↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
君が忘れた世界で  作者: 和泉きよ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/20

知らない筆跡

 翌朝


 目が覚めてから、私はしばらく天井を見つめていた。


 白い。

 昨日も見た天井。

 病院の天井だ。

 だけど、昨日までとは少しだけ違って見えた。


 たった一つの名前を知ってしまったから。


 ――メイ


 私は昨日、確かに聞いた。

 自分と同じ声で。


『私は、あなた』


 あれが夢だったのかどうか、まだ分からない。


 でも。


 夢にしては、あまりにも鮮明だった。


「……メイ」


 声に出してみる。

 何も起こらない。

 返事もない。


「……そりゃそうか」


 私は小さく笑った。

 自分で自分に返事をしていたら、さすがにちょっと怖い。

 そう思った瞬間だった。


 コンコン。


 病室のドアが叩かれた。


「アン。起きてる?」


「ツキシロさん?」


「入るよ」


 ドアが開く。

 昨日と同じように、ツキシロさんが立っていた。

 片手にはコンビニの袋。


「朝飯」


「ありがとうございます」


「食べられそう?」


「はい。たぶん」


「たぶん?」


「昨日から何も食べてないので、胃がびっくりするかもしれません」


「……君はそういうところだけ妙に楽観的だな」


「そうですか?」


「そうだよ」


 ツキシロさんは苦笑した。

 その笑顔を見ていると、不思議と安心する。


 でも同時に。


 昨日からずっと気になっていることがあった。


「ツキシロさん」


「ん?」


「私の家って、どこですか?」


 彼の表情が止まった。

 一瞬だった。

 本当に一瞬。

 だけど、私は見逃さなかった。


「……どうしたの?」


「いや」


 ツキシロさんは袋をテーブルに置いた。


「退院してから、一緒に行こうと思ってた」


「今は教えてくれないんですか?」


「……まだ、やめたほうがいい」


「どうして?」


「君が混乱するかもしれない」


「もう十分混乱してます」


 思わず笑った。

 でも、ツキシロさんは笑わなかった。


「アン」


「はい」


「昨日、警察から何を聞かれた?」


「キユウさんのこととか」


「それ以外は?」


「三年前のことを聞かれました」


 ツキシロさんの目がわずかに揺れた。


「……そうか」


「三年前に何があったんですか?」


「今はまだ話せない」


「またそれですか」


 少しだけ、声が強くなった。


「ツキシロさん」


「……」


「私、何も覚えてないんです」


「分かってる」


「自分が誰なのかも分からない。どこに住んでいたのかも、誰と仲が良かったのかも分からない」


「……うん」


「それなのに、みんな私が何か知ってるみたいに話すんです」


 ツキシロさんは黙っていた。


「キユウさんも」


「……」


「警察も」


「……」


「そして、ツキシロさんも」


 私は自分の手を見た。


「私だけが、何も知らない」


 その言葉が病室に落ちた。




 しばらくして、ツキシロさんが口を開く。


「……知らないほうがいいこともある」


「それは誰が決めるんですか?」


「……」


「私じゃないですよね」


 ツキシロさんは答えなかった。

 私はそれ以上追及しなかった。

 代わりに、コンビニの袋を開けた。


「おにぎり、食べます」


「うん」


「鮭でいいですか?」


「好きなの食べなよ」


「じゃあ鮭で」


 いつものように笑う。


 大丈夫。

 大丈夫。

 そう言い聞かせる。

 きっとなんとかなる。

 今までも、そうしてきたような気がした。


 ――その日の昼


 私は病室で一人になった。

 ツキシロさんは警察との話があるらしく、しばらく戻らないと言っていた。


 静かな病室。

 窓から午後の日差しが差し込んでいる。


 私はベッドから降りて、窓際に立った。


 外を見る。

 知らない街。

 知らない景色。


 なのに


 なぜか、見覚えがある。


「……なんでだろ」


 私は窓ガラスに映った自分を見る。


 肩までの髪。

 少し眠そうな目。

 笑えば、普通の二十歳の女の子に見える。


「普通……」


 その言葉を口にした瞬間。

 頭の奥が、ズキッと痛んだ。


「っ……」


 私は額を押さえた。

 一瞬だけ。

 窓ガラスに映っている自分が、違って見えた。

 笑っていない。

 冷たい目。


 そして――


「……誰?」


 私は反射的に振り返った。

 もちろん、誰もいない。


「……気のせい」


 そう言って、もう一度窓を見る。


 そこにはいつもの私がいた。

 私は苦笑した。


「疲れてるんだよね」


 そう言いながら、ベッドへ戻ろうとした。


 そのとき。


 枕の下に何かが見えた。


「……?」


 白い紙。


 私はそれを引き抜いた。

 小さく折りたたまれている。

 誰かからの手紙だろうか。

 開いてみる。


 そこには一行だけ書かれていた。


『キユウを信用してはいけない』


「……え?」


 私は固まった。


 文字には見覚えがある。

 というより。

 見覚えがありすぎた。


「これ……」


 私は紙を持ったまま、自分の手を見た。


 字が

 私の字だった。

 間違いない。

 文字の形。

 癖。


 全部、自分のものだ。


「私が……書いた?」


 でも、覚えていない。


 キユウ

 信用してはいけない。


 私はその言葉を何度も読み返した。


「どういう意味……?」


 そのとき

 背後から声がした。


「それ、見つけたんだ」


「――!」


 私は勢いよく振り返った。

 誰もいない。


「……え?」


 心臓が大きく跳ねる。


「今、誰か……」


 病室のドアを見る。

 閉まっている。

 廊下にも人影はない。


「……空耳?」


 私は自分に言い聞かせた。


 だけど。

 その声は確かに聞こえた。

 女の声。

 私と同じ声。

 昨日聞いた声。


「メイ……?」


 その名前を口にした瞬間。


 頭の奥に、また映像が浮かんだ。


 暗い部屋。

 椅子に座る私。

 向かい側にいる誰か。

 顔は見えない。

 でも、声だけが聞こえる。


『アンは、私を知らなくていい』


『どうして?』


『そのほうが幸せだから』


『でも……』


『全部、私が覚えてる』


 そこで映像が途切れた。


「……今の、何?」


 私はその場に座り込んだ。


 手の中の紙を握る。

 キユウを信用してはいけない。

 誰が書いたのか。

 どうして枕の下に入っていたのか。


 そして

 なぜ私は、そのことを覚えていないのか。


 答えは分からない。

 ただ一つだけ。

 私は確信し始めていた。


 この記憶喪失は

 単純に頭を打ったから起きたものではない。


 私自身が

 何かを隠している。


 そんな気がした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。