第5話「残像」
場所を移した先は、港から一本入った廃れた作業場だった。
明かりは少なく、外の騒音だけが遠くに聞こえる。
心桜は壁に背を預け、腕を組んだまま菊乃を見ている。
刃は収めている。だが、いつでも抜ける位置に手がある。
『で? さっきの話、どこまで本気よ。
菊乃』
名前を呼ばれても、菊乃の表情は変わらない。
『私は長女だ。
お前は次女。同じ母親から生まれた』
『16年ぶり、ってやつね』
『ああ。幼い頃、同じ場所にいた。
母親に手を引かれ、夜の山を走った』
心桜の指が、覆いの端を一度だけ押さえる。
力は入っていない。確認するような、小さな仕草だった。
暗い道。
誰かの背中。
置いていかれるような感触。
記憶は断片で、繋がらない。
だが、否定しきれない感触が胸の奥に残っていた。
『……たしかに、変な夢みたいなのは見たことある。
高い人の背中とか、花の匂いとか』
『それは夢ではない』
『はあ、都合いいねえ』
心桜は顎を上げた。
『で、なんで今さら会いにきたの。
姉妹だとして、16年放置してたわけでしょ』
菊乃は懐から、血で滲んだ紙切れを取り出す。
見せはしないが、指の腹で感触を確かめるように持った。
『先日、男が私の前で死んだ。
山の里の話をした。
母親の名を残した。桔梗、と』
心桜の眉が、わずかに動く。
『計画が進んでいる、とも言っていた。
詳細は分からない。
だが、母親が娘を守るために残った、という話だけは残った』
『それだけ?』
『それだけだ。
だが、十分だった』
風が作業場の隙間を抜け、鉄の匂いがする。
心桜は天井の暗い梁を見上げたまま、しばらく黙っていた。
『……正直、まだ信じないよ。
でも、あの眼を外した瞬間に避けられたのと、
母親の名前が一致してるのは、ちょっと引っかかる』
『話を聞く気はある、ということか』
『金も出るしね、心桜は』
自分の名前を軽く乗せて、心桜は薄く笑う。
覆いのない方の眼は、すでに値踏みを終えた色をしていた。
断片の記憶と、目の前の女の言葉が、完全には重ならない。
なのに、否定しきれない。
それが、一番気に入らなかった




