃みたいに連れて行ってと頼むことも、もうしたくない。
「だから、河野が行っちゃうのは、もうしょうがないんだよね……。いつか、河野がちゃんと無事に帰ってきてくれたなら、それだけで、いいのかなあって……ね」
叶うなら、なるべく早く。
彼の心が、まだこちらに残っているうちに。
――でも、たまには帰ってきて、私とも遊んで欲しいなあ……。
諦めるわけじゃない。
だから、そう思う気持ちだけは、捨て去れなかった。
「そっか」と榊くんは短く言った。
いつもの賑やかな雰囲気は抑えて、ただ何かを察してくれているかのような。
榊くんは、結構鋭い。
河野は榊くんのことを「何も考えてないアホだ」とか言ってばかにしてるけど、私から見れば彼は河野なんかよりずっと人の心を汲み取るのが上手だと思う。
だから気難しい河野にも合わせるんだし、男の子だけど河野と同じぐらい私も安心して話せる。
榊くんみたいな人が河野と友達になってくれて良かったと、私は思う。
――ばか。なにその上から目線?何様だろ、私……。
友達の長さは一番の私だけど、このとおり、河野の行動になんにも影響を与えたりできないっていうのに……。
「よっしゃ、じゃー篠原さんのために、オレがなんとかするっきゃねーよな」
私が自己嫌悪していると、榊くんは突然そんなよくわからないことを言い出した。
「なんたってオレ、留美とマブダチだからさー」
河野が何かを決意するのと同じタイミングで、榊くんも何かの決意を固めたらしい。
それがどういうことなのか、この時の私にはまだよくわからなかったけれど。
◇ ◇
屋上へ向かう。
授業をサボって裏庭にいた俺は教師に見つからないようひっそりと校舎に戻り、屋上を目指して進む。
緊張からか、異様に心臓がドキドキする。頭も痛くて、冷や汗が滲む。
現実離れした感覚の中で、思考が巡っていく……。
榊というヤツは、自分が今まで交流を持ったことがないタイプの人間だ。
フジノもそうだ。亜美香も。光明も、そう。
……というか、よく考えたら俺は深い付き合いの友達自体ほぼいたことがない。
学校でも一人でいることが多かったし、放課後一緒に遊びに出かけたりする相手もいなかった。
いや、いたのかもしれない……けど、覚えてなかった。覚えてるのはいまだに同じクラスでい続けている篠原ぐらいなものだ。
今のクラスでたまに話す、大賀とか川村も、学年が変わりクラスが別になれば、関わりなど消えてしまうかもしれなかった。
ずっと近くにいた篠原のことも、もしかしたら、いずれは――、
環境が変わり、交流が失せれば忘れ去る程度の関係性。
ちゃんと交流を持ったことがないタイプとか言うなら、全人類ほぼ全てがそうなってしまう。
そんな風に、人との関わりそのものが希薄だった俺にとって、フジノも、亜美香も、あと榊も、きっと刺激が強すぎた。
あいつらはみんな、“常識”からすればちょっと変わってる類の人間という印象だ。
けど俺は、フジノとはそれなりに仲良くやれていた。
榊とも、不思議な縁で友達になり、今じゃ毎日飽きもせずつるんでいる。
だからつまり、“ちょっと変わってる”“変人”“不良”――そうした一部分の要素だけをもって、その人が即座に俺とは仲良くできないと決まるワケじゃないということだ。
俺はそういう連中を見たら、仲良くしようともせず、むしろ反射的に避けようとしていたところがあるんじゃないのか?
“自分が普通なつまらない人間だから、変わり者の連中とは合わない”と決めつけをしていたところがあるんじゃないのか?
それは先入観。偏見。勝手な思い込みに過ぎない。
遠慮に見せた拒絶。謙虚に見せた侮蔑。
否、それすらも自己弁護なのか……。
友達になれるかどうかってのは、相手の性質がどうこうよりも、いつだってそういう“認識”にとらわれがちな俺の性質に問題があるってことなのかもしれない。
普段、クラスで目立ってるヤツらは毎日が楽しそうで、自分と全然違うから、怖くて、妬ましくもあって、嫌だった。
街で見かける不良も怖くて近寄りがたく、殴られるんじゃないかと思うと目すら合わせられなかった。
第一印象に基づく気後れと恐怖があって、彼等が内心で抱くものが何なのか、それは自分が共感し得るものなのか、そんなこと知ろうとすらしなかった。
だから俺は今まで、自分と似たような感じの人間としか関わってこなかった。
俺が今のクラスでよく一緒にいたのは、教室の隅で寄り集まって、ゲームとか漫画の話をするばっかりの大賀と川村っていう二人組だ。
なんで仲良くなったのかは、よく覚えていない。多分向こうから話しかけてきたんじゃなかったかと思う。
あいつらは、別に悪い奴等ではない。人畜無害という表現がピッタリくるような、いたって善良な連中だ。
ただ、それが人間的に魅力的だったり、誰もが重要視する有能さと結びついてるかというと……申し訳ないけど、違う、と思う。
そしてそれは自分に対しても、同じことが言えるのだろう。
俺が普通でつまらない人間なのは、そうした人間関係の帰結とも言えそうだ。
ちょっと頑張れば誰とだって仲良くできたかもしれないのに、今まで人付き合いに努力を割かず、無意識に逃げ回ってばかりだった結果がこのザマだった。
俺は、学ばなくて知識もない、習わなくて強さもない、中途半端で不勉強な人間なのだ。
それを思い知った。
亜美香も、光明も、俺にないもの、強さや、知識をたくさん持っていた。
それは彼等が彼等なりの人間関係と人生経験を経てきた結果形作られたものだ。
フジノはそんな彼等の有用さを見抜いて、評価したし、彼等もフジノを評価した。
俺はそんな彼等の有能さが、眩しくて――自分と比べるのが怖かった。
フジノは自信に溢れてて格好良くて、喧嘩も強いし、逆境にも挫けない。
彼女は俺が知らないことを色々と知っていて、いつだって俺を導いてくれていた。
それはフジノがそうありたいと思ってやってるからってだけかもしれないが、そうあることで、俺という人間との交流は上手くいっていた。
俺は彼女が“素敵”だと思ったし、だからこそ助けたいと思ったんだ。
最初の争奪戦だとか、俺のズルとか、とことん付き合おうと決めたことなんて、きっかけに過ぎない。
彼女を知れば知るほど、彼女の人間を俺が好んだから、俺は彼女のために何かしたいと思うようになったんだ。
……とはいえ、結局俺は何一つ報えていなかったわけだけど……でも、そう思えた心の在り方自体は、正しかったんじゃないか……と、思う。
“切磋琢磨”って言葉、あるよな。
仲間同士で励まし合って、向上し合うみたいな意味の。
学校では校長先生が朝礼とかでよく口にしてる言葉だから、お行儀良すぎて抵抗感ばっかりあったけど、人間関係って、つまるところそういうところが大事なんじゃないのか。
まぁ、そればかりになったら、打算的過ぎて味気ないかもしれない。けど、そういうのが全然ない……単に居心地が良いだとか、愚痴の言い合いばっかりやってるだけの交流に、なんの意味があるっていうんだ。
……そんなことを、最近ふと思った。
榊と一緒にいて、榊と喋っていたら、気がついたのかもしれない。
俺は榊と喋っていてなんだかんだ楽しいし、榊も楽しいと言ってくれている。
榊は俺に色んな事を質問してくるけど、俺も榊から色んなことを教わってる。
それこそ支え合いだし、切磋琢磨ってヤツだと思うし、これからもそういう関係性でありたい。
そしてこれは先生とかが口にする耳障りの良い綺麗事じゃない。
普通にみんなが自然とやってる仲間同士の、交流だ。
わかってるやつは教わらなくても大事さを理解して、勝手にやってる。
……そしてそれは、時には痛みや苦しみを伴うことも、ある。
相手の優秀さ、有能さを前にした時、自分より優れたそれを眩しいと感じてしまう、その辛さを乗り越えられるか。
時として起こる意見の食い違い、その過酷な対立を逃げずに立ち向かってやり合えるか。
自分にないものを持つ相手を嫉妬するだけで終わらせず、敬意を持って受け止めることができるかどうか。
仲間であり続けるにも、そんな努力はやっぱり必要だ。
何気なくそんなことに思い至ってしまったから、それが全然できていなかった過去の自分を悔しいと感じているんだ。
廃車両に行かなくなって、もう一ヶ月近くになる。
最初は、ショックと激情と自己嫌悪で、あまりちゃんと考えられていなかった。
榊とつるみはじめてからは、毎日が騒々しくて楽しくて、敢えて考えたりせずに済んでいた。
そんな日常に馴染んできて、気持ちに余裕と冷静さが生まれてきて、俺はまた、あの“非日常”のことを、考え始めている。
いや、今までもずっと考え続けてはいた。心の奥底のような部分で。
やはりどこか、納得しきれない部分があって。答えを出し切れていないような気分があって。
――このままでいいのだろうか?
いや、それはちょっと違うか。榊と仲良くなって、毎日遊んでいて、日常が退屈でつまらないだとか、自分が嫌になったりする機会はなくなったのだから。
俺が考えているのは、そう――廃車両での出来事を、このままなかったことにしていいんだろうか。そういうことだ。
亜美香に殴られて、言いたい放題言われて、手も足も出せずに逃げ出した自分。
――あいつは、なんであんなに怒ったんだろう。
これも一ヶ月の間に何回も考えたことだ。
――俺の「頭がイカれてる」って発言に腹を立てた?
いや、違うんだろうな。
時間が経って冷静になってくると、自分の何が悪かったのかとか、何を言い返せばよかったのかとか、そういうことが徐々にわかってくる。
……亜美香は、多分、俺に反発されたことだけじゃなくて、俺の「おまえと会話してない。する気がない」って感じの言い方に、ぶん殴りたくなるぐらいムカついたんだ。
あいつだって色々不満とかを飲み込んで、それでもどうにか俺とも仲良くなろうとしてた。けれどもそれに全然応えない俺の反応がとにかく退屈で、つまらなくて、寂しかったから、あんなにも怒ってたんだ。
あいつなりに仲良くしようと努力してくれていたのに、仲良くする気がない俺。
俺の態度の原因は、あいつに図星を指されたようにフジノを取られたみたいな悔しさだとか、亜美香の暴力的な雰囲気に対する気後れだとか、俺の感情の部分で色々あるっちゃあるけれど、だからといって――、
相手にされないってのは、理由がなんであれ、イライラする。
それは、俺自身がこれまでの人生全部で十分すぎるくらい、体験したことだ。
格好つけて斜に構えてたらクラスで浮いて、結果みんなから疎まれていった、痛々しい嫌われ者の、小学生の頃の俺。
人と関わるのが億劫になってクラスの隅で黙っていたら、当然のように誰も関わってこなくなった、静かすぎて空虚な、中学生の頃の俺。
――人と関わりたいとは、いつも願ってはいる。
――けどそれが上手く行かなくて、いつも悩み苦しんでいる。
そんな、生きにくい人生だったな。
それが嫌だったから、このままじゃ良くないと思ったから、
――俺は変わりたいと思った。成長を願った。
そして、フジノと、廃車両と、冒険は、
それらは、俺がそうするための絶好の機会であって――、
「……そうだ、俺は――、」
もう終わらせてしまった俺の冒険――あの頃の非日常について、俺は懲りもせず、ずっと考え続けている。
もしかしたらまだやり直せるかもしれない、という期待も含めて。
――バカだな。俺……。
そしてその都合の良さに辟易するも、裏返せば、そうあることを望んでいる自分がいることにも気がつくのだ。
俺は、やり直したいんだ。
フジノともう一度会いたい?亜美香と仲直りしたい?
いや、何より自分自身のためだ。
それらを達成できる、人並みに強い自分自身でありたいと、俺は多分、願うのだ。
◇ ◇
胡乱な思考の傍らに、校内への潜入は無事達成され、気付けば屋上へとたどり着いていた。
時間はまだ授業中。ほとんどの生徒が教室に入って授業を受けているため、廊下や階段は人気がなく、驚くほどに静かだ。
そんな中、俺は授業をサボって校内をコソコソ移動し、普通の生徒ならまず用がない場所――屋上への扉を開こうとしている。
先程の生徒会室に続き、屋上へ出るのも初めてだ。
日常の舞台である学校にだって、未知の場所なんていくらでもある。
漫然と過ごす限り、足を踏み入れずに終わってしまう場所――そのうちのひとつに立つ現在の自分は、その領域に至る程度には行動を起こしたのだと認められているかのようだ。
他の部屋より重い気がする鉄扉を押し開くと、高所らしい涼やかな風が吹き抜けていく。鼻腔をかすめていく、草花と土が混じったような、春の匂い。
空に近い、広々とした空間の中に一人――異様なほど目立つ衣服の彼女が、以前と変わらない堂々とした佇まいでそこにいた。
――やっぱ見間違いじゃ、なかったか……。
こんな変な格好、間違えようもないが。
以前の黒い服ならまだしも、今の赤い服は日常の中では突飛すぎる。
「フジノ!」
「久しいわね、留美」
俺が呼びかけると、フジノは振り返りつつ、優雅に髪をかきあげてそう応じる。
一ヶ月ぶりに相対する、まごうことなき……フジノだ。
「おまえなぁ……どうやってこんなところまで来たんだよ?」
「甘く見てもらっては困るわ。私に不可能なんてないのよ」
ちっちっと指を振るフジノだったが、その腕には「来賓」と書かれた腕章が付いている。
ということはつまり、こいつは忍び込んできたわけではなくちゃんと校門で受付をして正規の方法で中に入ってきたということだ。
フジノともなれば、この学校に来賓として招かれることだってある……とでも言いたいのか?
――って、んなわけあるかよ!
脳内で自分にツッコミを入れる。
来賓ってのは本来なら、入学式とか卒業式とかの学校行事で祝辞を言うのに登壇するような偉いお客さんとかを示すのであって、こんなワケのわからない女にその腕章が貸し与えられるようなことはないはずだ……。
「どこで盗んで来たんだよその腕章」
「失礼ね。これはちゃんと昇降口の受付で渡されたものよ」
「ウソつけ。おまえみたいな怪しいヤツがそんな堂々と入ってこられるわけねぇだろ」
「留美を連れ戻しに来た、と言ったら何の滞りもなく入校の許可が下りたわ」
「ウソつけ!!」
「本当なのだから仕方ないわ。私はこの学校が認めた正当なる賓客ということなの。この腕章を着けていれば、立ち塞がる全ての障害が平身低頭道を譲ることでしょうね、ふふ」
「ふふ、じゃねぇだろ!おまえは水戸黄門かなんかか!」
来賓用腕章にそこまでの効果があってたまるか。
機嫌よく笑いながら相変わらず力任せの嘘ばっか言いやがって、ホントにどういう手段を使って入校してきたんだか……。
「元気そうで何よりだわ。留美」
「おまえも……、相変わらずだな」
「ええ。重畳重畳」
腕を組み、満足気に頷くフジノ。
久しぶりに目が合って、相変わらずドキリとする。
吸い込まれてしまいそうになる、星のような輝きを宿したその瞳に。
授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
普段教室や廊下で聞くその音は、屋上で耳にするとまた少し違って聞こえて、自分が普段と違う場所にいるのだということを実感させた。
休み時間になったが、俺は本来なら自分がいるはずのない屋上に、いる。
本来なら学校にいるはずのなに、フジノと。
「てゆうか、俺の学校までわざわざ来るなんてビックリすんだけど……」
「あら、何を驚いているのかしら?」
「いや、おまえって廃工場の外でも変わらずそのカッコなんだな、と思ってさ」
「おかしなことを言うのね。これは私の私服よ」
「まぁ、そうなんだけどさ……おまえが廃工場以外の場所にいるのが違和感あるっつーか……」
「私がブラックパレードから出てはいけないなんて、そんなルールなどなくってよ」
「確かにそうだけど……」
実際、俺と初めて会った日もフジノは俺と一緒に普通に北区までバスに乗って行ったりしていたわけだし。
ただなんとなく、フジノは廃工場以外の場所には行ったりしないものだと、そんなイメージが染み付いていたのだ。
――職質とかされねぇのかな……?
されてもこいつなら平然とかわしそうではあるが。
「さて、世間話も楽しいけれど、そろそろ本題に入らせて貰おうかしら」とフジノが俺に向き直る。「留美、いい加減そろそろブラックパレードに戻ってきなさい。また私と一緒に、冒険をしましょう」
「……、……」
面と向かってそう言われ、体が強ばる。
つい先程、冒険を再開すると決心したはずなのに。
――ってか、俺が決意してからフジノが現れんのが早すぎなんだよ……。
メールが届いたのはまさにその瞬間のことである。たまたまなのだろうが、図ったようなタイミングの良さだ。
「戻るのは、まぁ、そのつもりではあったんだけど、さ」
こうなれば腹をくくるしかない、と返事をしてみるが、整理されていない言葉は何とも歯切れの悪いものになった。
だというのにフジノは「本当?嬉しいわ」と喜んでいる。口調は平坦で、表情もあまり動かないが、だからこそいつもの彼女だ。
「でも、まだちょっと怖い……っていうか」
「怖い?」
恐怖、不安、緊張感は尽きない。
亜美香と、光明と、俺は今更どんな顔して話せばいいんだろうか。
正直言ったら、もう少し考える時間が欲しいが、選択を迫られている。
昨日は塚本、今日はフジノ……選択ばかりだ。
何か大事なことを選ばされてばかりいる気がする。
「留美はもう、冒険が嫌になってしまったの?」
「……嫌ってことは、ねぇけど」
「けど? どうしたのかしら?何か気になることでもあるの?」
「いや……」
察しが悪いのかとぼけているのか、フジノは俺に全部を言わせようと促してくる。
俺の感じている、気に掛かっている物事を、全部。
「俺、また廃車両にもどって、いいのか……?」
洗いざらい話すべきなのだろうと諦め、ある意味最大の懸案をここで尋ねた。
ダサくて、卑屈で、嫌になるけど――それをフジノに認めてほしくて。
だってそうだろ、とことん付き合うって言ったのに中途半端に投げ出して、亜美香とも仲違いしたまま逃げ出してきたんだから。
俺がどう思ったって、冒険に戻る資格なんてあるのか?
それが、気になって、鼻で笑ってあしらわれたり、拒絶されても仕方がないのかもって、怖くて。
だが――、
「留美が何を聞いているのか、私には意味がよくわからないわ」
とフジノはいつもどおりの平坦な口調でそんなことを言う。「どうして留美がブラックパレードに来てはいけない、みたいな話になっているのかしら? 留美がいないと冒険が進められないというのに、留美ったら全然顔を出さないし連絡もよこさないまま一ヶ月も経ってしまったのよ。待たされる方の身にもなって欲しいものね」
「は――?」
俺は絶句する。「俺は、無責任に逃げ出したような野郎だぞ……? そんなのでも、おまえは俺がいないと冒険が進まないとか言うのか?」
「……私は別に留美が逃げ出したなんて思っていないのだけれど。急に顔を見せてくれなくなって心配していただけよ」
「……おまえ――」
なんだそれ。
俺はあんなにこっぴどくやられて最悪な気持ちで逃げ出したというのに、フジノは普通に翌日に俺がまた来るだろうと思ってた。だってのに俺が全然来ないから、「どうしたのかしら?」と心配していたらそのまま一ヶ月経ってしまった。
ってことなのか……?
「あ、亜美香だって、俺がまた行ったら嫌がるんじゃないのか!?」
「? ああ、ひょっとして、留美が最後に来た日に亜美香が怒ったことを気にしているのかしら?」
「……」
“そういえばそんなこともあった”みたいな、温度の低い反応――その言い方を聞いて、腑に落ちるというか、こいつが何を考えているのかちょっと理解した。
なんというか前提とか認識がそもそも違うのだ。どうもフジノの中では俺が亜美香にあんだけ罵倒され、殴られたことも、特に大事件として認定されていないということらしい。
「留美は亜美香と仲違いをしたと思っているのかしら?だったらそれこそ早く仲直りするべきだわ。それを一ヶ月も放置しておくなんて、亜美香、泣いてしまうかも」
「あいつがそんなタマかよ……」
「いずれにせよ、それは留美と亜美香の問題であって、私にも冒険にも関係がないわ。それで冒険が中断されているのなら手助けしたいとは思うけれど、それならそうと言ってくれないと、助言も何もできないでしょう?」
「……そんなこと言われても」
呆れる。フジノは俺と亜美香が喧嘩したことにもたった今になってようやく気が付いたような雰囲気だ。
こいつにとってはアレは些事であり認識するまでもない事柄――冒険の妨げになっているから早期解決はすべきだと、そんな程度の判断。
……人間ってそんな簡単に割り切れないと思うのだが――まぁ、フジノは元々クールで合理主義者なところもあるとは思っていたけど。
――フジノってここまで徹底してドライだったかな……?
なんか脱力する。そんな風に言われると、自分が一ヶ月悩み続けてたことが、本当にちっぽけで無意味な杞憂だったような気分になってしまう。
ただまぁ、それはこいつが図抜けて自信過剰で独善的だからそう言うのであって、実際のところはそんな単純なわけはないのだろうとわかってはいるが。
そうやってバッサリ言われると、言い返せない。
俺がぐずぐずと言い連ねかけていた言葉たちは霧散して、沈んだ心が少し軽くなった気がした。
「……冒険が嫌になったわけじゃねぇよ。ただ、あんな怖い目にあって、酷い目にあって、亜美香に罵倒されて殴られて、最悪だったなって」
あの頃は、無価値な自分に悩んで無能な自分に苦しんで、無気力になって自分がとことん嫌いになって、何もかも嫌で嫌で仕方なくなった。
そう言うと、フジノは口調や態度は普段のまま「そう」と言った。
言葉は短いけれど、決して聞き流すような気配はなく、真摯に受け止めてくれているような響きがあった。
「しかもよく考えたら、理由は大体において俺自身なんだって痛感した。俺が雑魚だから、世界が地獄に思えてくるんだ。なんでもできちまうおまえなんかには、こんなのわかんねぇかもしんないけど」
「そんなことは……、いいえ。ごめんなさい。私、無神経なことを言ったかもしれない。とてもつらい思いをしたのね、留美」
同調するようなフジノの言動に、少しだけ動揺の色が差す。
ほんの少しだけど、悔いるような、悼むような――。
誰に、何に対して?
けれどその彼女らしからぬ気配はすぐに掻き消えてしまう。
「それに、久しぶりにこの退屈な日常に戻ってきて、気付いたんだ。つまんねぇと思ってた毎日も、ちゃんと意識すればそこそこ楽しいし、悪いことばっかりじゃねぇって。
しかも聞いてくれよ。俺にも、友達ができたんだぜ。こんなの初めてだよ。俺今まで、好き勝手喋れる友達なんておまえくらいしかいなかったんだ。幼馴染とも最近じゃ前よりよく喋るようになったし、大事なんだってことにも気付いた。誰とでも仲良くできちゃうおまえにしたらこんなのどうでもいいかもしんないけど、俺にとっては歴史的な快挙なんだ。
だから、十分なのに。もう十分満たされてるってのに、なのに――」
「――私のことが忘れられないのね?」
「うるせぇな!そんなんじゃ――、嫌だったのに、思い出したくもなかったのに、ホントは嫌じゃねぇ気がするから混乱してるんだ!
おまえとの冒険を、このままにしたくないって気持ちの方が勝つんだ!また冒険に出かけて、フジノも亜美香も光明も、みんな見返してやりたいって、そればっかり考えてるんだ。なんの目算もないのに。なんの成長もしてないのに。結局それが、自分の向かうべき先だって考えちまってるんだ。どうかしてるよ。
俺はどうしちまったってんだよ。おまえの無謀さがうつったのか。だとしたらとっくにどうかしてる!」
言葉は自然と熱を帯びてしまう。
吐き出しているのは自分なのに、自分が感化され、言いたいことが溢れてくる。
溜まっていた不安も、不満も、連鎖するように次から次へと。
「そう、それを聞いて安心したわ。少し辛い目に遭った程度では、留美は留美で変わりなかった」
「こっちがどんだけ考えたかも知らねぇで簡単に言うなっつーの。大体あんな別れ方して、なんで何事もなかったみたいな――俺がもう一度冒険したいって信じていられんだよ?
てゆうか、そもそもおかしいんだ。おまえも、亜美香も、光明も、みんなすげぇヤツらばっかりじゃねぇか。そんな中で、何の取り柄もない自分がその中にいるのがそもそも変なんだよ。
――なぁ、フジノ、おまえは俺の一体何にそんなこだわってんだよ?」
俺自身の言葉から熱に浮かされた俺は、聞きたかったけれど聞けずにいたことまで言語化する。
――フジノが俺を冒険の仲間に選んでくれた理由。
それは、気になって知りたくもあり、怖くて知らずにいたい気持ちが併存していた。
尋ねることで、何かを決定づけてしまうような、そんな重大さを湛えて。
俺の問いかけに、フジノは答えることなく屋上の縁へと歩いていく。
俺に背を向けて、空に近づいていく。
「――、――なんて、許さないわ」
「え?」
「逃さないわよ、留美。あなたは絶対に最後まで見届けさせるわ。
――あなた、“わたし”のことこんな風にムチャクチャにしておいて、こんなところでいちぬけたなんて絶対許さないんだから!
誰がなんて言おうと、“わたし”を今の“私”にした最初のきっかけであるあなたには、その責任があるの!」
フジノの言葉が、どこか普通じゃないと思った。
それは些細な違和感。気にしなければ看過しそうな程度の差異。
フジノの言葉に、わずかばかりの興奮が見られた。
こんな語気強く、叫ぶような口調は初めて聞くような……。
どんな心情でも状況でも、決して揺らがずに保たれていた冷静にして平坦な口調、表情、瞳の輝き――。
そうした彼女の人ならざるほどの不変さが、崩れ、乱れ、まるで普通の女の子みたいに――。
――責任が、ある?
俺に? フジノが冒険をするにあたり、俺が果たすべきモノがある?
「――――“わたし”を殺した責任、ちゃんと取ってもらうんだから!」
「え……?」
振り向いて、そう告げるフジノを見て、俺は思考停止した。
言葉にする彼女の表情は、今まで見たこともないぐらい寂しげで、悲壮だったからだ。
泣き出しそうな顔。涙混じりの声音。
そんな風に言われると、彼女を置き去りにして、冒険を途中で投げ出してしまいかけていた自分が、酷く悪いことをしているような気分になってしまう。
――それにしても、なんだかおかしな台詞を口にするものだと思った。
聞き覚えのあるようなないような。パロディか?引用か?意味があるのかないのか、何を示しているのやら判じかねる言葉。
比喩にしても暗示的過ぎて、はっきりとはよくわからない。
塚本にも似て非なる意味深な言葉選び。
でも、それを口にしたフジノの強い口調や、不安定な気配や、鬼気迫る雰囲気みたいなものが、なんだか酷く普段の彼女と違って見えて。
言うなれば、そう。それは最初に会った日の、争奪戦の後――俺がズルをして勝ってしまった後の、泣き出して、落ち込んでしまっていた彼女が見せた――姿であるような。
あれっきりずっと隠し通されていたあの時の彼女の一部分が、今この瞬間だけ表出し、俺に一緒に来るよう説得しているような。
真実と虚構が混ざり合って混沌としながら、それでも一番大事なことを、俺に対してどうにかして伝えようと、必死に告げているような。
そんな感じがした。
「あぁ……、待たせて、悪かったな」
なので俺はフジノの言葉に、返事をして応じる。
半ば気圧されるようにして、流されるようにして。
でもフジノの言葉に同意する、最後の決断は自分が決めて行ったものだと、彼女の言葉に動かされて、俺が意志を持って答えたものだと信じたい。
……全ては、俺の、気の所為かもしれないが。
意味があるとすれば言葉そのものというより、俺が彼女のわかりにくい本音を感じ取れるかどうかというところであって。
――でも、そう感じられたんだ。
フジノは、俺に最後まで付き合う義務があると言っている。
普段のクールな状態の言葉で何を言おうが、気付かないような素振りを見せていようが、本心の本音は、俺に冒険へ同行せよと伝えてきている。
そして、そうだと感じてしまったものを、俺はわざと無視したりなんて器用なことも、無碍に笑い飛ばしたりなんて冷徹なことももうできない。
そうだ。それに、忘れかけていたけれど、
他ならぬ俺が――とことん付き合うって決めたんじゃないか。
だったら途中に何があったって、それを続けるべきだよな。
ふと、気付く。
破天荒なフジノと、その冒険に、とことん付き合う。
俺がそうすると決めたことの、本当の意味も、重みも、俺はもしかして未だ、正確に理解していないのかもしれないと――。
「良かった、ねえ――留美。
あなたがそばにいなければ、私は何も始まらないの。
あなたがそばにいてくれれば、私は私であり続けられるわ。
――だからこれからも、私とずっと一緒に、冒険していきましょうね」
気付けば、垣間見えていた激情めいた気配は鳴りを潜め、フジノは普段通りの静かな笑みを浮かべながら、そんな言葉で締めくくった。
口調は抑揚がないがそれでいてやけに力強く毅然として、表情は動かないまでも心から俺を受け入れるような気配を漂わせながら。
――“わたし”を殺した責任……?
意味は知れない。
だがそこに、俺に対する深い信頼が寄せられているように思えて。
――フジノ、おまえは……。
俺は嬉しさと同時に、何か得体の知れない重たさのようなものを抱いた――。




