殺人衝動
メイが、ユナを殺した。
その事実を知ってから。
私は、何度も自分自身を見つめるようになった。
鏡を見る。
笑う。
瞬きをする。
手を動かす。
どれも私がやっている。
なのに
そのどこかに、メイがいる。
「……変な感じ」
朝
洗面台の前で呟く。
鏡の中の私は、いつものように眠そうな顔をしていた。
「おはよう、私」
冗談のつもりで言った。
すると。
『おはよう』
「……」
返事があった。
「びっくりした」
『自分から話しかけたんでしょう』
「そうだけど」
『何を期待してたの?』
「まさか返事が来るとは思わないじゃん」
『昨日から何度も話してるのに』
「それはそうだけど」
私は苦笑した。
こんな会話をしている自分が、少しだけ不思議だった。
つい昨日まで。
私はメイの存在を恐れていた。
今も怖い。
でも
昨日よりは少しだけ近く感じる。
「ねえ」
『なに?』
「あなたは、どうしてそんなに冷静なの?」
『そう見える?』
「うん」
『じゃあ、そうなんじゃない』
「自分のことなのに適当だなあ」
『アンよりは現実的』
「ひどい」
メイが少し笑ったような気がした。
私は鏡から離れた。
「……でも」
足を止める。
「一つだけ聞きたい」
『何?』
「あなたは、人を傷つけたいと思うことがある?」
沈黙。
その沈黙だけで。
答えは分かった気がした。
『……ある』
「……」
『昔から』
「どれくらい?」
『分からない』
「誰かを?」
『うん』
「具体的に?」
『……言わない』
「どうして?」
『アンが怖がるから』
私は黙った。
『それに』
「うん」
『そういう感情を、私は好きじゃない』
「……」
『でも、消すこともできない』
私は鏡を見つめた。
「それって」
『なに?』
「私が持ってる感情でもあるの?」
『そうだよ』
「私にも?」
『アンにも』
胸の奥が冷たくなる。
「……じゃあ」
『うん』
「私が誰かを傷つけたいと思ったことも?」
『ある』
「嘘」
『本当』
「覚えてない」
『だから私が覚えてる』
私は唇を噛んだ。
「……怖い」
『うん』
「自分が怖い」
『うん』
「私、普通じゃないのかな」
メイはすぐには答えなかった。
『普通かどうかなんて、どうでもいい』
「どうでもよくないよ」
『じゃあ、アンにとって普通って何?』
「……」
答えられなかった。
『誰も怒らない』
『誰も悲しまない』
『誰も傷つかない』
『いつも笑っている』
メイの声が静かに続く。
『そんな人間、どこにもいない』
「……」
『アンは、そうなろうとしていた』
私は俯いた。
「……そうかもしれない」
『だから私が生まれた』
「あなたは、私が捨てたものを全部持ってるの?」
『全部じゃない』
「じゃあ何を?」
『怖さ』
「……」
『怒り』
「……」
『悲しみ』
「……」
『憎しみ』
最後の言葉だけ。
少し重かった。
「……憎しみ」
『うん』
「誰に?」
『いろんな人に』
「キユウさんにも?」
『……』
返事がない。
「メイ?」
『キユウは違う』
「どう違うの?」
『あの人は……』
そこで声が止まる。
『アンを殺そうとした』
「……」
『だから私は止めた』
「それだけ?」
『それだけ』
私はしばらく黙った。
「ユナさんのときも?」
『……』
「ユナさんも、あなたにとっては敵だった?」
長い沈黙。
『あのときの私は、そう思った』
「でもユナさんは私を助けようとしてた」
『今は分かってる』
「じゃあ……」
『あのときは分からなかった』
メイの声が少し震えた。
『アンを失うのが怖かった』
私は何も言えなかった。
『だから』
メイが言う。
『誰かがアンを傷つけると思ったら、止める』
「……たとえ、その人が悪い人じゃなくても?」
『……』
「答えて」
『分からない』
「メイ」
『分からないんだよ』
初めて。
メイが声を荒らげた。
『あのときの私は、アンを守ることしか考えられなかった』
「……」
『怖かった』
その一言は
私が思っていたよりずっと弱々しかった。
『またアンが壊れると思った』
「……」
『だから』
メイの声が小さくなる。
『全部、私がやればいいと思った』
私は鏡に手を置いた。
「メイ」
『何?』
「もう一人でやらなくていいよ」
『……』
「私も一緒に考えるから」
『……無理だよ』
「どうして?」
『アンは優しすぎる』
「それ、褒めてる?」
『褒めてない』
「じゃあ、直す」
『何を?』
「優しすぎるところ」
『……無理』
「なんで?」
『それもアンだから』
私は少し笑った。
「じゃあ、お互い様だね」
返事はなかった。
でも
鏡の中の私は
ほんの少しだけ笑っていた。
――その日の夜。
私は一つの資料を見つけた。
三年前の診療記録。
自分の名前が書かれている。
そこには
見たことのない言葉があった。
『強い衝動性』
『記憶の断絶』
『自己認識の混乱』
そして
一番下に。
『本人は、自分自身を恐れている』
私はその文章を何度も読み返した。
最後に
医師の手書きらしい一文があった。
『本人が他者を傷つけることを恐れている。本人の訴えを軽視しないこと。』
私は紙を置いた。
「……私、本当に」
誰かを傷つけることを
そんなに怖がっていたんだ。
だったら
キユウさんに頼んだことも
全部、本当なのかもしれない。
そして
もしメイが本当に私を守るために動いていたのなら
今度のキユウさんの死も
もしかすると――




