最後に会った女
翌日の午後。
私は警察署の一室にいた。
「改めて確認します」
向かいに座っている女性警察官が、資料を机の上に置いた。
「あなたの名前はアンさん。二十歳」
「はい」
「住所は……」
「分かりません」
「家族は?」
「分かりません」
「友人は?」
「分かりません」
「最後に何をしていたかは?」
「それも分かりません」
警察官は困ったように息を吐いた。
「記憶が戻るまで、仕方ありませんね」
「すみません」
「謝らなくていいですよ」
そう言って、警察官は一枚の写真を取り出した。
そこに映っていたのは、キユウだった。
「この男性をご存じですか?」
「……」
昨日、テレビで見た顔。
それだけのはずだった。
「知りません」
「本当に?」
「はい」
警察官は別の写真を出した。
防犯カメラの映像を切り取ったものだった。
そこには――
私がいた。
そして、隣にキユウがいた。
「え……」
私は写真を手に取った。
駅前。
私とキユウが並んで歩いている。
距離は近い。
まるで、親しい人間同士のように。
「この映像は事件当日のものです」
「……私が?」
「はい」
「キユウさんと一緒に?」
「はい」
頭が混乱する。
「でも、私……この人、知らないです」
「記憶がないことは分かっています」
「じゃあ、どうして?」
「それを調べています」
警察官はもう一枚の写真を出した。
キユウが最後に使っていたスマートフォンから復元されたメッセージ。
そこには短い文章が残されていた。
**『アンには絶対に近づかせるな』**
「……これ、誰が送ったんですか?」
「送信者は特定できていません」
「キユウさんが誰かに送ったんですか?」
「それも不明です」
「じゃあ……」
私は写真を見つめた。
「私が危険だったんですか?」
「可能性はあります」
「私がキユウさんを殺したから?」
自分で言った瞬間、部屋の空気が変わった。
警察官は少し黙ってから言った。
「現段階では、あなたを犯人と断定する証拠はありません」
「でも、私とキユウさんが最後に会っていた」
「そうです」
「じゃあ、私が殺した可能性もある」
「否定はできません」
私は黙った。
怖かった。
でも、なぜか涙は出なかった。
代わりに笑った。
「まあ……」
「?」
「もし私が犯人だったら、そのときはちゃんと怒ってください」
警察官が目を丸くする。
「何を言ってるんですか?」
「だって、殺人って悪いことでしょ?」
「それは……」
「じゃあ、悪いことをした私を怒ってください」
自分でも変なことを言っていると思う。
でも、笑っていないと怖かった。
胸の奥から、
**怖い。**
という声が何度も聞こえてくる。
だから私は、その声を押し込める。
「大丈夫」
小さく呟く。
「きっと、なんとかなる」
警察署を出ると、ツキシロが待っていた。
「どうだった?」
「私、殺人犯かもしれないんだって」
「……」
「驚かないの?」
「驚いてる」
「そうは見えないけど」
「君が犯人だとは思ってない」
「どうして?」
ツキシロはしばらく黙った。
そして、
「君なら、そんな顔をしない」
と言った。
「どんな顔?」
「人を殺した人間の顔じゃない」
「人を殺したことがある人の顔って、どんな顔なの?」
「……知らない」
ツキシロは歩き出した。
「帰ろう」
「うん」
私はその背中を追う。
その途中。
街のショーウィンドウに、自分の姿が映った。
私は笑っていた。
いつものように。
明るく。
何も問題なんてないように。
でも。
ガラスに映った自分の顔を見た瞬間
なぜか、もう一人の自分がそこにいるような気がした。




