メイ
その夜
私は眠れなかった。
ベッドに横になっても、目を閉じることができない。
頭の中に、何度も同じ言葉が浮かぶ。
――私が守る。
メイ
私の中にいる、もう一人の私。
それが何を意味するのか。
考えれば考えるほど怖くなる。
「……眠れない」
時計を見る。
午前二時。
病院は静まり返っている。
私はベッドから起き上がった。
窓の外を見る。
街の明かりが遠くに見える。
私はポケットに入れていた紙を取り出した。
『キユウを信用してはいけない』
この字を書いたのは、メイなのだろうか。
「メイ」
私は小さく呼んだ。
返事はない。
「いるんでしょう?」
沈黙。
「出てきて」
しばらく待つ。
何も起こらない。
「……いないの?」
「いるよ」
「――!」
声がした。
すぐ近く。
でも、誰もいない。
「どこ?」
「ここ」
「ここって……」
「アンの中」
私は目を閉じた。
怖い。
でも
逃げたくなかった。
「話したい」
「何を?」
「あなたのこと」
「……」
「あなたは、私なの?」
「そうだよ」
「じゃあ、どうして私と話せるの?」
「アンがやっと私の存在を認めたから」
「前は?」
「聞こえないふりをしてた」
「私が?」
「そう」
私は黙った。
「じゃあ、今までずっと?」
「ずっと」
「私が悲しいときも?」
「いたよ」
「怖いときも?」
「いた」
「一人だったときも?」
「いた」
胸の奥が苦しくなった。
「……なんで」
「何が?」
「どうして今まで教えてくれなかったの?」
「教えたよ」
「え?」
「何度も」
メイの声は静かだった。
「でもアンは、いつも言った」
「何を?」
「大丈夫って」
私は言葉を失った。
「怖いって言えばよかった」
メイが言う。
「悲しいって言えばよかった」
「……」
「助けてって言えばよかった」
「……」
「でも、アンは全部飲み込んだ」
私は俯いた。
「だから私が覚えてる」
「何を?」
「アンが忘れたことを」
「……三年前のことも?」
「うん」
「キユウさんのことも?」
「うん」
「ツキシロさんのことも?」
「……うん」
私は息を吸った。
「教えて」
「まだ駄目」
「どうして?」
「今のアンには重すぎる」
「でも私は知りたい」
「知ったら、アンは自分を責める」
「……」
「また全部、自分のせいにする」
何も言い返せなかった。
「私はそんなに弱い?」
「弱いよ」
即答だった。
「……ひどい」
「でも、それが悪いことだとは思ってない」
「……」
「怖がれる人は、自分が怖いって分かるから」
私は少しだけ笑った。
「メイって、意外と優しいんだね」
「優しくない」
「そう?」
「私は現実を言ってるだけ」
「それが優しいんじゃない?」
「……変な人」
初めて。
メイの声が少しだけ柔らかくなった。
「ねえ、メイ」
「なに?」
「キユウさんは……私を殺そうとしてた?」
沈黙。
長い沈黙。
「……そうだよ」
「どうして?」
「それはまだ話せない」
「どうして?」
「アンが知ったら、キユウを許そうとするから」
「……許す?」
「アンはそういう人だから」
私は紙を見る。
『キユウを信用してはいけない』
「じゃあ、これはあなたが書いたの?」
「そう」
「どうして?」
「警告」
「私に?」
「うん」
「キユウさんは危険だった?」
「そう」
「じゃあ……」
私は言葉を選んだ。
「あなたは、私を守ったの?」
沈黙。
そして
「……うん」
胸がざわつく。
「何から?」
「キユウから」
「どうやって?」
「それは……」
メイの声が途切れた。
「まだ思い出せない?」
「何を?」
「最後の三時間」
私は凍りついた。
「……キユウさんと会ってから、私が消えていた三時間?」
「そう」
「その三時間に何があったの?」
「アンは知らなくていい」
「でも、キユウさんは死んだ」
「……」
「あなたが何かしたの?」
沈黙。
何秒経ったのか分からない。
やがて
「私はアンを守った」
それだけだった。
「それは答えになってない」
「今は、それで十分」
「メイ」
「何?」
「私は、あなたが怖い」
「……うん」
「でも」
私は自分の胸に手を当てた。
「あなたのことを、もっと知りたい」
メイはしばらく黙っていた。
「どうして?」
「だって」
私は小さく笑った。
「あなたは私なんでしょう?」
「……」
「だったら、知らないままじゃ嫌だから」
返事はなかった。
だけど
少しだけ。
胸の奥が温かくなった気がした。
その夜
私は初めて、メイの存在を受け入れようとした。
まだ怖い。
まだ何も分からない。
それでも
私の中には、私の知らない時間を知っている誰かがいる。
そしてその誰かは
私を守っていると言った。
――ただ
翌朝
私は一つの事実を知ることになる。
ツキシロさんの妹が
三年前に亡くなっていることを。
そして
その死に
私が深く関わっていたことを。




